三島由紀夫・没後三十五年

曇り。
きょうは昼から夕刻まで学会がありました。私のやっていることに直接関わりのあるものではないのですが、非常に興味のふかい内容でした。詳しく書くことは控えます。懇親会は、諸事情により辞す。
【気になる新刊】
ビートたけしほか『60年代「燃える東京」を歩く』(JTBパブリッシング)
藤沢秀行『野垂れ死に』(新潮新書)*1
北原保雄監修『朝倉日本語講座2 文字・書記』(朝倉書店)
山田俊雄『詞苑間歩 移る時代・変ることば 続』(三省堂)*2
樋口桂子『メトニミーの近代』(三元社)
三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか
今日は、中条省平編・監修『三島由紀夫が死んだ日』(実業之日本社)を読了。ちびちび読む積りでしたが、一気に読んでしまいました。三島没後三十五年の回顧展に合わせて刊行されたものだそうです。
本書はアンソロジー本で、「プロローグ」(小島千加子「最後の原稿を受け取った日」を含む)、「三島由紀夫の不死」(瀬戸内寂聴)、「『日本』という病」(篠田正浩)、「静かなる恐怖」(森山大道)、「消された歴史の舞台」(猪瀬直樹)、「『本気』の時代の終焉」(呉智英)、「『革命なしの反革命』の奇跡」(鹿島茂)、「死とエロティシズムと絶望をこえて」(中条省平)などからなり*3篠山紀信によるカラー口絵や、略年譜も附いています。
「プロローグ」は、「三島事件」にたいする当時の論評や著名人の反応について書いてあるので、本書一冊で当時の論評と三十五年というスパンを経たあとの論評とを読み比べることができるようになっています。一読して気がついたのは、三島の「日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」(「果たし得てゐない約束―私の中の二十五年」)という「予言」を引いてくる論者がことのほか多いということです。しかしもちろん、三島の死の解釈、それに対する評価は多様で、瀬戸内氏、篠田氏、森山氏などは「わからない」とハッキリ書かれています(そして非常に興味ふかいのは、彼らは三島と面識があるということ)。
評者によって、取上げる(または重視する)三島作品がバラバラなのも―まあ当り前ではあるのですが―、面白い。例えば瀬戸内氏は、『英霊の声』こそ真の檄文、と書いています。また篠田氏は、三島が十五歳の頃に作った詩に「メメント・モリ」の萌芽を見ており、猪瀬氏は『仮面の告白』に「三島のすべてが込められてい」て、「あの華々しくも無残な自決へと至る道程は『金閣寺』に出発点があった、と僕は見ている」と書く。そして中条氏は、「『蘭陵王』は、三島文学のありようをその終着点である自殺を光源にして逆照射するのに恰好の書物でした」、と書いています。
その論評がいかにも書き手らしいなとおもったのは、(当否はともかくとして)呉氏の文章と鹿島氏の文章。ここでは呉さんの文章についてだけ触れます。呉氏はまず、三島由紀夫の思想を「本気」であったと書きますが*4、その「本気」そのものと、それが有するロマン性は否定し、実効性のある「実務」をこそ肯定しています。さすがは、「教育はショーバイである、教師は労働者である」*5と書く呉さんです。
以上を要するにこの本は、「三島由紀夫」論でもあり、ちょっとした「一九七〇年」論でもある。そんなアンソロジー作品に仕上がっています。

*1:これは、かの団鬼六真剣師 小池重明』を想起させます。

*2:正篇は二分冊。続篇もそうなるのか、どうか。

*3:この顔ぶれのなかで、五年まえに出た『三島由紀夫 没後三十年』(新潮11月増刊号)にも寄稿されているのは、小島千加子さんのみです。

*4:中条省平はこのことについて、やや言葉をかえて「その『本物』であることの戦慄的な恐れに触れたとき、私はなにかしびれるような感銘を受けました」と書いています。

*5:呉智英『ホントの話』(小学館,2001)第十五講参照のこと。文庫オチしています。