澁川伴五郎

島尾敏雄魚雷艇学生』(新潮文庫)が安いので、(午食のかわりに)つい買う。正直にいうと、帯の、「読者リクエスト多数につき緊急復刊! 『死の棘』に並ぶ島尾文学の最高峰」という惹句につられました。まだ、『死の棘』さえ読んでいないというのに。
そういえば、西堂行人さんによる『「死の棘」日記』の書評が、紀伊國屋書店の書評空間で読めます書評空間はまだ始まったばかりですが、これからの展開が楽しみです。
夜、築山光吉『澁川伴五郎』(1922,日活)を観る。撮影は松村清太郎。主演は尾上松之助(澁川伴五郎)。残念なことに、松之助主演映画のうち完全な形で観ることができる作品はこれ一本のみだそうです*1。「目玉の松ちゃん」はさることながら、ほとんど素手で戦う淺山一傳齋(尾上松三郎?)が文句なく格好良い。
澁川伴五郎は、十七世紀前半に実在した柔術家。かつては、土蜘蛛退治の講談でよく知られていたそうです。門人の黒崎典膳が、伴五郎の父・澁川幡龍軒(嵐璃珀)に、伴五郎の行動(飛入相撲に参加したこと)を誇大に報告するところから物語が始まります。それを聞いた幡龍軒、ただちに伴五郎を勘当します。行くあてのない伴五郎は、魚屋金八のもとに身を寄せ、魚売りに身をやつします。その後、有馬公(市川壽美之丞)の粋なはからいで伴五郎と幡龍軒は復縁するのですが、腕を見込まれた伴五郎は、霧島山中の妖怪「土蜘蛛」を退治するよう仰せつかります。
いっぽう、澁川の道場破りに失敗した水上武太夫が、同藩のよしみから黒崎典膳と手を結び、闇討によって幡龍軒を殺してしまいます。伴五郎が、不倶戴天の敵、武太夫・典膳と対峙するまでがまた面白いのですが、くわしくは書きません。
題字とともに「舊劇」という文字があらわれるように、この作品は歌舞伎の影響を随所にみることができ、たとえば「女優」は使わず「女形」を使っていたり、大立回りのさいには見得を切らせたりします*2。また、フィルムを逆回転させるなどのトリッキーな撮影技術は新鮮で、現在からしても充分に鑑賞にたえうるものだと言えましょう。圧巻は、やはり土蜘蛛との挌闘シーンで、これはけっして短いシーンではないのですが、まったく冗長にならないところがさすがです。
ちなみに、今年は尾上松之助の生誕130年に当る年です。そこで、松之助にかんする裏話をひとつ。

松之助映画のほとんどはシナリオがなかったという。なにしろ、多い時には年間80本も製作されたのだから、物理的にもシナリオを準備する時間がなかったのだろう。撮影当日に、牧野省三監督が講談本を持って現れ、その場でキャスティングが決められ、脚色がほどこされていくなどという乱暴なやり方も日常茶飯事だった。しかも、同じ日に3本、4本が並行して撮影されたことすらあった。
(『週刊 日録20世紀』講談社.第2巻第34号,1998.p.5)

松之助映画は約1000本も製作されたというのに、フィルムがほとんど現存していないのは非常に残念なことです。ついでに、有名な牧野省三『豪傑児雷也』(1921,日活)も観たのですが、感想はまた後日。

*1:『澁川伴五郎』じたいは、松之助主演のものだけでも幾つか製作されているらしい。

*2:バンツマが、『血闘高田の馬場』などでみせた立回り(ジャズダンスを取入れている)とは対照的です。