オツベルと象

 こちらを拝読しておもい出したのが、宮澤賢治オツベルと象」。問題となるのは、この題名の「読み方」である。『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)所収の「注解」(天沢退二郎による)には、次のようにある。

自筆原稿は存在せず、初出誌(『月曜』―引用者)は拗促音に半字を使用していないので、読みが「オツベル」か「オッベル」か決定し難い。谷川雁はドイツ語「ober」他に比較して「オッベル」説。G.メランベルジェ氏の仏訳は「Aubert」(オベール)、ジャスティーン・ヴィデウス女史のスウェーデン語訳では「Otsuber」。自筆の自作題名列挙メモ二種にこの作品が挙がっているが、そこでも「ツ」はこころもち小さいように見えなくもないが、はっきり小字とは断定できない。今回はむしろはっきり小字にはしていないことを根拠に「オツベル」とした。私の考えではこの「ツ」は明瞭なtsuではなくて、ロシヤ語の「ウオツカ」「カムチャツカ」の如き子音のみのt、すなわち〔otbɛ(非円唇前舌半広母音―引用者)r〕あるいは〔otbɛ(同前)l〕なのではあるまいか。(p.319)

 谷川雁ではなく、谷川徹三であったら、ちょっと面白かったのだが。谷川俊太郎の父親だし、『宮澤賢治の世界』という著書もあることだし。
 呉智英に、「大きい『ツ』と小さい『ッ』には本質的なちがいがある」(『ロゴスの名はロゴス』双葉文庫,pp.27-30)という文章があって、「ウォツカ」「カムチャツカ」「あまっさえ」「かつて」等に言及している。
 呉氏は、「ウラジ・ヴォストーク」についても書いていた記憶があるが、『言葉につける薬』だったか。「ハルピン」と「ハルビン」、これは最近文庫化された『言葉の常備薬』に入っていたとおもう。
 また山田風太郎『死言状』(角川文庫)には、「『カムチャツカ』か『カムチャッカ』か、『ウオツカ』か『ウオッカ』か。きいているとNHKのアナウンサーでも人によって双方ちがう。私は前者のほうが正しい、正確にいえば『カムチヤト(トは小字―引用者)ゥカ』『ウオト(トは小字―引用者)ゥカ』ではないかと考えていたが、ロシア語に詳しい人にきくと、ツの発音は微妙らしい。正確にいえば、といったが、日本語では発音できないのかも知れない」(p.40)、とある。
 NHK『ことばのハンドブック』は、第二版でも「カムチャッカ」「ウォッカ」を認めていない。