読書メモ抄

九月某日
 Mの均一棚でひろっていた、鍬本實敏『警視庁刑事―私の仕事と人生』(講談社文庫)を車中読む。聞き書き形式。鍬本氏のことは、高村薫マークスの山経由で知り、その著作も出久根達郎『粋で野暮天』(文春文庫)で紹介されているので知ってはいた(「刑事の仕事」。)しかし、こんなに面白い本だったとは(たたき上げ、ということでは、萩生田勝『刑事魂』ちくま新書、も面白かった)。
 鍬本氏は熊本出身で、生家周辺の話もある(pp.193-99)。恐ろしいほどの記憶力で、交友関係、関わった事件のこと、色々と語っていてすこぶる面白い。「築地八宝亭事件」とか「カービン銃公金ギャング事件」とか、それなりによく知られた事件(後者はたしか映画化されている)から、「古本屋殺し」(pp.87-96)「ドヴォルザークが好きなスリの話」(pp.172-74。それ以外に仕立屋銀次の直系のスリも登場)まで、世に知られていないが印象に残る事件も出て来る。ほかに、渋谷實の『自由学校』撮影時の話(p.24)、越路吹雪との交流(p.215-20)、それから趣味の話など、どれも楽しい。「あいうえお」順でなく、「いろはにほへと」順で何かを分けるという話(p.201)、このような習慣が残っていたのはいつまでだろうか、阿辻先生が新書か何かでふれていた覚えがある。
 巻末に、高村薫出久根達郎のエセーはもちろん、小杉賢治、宮部みゆきのエセーも収録。出久根氏のは「笑顔の人」というタイトルで、それを読むと、「拙作『佃島ふたり書房』を世に出して下さったHさんから、(鍬本氏を―引用者)紹介していただいた」のだそうで、実際に鍬本氏と会われたらしい。しかしそこでは、ほとんど予備知識もなしに会われたような書きぶりである。一方、『粋で野暮天』の「刑事の仕事」は、冒頭で「たまたま抜群に面白い本をみつけた」(p.29)と述べ、鍬本著の魅力について語っているだけで、鍬本氏に会ったということはまったく書かれていない。
 出久根氏が『警視庁刑事』を読まれたのは、面会後のことであったのか、そうでなかったのか。細かいことが気になる。
 ところで鍬本著に、「ロクとは南無阿弥陀仏の六文字からとった死ぬということです。(略)ロクは警察隠語です。一般の人にわからぬように遣うんです。素人は、反対でトウシロウ。捜査本部の名前を戒名というんです。まあ檀家というのもこんな関連の隠語ですかね」(pp.15-16)。そのほか、箱師だったりゲロだったり、隠語がちらほら。それで、飯田裕久『警視庁捜査一課刑事』(朝日文庫をとり出す。この巻末に、「警察隠語集」というのが収めてあるのだ。「ガイシャ」が「主に映画、ドラマの用語」で、「マルガイ」が一般的だというのはこの本で知ったのだったが、最近は、「マルガイ」のほうもドラマによく出て来る。しかし鍬本氏の話に出る隠語は、まったく載っていない。わかりやすいから省いたのか、それとも、あまり使われなくなったということか。そこで楳垣実編『隠語辞典』(東京堂出版を引っぱり出してきて「ロク」を引いてみる。「ろく」有り、昭和期の隠語との由、もとになった「ろくじ(六字)」は明治期の隠語とのこと。
 ついでに樋口榮『隱語構成樣式並に其語集』(警察協會大阪支部を再読したくなるが、見つからず。きっとあのあたりの箱に入っているのだろう、などと思うだけ。(最近のコンビニ本、『日本のタブーXX』、玉石混淆だが、タクシー業界やデパート業界の「隠語集」あり、しかし警察隠語無し)
 また礫川全次『隠語の民俗学』(河出書房新社に「『ろく』と猿錠」なる項あり、しかしこれは、「ろくいち」との関連で書かれたもので、「ろくじ」由来のものとは関係がない。

十月某日
 露伴『風流佛・一口劒』(岩波文庫250円を購い、読む。昭和二年九月刊の初版である。表紙に蔵印がべったり押されているが、状態は良好。おそらく手持ちの岩波文庫のうちもっとも古いもので、通し番号は「95」。とはいっても、第二次の刊行文庫である。一回目(昭和二年七月)が三十一点、二回目が二十八点で、しかもたとえば米川版トルストイ戦争と平和』に二十二冊費やしたりしたから、たった二回の刊行でこれだけの番号になるのである。初期の岩波文庫は毎月刊行でなかったとはいえ、どれほど無茶をしていたかがよく分る。(岩波の「読書子に寄す」のパロディは、『花のパロディ大全集』にあるのだったかな。)
 同書の巻末に既刊続刊案内が附してあるが(西鶴のが『當世胸算用』、となっている)、これだと、どれが第一回分でどれが第二回分なのかわからない。こういうときには、山崎安雄『永遠の事業 岩波文庫物語』(白凰社)を参照する。同書には、第一回から第四回(昭和三年五月)までの刊行書目が挙げてあるからわかりやすい(p.17-p.62)。
 ところでこの山崎著、異版の話や裏話など、色々なエピソードが紹介されていて面白い。ひっぱり出したついでに再読、田部重治訳『ペーター 文藝復興』の翻訳時の苦労を、訳者自身が書いた「文庫」(1957.5)所収記事から引用してあったので、一寸孫引きすると、「ペーターの書物に表われた『カルチュア』(Culture)をどう訳すればよいかに悩んだ。(略)そこで色々考えたあげくに私は『教養』という言葉をこしらえたらどんなもんだろうかと考えはじめた。/東京へ帰り九月になって(略)『教養』という言葉に関して、時の東大講師兼女子高等師範学校垣内(かいとう)松三君の意見をただしたところ、それを是非用いるようにと激励された。(略)少なくとも『教養』という言葉を作ったのは大正三年八月のことである」(p.261)。
 実は、「教養」を作ったのは田部である、というのは誤りで、「教養」という語はもっと以前からある。しかし、「教養」を Culture の訳語としてあてたのは、あるいは田部が最初だったかもしれない。日本国語大辞典【第二版】』(小学館の「教養」項、その語誌欄をみると、「教養」のこの意味での使用は〈大正時代以降か。阿部次郎の「三太郎の日記」には、「特殊なる民族的教養(注、文化的知識)と」のように、「教養」が使用され、そこには注記が施されている。英語の culture やドイツ語の Bildung の訳語という意識で、新しい意味での使用を意図した注記であろう〉、とある。『三太郎の日記』は1914-18年に書かれたらしいが、当該箇所はどのあたりか。合本版、たしか持っていたのだが、何処へ行ってしまったのか(「補遺」ならすんなり出て来た)。
 はたして田部の証言は、阿部以前のものなのかどうか。微妙なところである。

十月某日
 ひとり「丸谷才一追悼企画」で、『横しぐれ』(講談社文芸文庫読む。小谷野先生もアルファベータの書評集で絶讃していた作品。作中、「高見の見物」という重言を発見。初出のままか? 表題作に、『新古今和歌集』と御霊信仰とを結びつけたくだり(p.104)があるが、丸谷氏には、『千載和歌集』と御霊信仰とを結びつけた持論もあり、これは石川淳との対談「本と現実」(『文学ときどき酒―丸谷才一対談集』中公文庫所収、初出は「すばる」1980.11)などで披露される。こういう「大風呂敷」も、丸谷式文藝評論の魅力だったりするわけで、「男泣きについての文学論」(『みみづくの夢』中公文庫)など、その真骨頂といえるのではないか。中公文庫版解説の川本三郎氏が、丸谷氏の「大胆な『仮説』」の例として、「男泣き〜」を挙げ、日常的なものでありながら従来の文藝評論では取上げられなかったテーマで云々、と書いていた。ところで川本氏には、「アメリカ映画に見る『泣く男』の系譜」という評論もあって、アメリカン・ニューシネマはタブーだった「泣く男」を堂々と見せた、と論じている(マイ・バック・ページ―ある60年代の物語』河出文庫pp.43-44)。だから、やはり「男泣き〜」には、タイトルからして興味をひかれたのであろう。「泣く男」の話は、河出版『マイ・バック・ページ』解説で鹿島茂氏が、また、こないだ文庫化された『いまも、君を想う』(新潮文庫解説でも佐久間文子氏がふれているから、川本著の愛読者にとってはすでにお馴染みなのか。
 さて今日の車中読書は、『みみづくの夢』。そうすると今度は、「わきくさ物語」をおさめた金関丈夫『木馬と石牛』を読みかえしておかねばならぬ、という気になる。岩波の新編文庫版は所在不明、『木馬と石牛―民族学の周辺』(角川選書1976)は見つかったので、こちらで「わきくさ物語」を再読。
 同書の末尾に「竹取物語の『富士』の口合(くちあい)」あり、これはたしか、岩波文庫版は収めてなかったのではないか。『竹取物語』は再読した際、「よばひ」「あへなし」等とともに「ふじの山」に触れつつブログに記事を書いた記憶がある(※ここに書いていた。なんと、もう六年も前である!)。
 そういえば。丸谷氏の付句「モンローの傳記下譯五萬圓」に、大岡信が「どさりと落ちる軒の殘雪」と付けた話について、小谷野先生がブログで書いておられたが、これは先生の仰るとおり、やはり石川淳丸谷才一大岡信・安東次男『歌仙』(青土社に出て来る。初出は「図書」(1974.3)。
 次第を述べておくと、「新酒の巻」第六の句(雑)が「引くに引かれぬ邯鄲の足」(石川淳)で、これに対して丸谷氏は困ったあげく、「だれかの伝記にしようと思って考えて、(略)ふっとモンローが現れ」、「モンロー以外は全部だめだ」と思ったのだそうだ(p.53)。しかも、「邯鄲の足」からの聯想で、「モンロー・ウォーク」が「意識の底に」あったことを認めているのだが、そのきっかけとなった石川の発言が誘導訊問めいているから、果してどこまで本気なのかわからない。
 文芸文庫版『横しぐれ』は、冒頭の表題作のあとに『だらだら坂』を収める。ちなみに前掲『歌仙』の「新酒の巻」の次が「だらだら坂の巻」で、丸谷氏の発句が、「時雨るゝやだらだら坂のくろ光り」。上五句はもと「初しぐれ」だったのを、安東次男が「時雨るゝや」と直したという(『花づとめ』にその経緯が書かれているらしいが未見)。そして『横しぐれ』中には、「右近の橘の実のしぐるるや」「しぐるるや郵便やさん遠く来てくれた」などという山頭火の句が見える。そもそも「横しぐれ」自体歌語であるし、もしかすると『横しぐれ』や『だらだら坂』は、丸谷氏が歌仙を巻く過程で着想をえたものなのかもしれない。
 それから『低空飛行』(新潮文庫―たしか鷲田小彌太氏が随筆のベスト本に挙げていた―に、安東次男について述べたエセーが収められているはずだと思いながら、取り出してパラパラ見てみると、やはりあった。「宗匠」には、安東について、「この宗匠はなかなかきびしくて、連衆の出す付句をおいそれと採用しないし、ぶつくさ文句ばかり言ふ。はなはだしい場合には、(略)わたしの本職である小説を批評し、毒のある台詞を吐くし、(略)癪にさはることこの上もないが、それどもじつと我慢してゐるのは、さばきがいちいちもつともだし、それに彼が付けると段ちがひにうまいからである」と。また「雪の空」に、「最初の歌仙、威し銃の巻をやうやく巻き終へたとき、安東さんが満足さうに、『歌仙をおしまひまでやつたのはこれがはじめてだが、やはりいい気持なものだね』としみじみ述懐したのには呆れ返つた」と。
 ところで『横しぐれ』には、上田都史『俳人山頭火』『人間尾崎放哉』などが引用されているが、上田都史といえば、わたしにとっては、『現代妖怪学入門』(大陸書房の著者、なのである。(※この記事につけくわえるべきことであったと今にしておもうが、上田著は、「ノッペラボウ」には三種あると述べている。pp.237-38)。この四六判ソフトカバーの大陸書房のシリーズは、みな白背で、斎藤守弘の著作もはいっているようだが、早川純夫『日本の妖怪』(1973)しか持っていない。集めて本棚に排べると壮観だろうな。
 また、山頭火『草木塔』(八雲書林)をとり出してすこしだけ読む。

警視庁刑事―私の仕事と人生 (講談社文庫)

警視庁刑事―私の仕事と人生 (講談社文庫)

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

横しぐれ (講談社文芸文庫)

横しぐれ (講談社文芸文庫)