「福引」の本

晴れ。
かなりの時間を演習準備に費やしましたが、なかなか捗らない。
ひまひまに本を整理したり、読んだり。
整理していると出てきたのが、神鳥洞春亭編『新版 福引一千題*1』(東栄堂実用新書,1960)。昨年の夏に、京都の納涼古本まつりで入手した本。三百円。
編者の神鳥洞春亭が、どういう人なのかよく分らない。同じ東栄堂から出ている、『福引一千題(新版)』という本の著者「福島洞春亭」と関係があるのでしょうか(あるいは同一人物か)。また「旧版」が出たのも、いつのことなのか分らない。
「福引」とは、いわゆる「籤」ではなく、お題から連想される景品を当てて行くゲームのことです。「福引」の本は、大正時代あたりから昭和の末年度ころまで刊行されていたようで、まれに古本屋で見かけることがありますが、私がもっているのはこの本のみ。
ですから、神鳥洞氏が「序にかえて」で、

幸いにして本書が従来の類書の凡域を脱し、自由な感覚と新らしい境地に立つて、息苦しい生活の一隅にささやかながら憩いの役目を果し得ましたら編者望外の欣びに堪えません。

と書いているのですが、その「類書」のレヴェルが分りません。
けれども、これが面白い本であることは確かです。たまに「解説」の意味が分らないこともありますが、諷刺が効いていたり*2、当時の風俗が分ったりで面白い。
たとえば、「時事問題」には次のようなものがあります(「お題」、「解説」、「答え」=「景品」の順)。

二〇.「保守合同」→声ばかり→音盤
二一.「社会党統一」→身振りだけ→操り人形
三四.「独立日本」→名(菜)ばかり→大根の葉
三六.「吉田茂」→垢(赤)を嫌う→白足袋
三七.「緒方竹虎」→中味は古い→月遅れ雑誌
三九.「野坂参三」→根が赤い→ホーレン草
四〇.「徳田球一」→芯まで赤い→赤鉛筆
四一.「鳩山一郎」→アンヨはお上手ここまでおいで→幼児歩行器
四二.「三木武吉」→煮ても焼いても喰えぬ→金魚
四七.「岸信介」→動きそうで動かぬ→玩具の時計
四八.「佐藤栄作」→むいてもむいても皮ばかり→ラッキョウ
一二九.「国会議員」→一度は味つて見たい→ふぐ
一五一.「階級闘争」→上と下の戦い→ゴム付鉛筆

注意しなければならないのは、これらが「一九六〇年前後に書かれている」、ということ。過激すぎてここには書けなかったものもありますが、いかに皮肉が効いたものか、これだけでも充分お分りになることでしょう。
さて次は、「社会・流行」編。

二四九.「服も靴も」→月賦(ゲップ)→ラムネ*3
二五三.「インテリ」→口ばかり→鮟鱇
二五四.「アプレゲール」→あと先かまわん→劇場優待券
二五六.「サンマータイム」→ねむいねむい→合歓の花
二八二.「レビュー」→足をあげる→烏賊の足の天ぷら
二八六.「紙芝居」→飴(雨)で開く→傘
三〇五.「熊沢天皇」→吹きも吹いたり→ラッパ
三〇八.「法隆寺」→焼かねば客が来ぬ*4→蒲焼

「故事・演劇・謡曲」編・「格言・俗謡・俳歌」編から。

四二六.「芝高輪の」→泉岳寺(千書く字)→千字文
四三九.「勧進帳」→関(咳)を逃れる→咳止め薬
四六三.「藤十郎の恋」→いつわりの恋→玩具の鯉
五二三.「窮すれば」→通ず→下剤
五七三.「阿漕が浦に曳く網も」→度重なればあらはるゝ→重ねた足袋
六二四.「恋*5という字を砕いてみれば」→糸し糸しという心→糸二かけ
七一四.「あらざらんこの世の外の思い出に」→今一たびの会う事もがな→足袋片方

最後に、「自然・風物」編・「雑題」編から。

七五二.「春の夕」→暮(呉)れそうでくれぬ→なし
七八八.「大菩薩峠」→机で光る→電気スタンド
八二五.「初恋」→気(木)をもむばかり→錐
九〇六.「腐れ縁」→切っても切れぬ→玩具の刀
九一七.「吝嗇(けち)ではないが」→半けち→手巾
九二五.「惚れて通えば」→千里も一里→地図
一〇〇三.「鉄面皮」→むかれても平気→らっきょう
一〇四五.「貧乏書生」→おあし(足)がない→だるま
一〇八一.「片思いののぼせ加減」→振られて初めて下る→体温計
一一七九.「下手な落語」→まずい下げ(酒)→カストリ

*1:正確には、一千二百題。しかし、重複しているものや解答の脱落しているものもあり。

*2:ここに書くのが憚られるような、過激な「お題」もあります。

*3:このギャグは、小津映画にも確か出てきました。

*4:法隆寺金堂壁画焼失事件は、昭和二十四年のできごと。

*5:新字体では分らない。