人さまざま

宇井無愁*1『きつね馬』(アルス ユーモア文學選書)

昭和二十一(1946)年八月三十日發行。
表題作のほか、五つの短篇(『お狸さん』『太った犬』『救世主降誕』『約束』『お孃さん大賣出し』)をおさめています。作者名の「宇井無愁」は、「うい・むしゅう」と読みます。「ウィ,ムシュー」。人をくった(笑)ペンネームです。本名は、宮本鉱一郎。大阪府生れの作家で、旧制・大阪貿易学校の卒業生です*2
邦画の好きなかたであれば、成瀬巳喜男『旅役者』*3(1940)の原作者、というとピンとくるのではないかとおもいます。その『旅役者』は、表題作の『きつね馬』を脚色したものです。『きつね馬』は、『オール讀物』(昭和十四年五月号)に掲載され、第九回(昭和十四年上半期)直木賞候補にあがりました。
また、『お狸さん』も、『オール讀物』(昭和十四年十二月号)に掲載され、第十回(昭和十四年下半期)直木賞候補にあがりましたが、おなじく候補どまり。
この『きつね馬』は、まず昭和十五年に朝日新聞社から単行本として刊行され、そのあと出たのが、ユーモア文學選書版です(その後も書籍化されたようです)。
私が個人的におもしろく読んだのは、『きつね馬』よりもむしろ、『太った犬』『救世主降誕』、それから『お孃さん大賣出し』です。ただ「ユーモア」があるだけではなくて、ちょっとした現代の寓話にもなっています。ですから、現代社会の「縮図」ともいうべき人物、というか人物造形がたいへんおもしろいのです。
たとえば、『太った犬』に登場する藤枝鶴子夫人は、普通の女性とはちがって、「どうにかして太りたい」、という願望の持ち主。『救世主降誕』では、立派な鬚髯をたくわえた蜂谷議員が、無宗教であるにもかかわらず、その髯の見事さゆえに、「ヤソ繁」の壁画のモデルになってしまいます。これは、『教祖誕生』(1993)に通底するテーマさえ感じさせます。また『お孃さん大賣出し』では、鯛浦蟹太郎*4が長女魚子を嫁に出すために、あの手この手で娘を売り出します(まるで商品みたい)。
それからブラック・ユーモアが辛辣な、『約束』に出てくる林憲太郎*5は(なお、引用部のルビは一部をのぞき削除―引用者)、

元來廣告ちうもんは、自由主義産業の産物で、無計畫な大量生産品をめんめんが競爭で賣つける必要上起きたもんじや。(略)大體廣告につられるやうな人間は、理性と批判力のない阿呆じや。廣告が幅をきかすやうな社會は、文化のひくい阿呆の寄りあつまりじや。(p.98)

と長広舌をふるいながら、朝刊に広告を出すという自家撞著ぶりを発揮します。

いっぽう、さきにもちらと登場した『お孃さん大賣出し』の鯛浦は、「商大出身の秀才で、傳統的な船場商法を打破して、率先『科學的經營法』を斷行した、罐詰界の新人である」だけに、思想も行動も現実主義的です。
彼は、

殊に當今は宣傳の世の中、宣傳費を惜しむのはつまらないことだ。(p.144)

という考えをもっており、

商品の宣傳にも、常に次の樣な心理的階梯のあることを忘れなかつた。
一.商品の存在を認識せしめる。
二.商品の効用、價値を會得せしめる。
三.その効用・價値が他品を凌駕するものである點を覺らしめる。
四.そこで一歩を進めて、この品が唯一無上であると思ひこませる。(p.145)

…というノウハウにもとづいて長女を「賣出し」、彼女のお婿さん探しに必死です。

ところで、ときおり作者が顔を出すというのもおもしろい。いま読んでも新鮮な感じをうけますから、当時はさぞ劃期的だったことでしょう。
たとえば『お孃さん大賣出し』では、

さてこれから先は、いろんな人がいろんな形式で小説に書いてゐるやうな段取りに運び、やがてめでたしめでたしになると思つて差支へなささうだから、お目出度い話はこれで「終(をはり)」にしよう。(p.158)

と書いて唐突に擱筆したり、また、『約束』の「作者附記」には、

げに「事實は小説よりも奇なり」と謂ふべきであらう。茲(ここ)に到つてわれらごとき淺才の戲作者は、事實の前にたゞ忸怩として、つひに筆を擲(なげう)つのほかはないのである。(p.112)

とあったりするのだから、たまりません。しかもそれが、ほんとうに「事實」なのかどうかも、かなりあやしいものです。

*1:司馬遼太郎ではありません。

*2:そのためか、作品の舞台はほとんど関西で、「伊丹」「夙川」「蘆屋」「住吉」「道修町」など、関西人にとってはお馴染みの固有名詞がたくさん登場します。

*3:今年は、成瀬巳喜男生誕百年にあたる年ですから、あるいは『旅役者』をここで取上げることがあるかもしれません。また宇井の作品には、映画化されたものが他にもいくつかあるようです。

*4:この作品の登場人物の名前がおもしろい。長女魚子、鯖子夫人、鱧村課長、蛸岡君、海老石さん、横輪鱈彦、久里(きゅうり)君、皿田哉齋(さらだやさい)などなど…。まるで『サザエさん』です。また、『救世主降誕』には寒川凍二という青年が出てきます。単純です。

*5:昨年亡くなった林健太郎先生ではありません。もちろんサッカー選手でもありません。