年末に放送されたNHKの「顔」(谷原章介主演)を録画で見た。主人公の出自や設定をそこまで複雑にしなくても……と少し困惑した部分もあったが、原作にはかなり忠実で(私は「原作至上主義者」ではないが)、そこそこ満足した。溝口作品での宮川一夫のクレーン撮影を髣髴させるようなちょっと凝ったカットもあり(谷原・中本賢がガード下で酒を呑んでいるところ、まずカメラは俯瞰で列車を捉え、ガード下の屋台のなかに段々寄っていく)、おもしろかった。「カルネアデス座」、神西清訳の「かもめ」、エンドロールの音楽などにも反応してしまった。

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 今年はショパンシューマンの生誕200年に当りますよ、と賀状に書いてくださったかたがいらっしゃった。去年は作家の当り年であったが、今年は作曲家というわけだ。ただ、ショパンは好きなのだが、シューマンはちょっと……。かつて(高校生時代)は、トスカニーニの「ライン」に感動したクチだが、最近は、ピアノ・コンチェルトでさえ滅多に聴かなくなってしまった。
 まだまだ若輩だが(この正月、数えで三十になりました)、この拒否反応は果して年齢的なものなのかどうか……。今年のうちに、また改めて聴いてみることにしよう。
 ショパンは、オーケストレーションが弱点だとしばしば云われるが、ピアノ・コンチェルトもけっして嫌いではありません。というか、正直にいって大好きです。アッバード、ロストロポーヴィチアルゲリッチの1番・2番は、もう何度も何度も聴いています。聴くたびに、福永武彦の『草の花』や、失恋の痛みをおもい出します。
 最近は大人気のショパンであるが、十九世紀末の欧州ではすっかり時代遅れになっていたという。カンブルメール家の若夫人だったかが、当時の流行にならってショパンを軽蔑し、ワーグナーを礼讃した(!)という記述が、プルーストの『失われた時を求めて』のどこかにあったのを、今でもはっきりと憶えている(もう捜す気にもなれない)。さらに鈴木道彦の註釈によって、ショパンの再評価は生誕100年(1910年)以後のことだと知り、驚いたものだった。