すべからく

曇り。夜から雨。
午後散髪。その帰途Kに寄り、澁澤龍彦太陽王と月の王』(河出文庫)を購った。一九八〇年に大和書房から刊行された同名の書を文庫化したもの。このなかに「すべからく」という文章が収められていて、あ、これは「すべからく」の誤用を批判した文章だな、と思ったらやはりそうだった。「すべからく」を「全て」の意で使う人々を、あえて「スベカラク族」と言ってしまうが、この「スベカラク族」を批判した人はこれまで何人居るのだろうか。
すぐに思いつくのは、やはり呉智英氏。『封建主義者かく語りき』(双葉文庫)の pp.139-45*1,また、『バカにつける薬』(双葉文庫)の pp.74-77 で「スベカラク族」批判を展開している。なお『バカにつける薬』を読めば、呉氏は『インテリ大戦争*2(一九八二年刊)で川本三郎唐十郎鈴木志郎康らを「スベカラク族」として批判していたことが分る。が、澁澤龍彦の「すべからく」も川本三郎唐十郎を批判しているから、呉氏は澁澤の文章を参照した可能性がある(『インテリ大戦争』を見てみないとなんとも言えないが)。
また、高島俊男『「週刊文春」の怪』(文春文庫)にも、「『すべからく』の運命」(1997.2.6初出)という文章が収めてあって(pp.213-17)、これも「スベカラク族」を批判したものである。しかし、呉氏のそれとは違い、保守派の論客の誤用を例に挙げている。

*1:これは『封建主義、その論理と情熱』(情報センター出版局刊,一九八一)の改題増補版(一九九一年刊)を文庫化したもので、「すべからく」についての文章が増補されたものかそうでないのかはよく分らない。

*2:なぜか、これは双葉文庫に入っていない。