『金沢庄三郎』

 石川遼子『金沢庄三郎―地と民と語とは相分つべからず』(ミネルヴァ書房2014)をおもしろく読んでいる。「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊。ちなみにこの叢書名については、小谷野敦先生が、

一九七五年に、朝日新聞社から「朝日評伝選」というシリーズが出て、二十七冊だけ出た。のち、ミネルヴァ書房から「ミネルヴァ日本評伝選」というシリーズが刊行され始めて今も続いているが、いったい「選」とは何なのか。何だか、それまでに刊行された「評伝」から選んで刊行しているようだが、実際は書き下ろしである。朝日評伝選のまねをしたのだろうが、謎の「選」である。(『頭の悪い日本語』新潮新書2014:39-40)

と書かれていた。つけ加えておくと、書籍等で「選」と「撰」とを同義に用いることもしばしばある。しかし、「選りすぐる」という意味だけを表したいなら、「撰」ではなくて「選」を使うべし。たしかに「撰」にも「選る」という義がないわけではないが、こちらは「編纂」「編む」の義で用いたほうがよい。――と、これは、恩師A先生からの受売りである。
 さて、同書「はしがき」に、「単行本としての評伝は本書が初めての試みである」とあるとおり、金澤庄三郎(1872-1967)は、すでに忘れ去られた人物であるといっても過言ではない。
 たとえば、伊藤正雄『新版 忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶い出の明治大正』(右文書院2001*1)は、「武島羽衣氏と金沢庄三郎博士との訃」(初出:俳誌「笹」昭和四十二年八月号)を収めるが、金澤については「新聞がこの国語文化史上の大恩人の死を報ずるのに、わずかに“代議士母堂”の死と同じくらいのスペースしか割かなかったのには、甚だあきたらぬ思いを禁じ得なかった」(p.323)と書いているのだ。
 このくだりを、のちに「朝日新聞」夕刊が引用したことは石川著で知ったのだが(p.334)、「神戸の小さな俳句同人誌『笹』八月号に伊正雄(甲南大学教授)が書いたものであった。伊藤は、今は『広辞苑』のお世話になっているが、中学時代以来、終戦までは『広辞林』で国語を習ってきたと言い、…」と一部が誤記になっており、索引も「伊東正雄」で立項せられているのは少々残念。
 とはいえ石川著は、様々の資料を博捜していて、読み応えのある内容となっている。
 これに触発されて、先日Nで、金澤庄三郎『言語に映じたる原人の思想』(創元社)を求めた(石川著の副題「地と民と語とは相分つべからず」は、この著作の「跋語」からとってある)。創元社、といっても大阪時代のもので、「日本文化名著選第二輯*2のうちの一冊。昭和十六年六月十日六版発行(初版は同年五月三十日発行)。
 おもいの外、『説文解字』(や段注)、そして『倭名類聚抄』からの引用が多い。石川著によると、金澤は大正十二年秋、国学院大学から三矢重松の後任として招かれ、「「倭名抄」、「説文」などを講義」した(p.203)というし、戦後も鶴見女子短期大学(現在の鶴見大学)で「悉曇五十音図説文解字康煕字典について語り、韵鏡についてはかなり詳細に述べた」、「「国語学概論」は『倭名抄』についての講義」だった(p.287)というから、両者にも造詣が深かったのであろう*3
 ところで『言語に映じたる〜』の「序説」に、次のごとくある。

後漢の劉煕が釋名中にも、この類多く散見す。釋文に火化也、釋宮に臺持(タイ)也、釋言語に遲(タイ)頽也とあるが如し。大正三年春、浦潮斯徳の東洋學院を參觀せし時、シュミット繁授(Prof.P.Schmidt)が恰も支那語音韵の研究上この點に論及して、手・受・收の同語原なることを講述せられたるを聞き、著眼の凡ならざるに感じたることありき。本邦の學者にては、漢呉音圖の著者としてその名著き備後福山の碩儒太田全齋の如きは夙にこのことに注目し、その説は載せて漢呉音圖、同窠音圖等にあり。(p.10)

 「シュミット……ありき」の箇所は、石川著も引用している(p.179)。ただし、「講述せられる」を「講述せられる」と表記している。これは、石川氏の参照されたものが大正九年の元本(大鐙閣刊)であることによる違いであろうか*4
 それはいいとして、ここで金澤(シュミットも同断?)が、『釋名』の記述と「手・受・收の同語原なること」とを同一視してしまうあたりに、問題があるとは云えるだろう*5。それゆえに、金澤による「日韓両国語同系論」は、河野六郎をして「玉石混淆の感がありますですね」(石川p.281)と言わしめることになる*6
 それから、金澤といえば『辞林』『広辞林』で知られるが、石川著はこれらの辞書の成立事情についてもページを割いている。
 特に戦後の『広辞林』に関する話は、石山茂利夫『国語辞書 誰も知らない出生の秘密』(草思社2007)が詳しく、三省堂OBの小林保民氏のインタビューを面白く読んだことが有るが、石川氏はこの本も参照されている(pp.301-02など)。
 もっとも、小林保民氏による談話の部分は、この本からの孫引きではないようだ。というのは、石山著に小林氏の話として、

『コージ林』という書名のことも忘れがたい話です。書名は非常に大切で、『コージ林』はKOというO列の音にJI、RIとI列音が続いて最後がNで結ばれるから音韻上いいんだと、言語学者で名をなした先生らしく熱心にご説明なさっていました。(p.25)

とあるところが、石川著には、

戦後のことだが、金沢は同書店(三省堂書店―引用者)の辞書課員であった小林保民に、書名は非常に大切だと言い、「『広辞林』は「コー」という開口音が「リ」という「ラ行」の「イ列音」で引き締める効果があり、最後がnで結ばれるから音韻上いいのだ」と熱心に説明したという(小林保民氏談)。(p.205)

とあって少し異なっており、しかも、「あとがき」の「電話や手紙でご協力を頂いた方」のなかに、小林氏の名も見えるからだ。

頭の悪い日本語 (新潮新書)

頭の悪い日本語 (新潮新書)

新版 忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶い出の明治大正

新版 忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶い出の明治大正

国語辞書 誰も知らない出生の秘密

国語辞書 誰も知らない出生の秘密

*1:1973年刊の新版。

*2:この「選」は「それまでに刊行された」書籍から選った、という義だから、「正しい」用法である。

*3:石川著の巻末には、「濯足庵蔵書」から選りぬいた目録の目次が掲げてある。書目を見ると、そのあたりのことがよく解る。

*4:細かいことだが、引用部で「著眼」をそのままの表記としている。新字に基くのなら、「着眼」とすべきではないか。

*5:後者は、たとえば、「単語家族」説をとなえた藤堂明保なども同様のことを述べている。

*6:河野のこの発言は、「国語学」第五号に採録された座談会(出席者は、金田一京助、松本信弘、泉井久之助服部四郎亀井孝河野六郎で、司会が金田一春彦)での発言らしいが、「雑誌『国語学』全文データベース」(http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/list.php?n=1)では、ここだけ読めなくなっており、残念だ。