日記から

 日記を読み返してみて、今年は訃報つづきだったな、とおもう。たまたまなのかもしれないが、訃報ばかり記していたような記憶がある。一月十五日(金)には「双葉十三郎の訃。享年九十九」と記し、翌十六日には「元巨人・阪神エースの小林繁さんの訃。享年五十七」と書いた。二月九日(火)には「立松和平がきのう亡くなったという。享年六十二」とあるし、十二日(金)には「双葉十三郎、浅川マキ、サリンジャー立松和平など、このところ著名人の訃報つづき」だ、と書いている。十八日(木)には、「藤田まことが、きのう死去したという(享年七十六)」、と書いた。そのあとすこし間があくが、それは私自身のモノグサ(?)な性格に由来していて、日記を書いたり書かなかったりだったので、単に訃報を記していないだけだ。
 四月十五日(木)には、「中田祝夫先生の訃を知る。享年九十四」。五月六日(木)には、「佐藤慶の訃報聞く。享年八十一」、翌日には、「先月、北林谷榮が亡くなっていたことを知る。享年九十八」。六月三十日(水)には、「パク・ヨンハ*1の訃。享年三十二」。さらに、七月十二日(月)にはつかこうへいの、二十五日(日)には森毅先生の訃報があった。「森先生、前が…」のCMが懐かしい。その翌々日には早乙女愛が亡くなったと知り驚いた。八月二十三日(月)には、「梨元勝の訃報。享年六十五とか」。三十日(月)には、三浦哲郎山本小鉄の訃を記している。
 九月に入ると、十一日(土)には谷啓小室直樹の逝去について書き、十八日(土)には「Kちゃんからの電話で、小林桂樹*2が亡くなっていたことを知る。一昨日、八十六歳で亡くなったという」とある。また三十日(木)には、池内淳子トニー・カーティスの死について書いている。月がかわって十月七日(木)には「大沢啓二さん死去。享年七十八。ついこの間まで、お元気そうだったのに」と書き、十二日(火)には、「ひる、池部良の訃報(享年九十二)。また、今更ながら、榊莫山の訃を知る。合掌」、と書いている。そして十一月十七日(水)には、「帰宅後、ネットで黒岩比佐子さん逝去の報を知る。享年五十二」。遺著は、東京で見かけたが手持ちがなく買えず、立読みもほとんど出来ずにそのままとなっていたが、この直後、買いに走ったのである。「J」に行くと、前日の在庫分が七冊(初刷)だったのに、その日には三冊になっていた。その書店だけで、一日に四冊売れたのだった。
 ただ見落とした日記の箇所があるかも知れず、いま「週刊現代」の特別企画「永遠のお別れ」を見てみると、次の方々の訃報が載っている。田の中勇(一月十三日歿)、ミッキー安川、ロバート・B・パーカー(ともに一月十八日歿)、南方英二(二月二十六日歿)、清水一行(三月十五日歿)、木村拓也(四月七日歿)、井上ひさし(四月九日歿)、ラッシャー木村(五月二十四日歿)、夏夕介(一月二十七日歿)、玉置宏(二月十一日歿)、デニス・ホッパー(五月二十九日歿)、梅棹忠夫(七月三日歿)、初代若乃花(九月一日歿)、コロムビア・ライト(十月二十六日歿)、野沢那智(十月三十日歿)、佐野洋子(十一月五日歿)、星野哲郎(十一月十五日歿)……。日記でその訃報に触れた記憶がある著名人もたくさんいる。
 最近では、シルヴィアが亡くなったことや、朝倉喬司が亡くなったこと(神保町のオタさんのブログで知った。なお、「晴耕雨読」12月11日の條*3も参照)、昨晩帰宅後には(深夜ニュースで)正司玲児死去の報を知った。
 ご冥福をお祈りします(享年は満年齢)。

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 日記をざっと読み返したので、印象に残った今年の「書店エピソード」をいくつかご紹介する。

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七月某日。(略)書店街を素見しながら、ふと左手を見遣ると、真っ暗な店内の丸椅子におばあさんが腰かけておられたので入る。A書店だった。おばあさんが、「暗くてごめんなさいね。つけ火のせいで…」と仰るのだが、はじめはよく意味がわからず、ただ頷くだけだった。話をするうち、次第に事情が明らかとなった。なんでも隣の二階(ラーメン店)にアルバイトで勤めていた在日韓国人の男性が、店の金を盗むために放火し、それが延焼してA書店の二階も全て灰になったとの由。品物は、いちおう倉庫から出してきたものを並べているようだが、消火活動の際に少し水がかかってしまったのか、雨漏りのせいか、ヨレのみられる本も少なからずあって、痛々しかった。「疲れたときはね、ウチの人なんかも、耳もとでパチパチッて音がするというので、ハッと目が覚めたりするんですよ」「ほんとうにイヤなのはもらい火ですよね」と、おばあさんは寂しそうに笑った。地主とも係争中だそうで、お辛そうだった。今の私には、ほんの少しだけ、本を買ってあげることしか出来ない……。(略)(釣りの)50円をオマケで返してくれることに。「せっかく四十五年もやってきたのにねぇ…」、とおばあさんは語った。また、「早く(あなたに)えらくなってもらって、なんとかしてもらわないと…」とも仰った。無力な自分が情けない。

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八月某日。(略)『明智左馬助の恋』を手に持って棚をながめていると、(M書房の)店長さんに、「それ三部作でっしゃろ? 前の二冊、おもろいと思たんでずっと置いてたんやけど、あるときパッパッと次々に売れて、いったいどなたが買うていかはったんか思うとりましたわ。あなたでしたか。また欲しい本あったら、いつでも連絡くださいね」、とニコニコしながら話しかけられた。「で、読後、どないな感想を持ちはりましたか」。そして、ひとしきり本についてあれこれ話す日曜の昼さがり。町の小さな書店でも、誰がどんな本を買ったかということを気にしてくれる店長のいる店というのは、うれしい。

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十月某日。朝、書店「G」から、なんと××全集の月報(揃)が届いた。直ちに返事の手紙を書き、午後投函。九月、ネットでかなり廉価の××全集を見かけて、すぐに注文したのである。説明には「月報揃」とあったが、そのあと届いたものには入っていなかった。「もしかすると月報を一緒にお送りくださるのをお忘れになっていたのではないでしょうか」、とメールをお送りすると、月報はもともとついておらず、「当方の初歩的なミス」だとのことで、「ただちに返金致しますので着払いでお送りください」、という内容の返事があった。もちろん月報も欲しかったし、それがために購入を決意したという面もあったのだけれど、そうはいっても、やはり本体のほうが大事なので、このまま商品は引き取ります、と返事をしておいたのだった。そうして諦めたことで、先方が申しわけなく思われて、手を尽くして探してくださったのだろう。嬉しさも倍増するというものだ。丁寧な手紙も添えられており、「私成に努力し、月報を手に入れる事が出来ました」と書いてあったが、実は、そう易々と入手できるシロモノではない。手紙にはこうも書かれていた。「××様のお心が和まれる様であれば幸いでございます」。いえいえ、和むどころか、本当に嬉しくて、その日、月報とお手紙を枕元に置いて寝たのですよ。Gの店主さん、本当に有難うございます。

*1:今月十七日、「徹子の部屋」の追悼特集に出るらしい。母はファンなので、喜んでいる。

*2:同じく「徹子の部屋」の追悼特集で紹介されるらしい。日本映画専門チャンネルなどでも、追悼特集がやっていた。

*3:http://homepage2.nifty.com/20seiki/diary2/new.html