OED余話

 実はここで書きたいと思っていた話がもう一つあって、それは外国(多分、英国)のある辞典の編集・改訂にかかわることなのです。編者が辞典のなかのことばについて、適切な用例、信頼できる典拠を求めようと、広く世間の人たちに呼びかけたところ、実に有益な情報を教えてくれる手紙が、何年にもわたって届きます。ずいぶんレベルの高い、こんな本まで目を通しているのかといった文献の使用例です。その差出人を調べたところ、ある刑務所の囚人であった、というのですが、この話をどこで読んだのか、いま心当たりを探しても見当たりません。もし、ご存じの方がおいででしたら、どうぞ教えてください。
増井元『辞書の仕事』岩波新書2013:5-6)

 増井氏がどのような本(?)をお読みになったのかはわからないが、その本が参照したのは、サイモン・ウィンチェスター/鈴木主税訳『博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(ハヤカワ文庫NF,2006)だったのではないか知ら(わたしはこの日に買っているが、もう七年以上も前のことなのか)。
 あるいは、同著者による"The Meaning of Everything"かも知れないけれど。
 このエピソードについては、丸谷才一のエセーでも読んだばかりだった。

イギリスの『オクスフォード英語辞典』をめぐる逸話はよく知られてゐます。この辞典のはじめのほうの巻が出ると、あげてない珍しい用例を次々に送つて来る人がゐる。すごい学力であり、途方もない閑暇である。一体どういふ人物だらうと編集部が探索した結果、その投書者は殺人犯の死刑囚とわかつた、といふ話です。
(「辞書的人間」、丸谷才一『星のあひびき』集英社文庫2013:309)

 「よく知られてゐ」る「逸話」という形容矛盾が出て来るのが、丸谷氏にしては珍しい。しかも、「死刑囚」、というのは誤りだろう。「刑務所の囚人」というのも実は正確ではないので、ウィリアム・マイナーは、たしか精神病院に隔離されていたはず。
 こちらにも、"Minor was found not guilty by reason of insanity and incarcerated in the asylum at Broadmoor in the village of Crowthorne, Berkshire."(マイナーは精神異常のために無罪を言い渡され、バークシャー州クロウソーン村のブロードムア病院に収容された)、という一文が見える。

辞書の仕事 (岩波新書)

辞書の仕事 (岩波新書)

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

星のあひびき (集英社文庫)

星のあひびき (集英社文庫)