ヴンダー・カラヤン、最後の演奏

晴れ。
所用あって、今日は大学に行けませんでした。
國文學』(學燈社)の最新号(五月号)が「日本語の最前線」という特集を組んでいることはまえに書きました。その論考について、すこし書きます。
小柳智一「上代語―解釈と文法の研究」*1。「〜ずは」という表現について。この表現にはふたつのタイプがあるそうです。小柳氏は、「〜でなかったら」という仮定条件を表すものを「ずはA」とし、解釈の一定しないタイプを「ずはB」とします。たとえば、『萬葉集』第二巻・八十六の「かくばかり恋ひつつあらずは〔不有者〕高山の磐根しまきて死なましものを」が「ずはB」型。本居宣長はこれを「〜んよりは」と解釈し(『詞玉緒』)、橋本進吉(一九五一)はこれを「〜ずしては」と解釈しています。小柳氏は、「ずはA」の単純な下位分類(単純仮定条件と反実仮想の仮定条件)に依らずに、「ずはB」型が反実仮想の仮定条件*2であることを論じています。
小林隆「第二の『日本言語地図』をめざして」。いわゆる「方言学的日本語史」において、資料の充実を図ることの困難について。全国調査*3の方言項目一覧(四二〇項目)も掲げてあります。これらの情報はデータベース化され、報告書という体裁のみならず、電子化データとしても公開される予定だそうです。「新しい」「もったいない」といった語でさえ、方言分布からの検討がなされていなかったことに少しびっくり。
肥爪周二「音韻史―拗音をめぐって」。ある一群の漢字音は、直音化される場合をのぞいて、日本漢字音でサ行で対応する場合には、「シユ」「シユウ」「シウ」の三様に現れます。しかし、サ行以外の音で対応する場合には、「(イ段)ウ形」でのみあらわれ、「(イ段)ユ形」「(イ段)ユウ形」では現れない。その現象について考察しています。肥爪氏は、「拗音の表記は、歴史的にア行表記からヤ行表記へと転じたが、ウ段拗音の場合はア行表記のまま定着し、『シュ』のみが例外的な振る舞いをした」という仮説を提出します。その仮説を受容れることによって生ずる問題―(1)なぜウ段のみア行表記で定着したのか(なぜア段・オ段はヤ行表記に転じたのか)(2)なぜ後世にヤ行表記拗音は一拍、ア行表記拗音は二拍へと変化したのか―等に対する解釈をのべたうえで、拗音がCV(子音・母音)音節と同等の価値を持つにいたるまでの経緯を描き出します。
その他、抜刷り論文を幾つか読みましたが、感想などはまたいずれ。
ブルックナー:交響曲第7番
今日は、久々にヘルベルト・フォン・カラヤン&ウィーン・フィル ブルックナー『交響曲第七番 ホ長調』(ドイツグラモフォン)を聴きました。高校生のころ、(挫けそうになる度に)何度も何度も繰り返し聴いた一枚ですから、たいへん愛着があります。なぜ久々に聴いたのかというと、諸石幸生『クラシックがわかる超名盤100』(音楽之友社ON BOOKS 21)がこれを取上げていたから。この演奏は、カラヤン最後の録音(死の三箇月まえ)で、彼の生誕九十年を記念して出された『メモリアル・カラヤン』にも、第三楽章のスケルツォが収められています。
第一楽章の第二主題、第二楽章*4の展開部、第四楽章の第一主題再現部からfffに至る部分など、好きなところを挙げればキリがありません。のちに、ヨッフムやインバルが振ったものも聴いたのですが、どうも冗長な(とくに第二楽章)感じがして、なかなか馴染めない。ですから、ブルックナーの7番といえばコレを聴くことにしています。最後の演奏にふさわしい、たいへん素晴らしい演奏です。最近はジャケットを見るだけで、なぜか涙ぐんでしまいます。孤高のカラヤンの姿と、曲のイメージ(勝手なイメージ)とが重なり合うからだとおもいます。
また、グシュルバウアー&リスボン・グルベンキアン マリア・ジョアオ・ピリス(ピアノ) モーツァルト『ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537《戴冠式》』(ERATO)も聴きました。これは13番とのカップリング。…などと書いていたら眠くなってきたので、寝ます。

*1:ただし、この論考は手許にないので、あるいはエー加減な部分があるかもしれません。誤りに気がついたら訂正しておきます。

*2:つまり、「〜ないですむなら・ないためなら・なくてよいなら」と解釈する。

*3:一九八六年と一九九一年、二〇〇〇年から二〇〇二年の五年間にわたって行われました。

*4:ワーグナーに捧げられた葬送曲になっています。