文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

 昨晩、一気に読んだ。p.201、佐々木健一の著作名が『タイトルの美学』(中公新書)となっているが、『タイトルの魔力』ないし『美学への招待』の誤りではなかろうか。『タイトルの魔力』については、ここで、ちょっと触れたことがある。
 p.108に『東京帝国大学学術大観 総説・文学部』(昭和十七年)が紹介されている。同書や『東京帝国大学五十年史』の編纂事業について書かれたのが、大久保利謙*1『日本近代史学事始め― 一歴史家の回想―』(岩波新書1996)で、これもたいへん面白く読んだ。
日本近代史学事始め―一歴史家の回想 (岩波新書)

日本近代史学事始め―一歴史家の回想 (岩波新書)

 該当する箇所をついでに引いておくと、pp.81-82に、

 そして、昭和一七(一九四二)年に、『東京帝国大学学術大観』というのが出ますが、これにもちょっと関わっている。『五十年史』が制度史でしたから、今度は学術史・学問史というわけです。このときは各学部長は非常に乗り気だったらしい。文学部長の今井登志喜先生が編纂の委員長で、わたしに、「君、ひまだったら、とにかく来てくれ」というのでお手伝いしました。それで今井先生にいわれて、総説を書いたんです。『五十年史』の流れを筋書き風にまとめただけですがね。あとは文学部の巻の編集・校正を手伝った。今井先生が全責任を負われていて、しょっちゅう来ていて指揮を振るわれていました。先生は酒好きですからね、よくおともをして飲みました。おもしろかったですよ。

と、ある。
 ただしこの本、(著者の責任ではない)固有名詞の誤記が幾つか見当る。p.3「家系図」で、「近藤平」とあるべきところが「近藤平」となっていたり、p.55の西洋史学者「坂口(たかし)」とあるべきところが「坂口(たかし)」となっていたりするのだが、そのような点に注意して読めば、すこぶる面白い。
 ちなみに、著者の大久保利謙は、この本が店頭にならぶ直前に亡くなったらしい。

 父は折にふれて明治三十三年、つまり一九〇〇年生まれだから十九世紀最後の年に生まれていると自慢していたのを昨日のことのように覚えている。明治、大正、昭和、平成という四つの元号に亘って日本人の一歴史学者として生きてきた姿を記した『日本近代史学事始め― 一歴史家の回想―』(岩波新書、一九九六)は平成八年一月二十五日に九十六歳を迎える直前には手元に届くことになっていた。
 平成七年十二月、年の瀬も押し詰まった二十八日にこの回想録は校了となり、新しい年が明けて二十二日には発売になるという段取りができ、それを楽しみにしつつ店頭に並んだ暁にはどなたに贈るかとあれこれ考えながら名簿を作っていた。三十日の夜も仕事を終え、いつものように軽い夕食をとり、就寝前の大好きなハーブティーを飲み、いつもと変わらぬ一日となるはずだったが、日付が変わった直後、潮が引くように静にその時を迎えた。見事な生涯であったと思った。(大久保利〔滕-月〕「あとがき」、大久保利謙明六社講談社学術文庫、p.330)

明六社 (講談社学術文庫)

明六社 (講談社学術文庫)

*1:大久保利通の孫。小谷野氏の『文学研究という不幸』には、『久米邦武の研究』の編者として登場(p.186)。