辞書にない言葉

◆このあいだやっていた『探偵!ナイトスクープ』に、「物産飴売」の話題が出て来て、宮田章司さんが登場した。『江戸売り声百景』(岩波アクティブ新書)、買おう買おうとは思いながら、未だに購入していない…。
室町京之介『新版 香具師口上集』(創拓社,1997)の pp.170-71 にも「物産あめ売り」が出て来る(附属CD「坂野比呂志のすべて」にも収録されている)。「久留米梅林堂は、当所出張販売店」という箇所を、依頼者の母君は、「東京出張販売店」と間違えて記憶していたようである(そういうヴァリエイションのものが、もしかしたらあるのかもしれないが*1)。
山村修『書評家<狐>の読書遺産』(文春新書)に、『婦人家庭百科辞典』(ちくま学芸文庫)のことが語られている(pp.119-22)。そこで山村氏は、武藤康史氏による「解説」の「『日本国語大辞典』に載っていないことばがあったら、とりあえず『婦人家庭百科辞典』を引こう!」という提唱に共感しつつ、「ラクトーゲン」ということばが『日本国語大辞典【第二版】』にも『世界大百科事典』にも見当たらないことを指摘、それが『婦人家庭百科辞典』にはちゃんと載っていることに気づいて、「手もなく感動した」、と述べている。
これと関連することだが、「このコトバは辞書にない」という断定(キメツケ)口調は非常に危険だ。その「辞書」というものが、『広辞苑』のみを指していたりする場合もあるのだから困ってしまう。しかし、いわゆる俗語、専門・業界用語のたぐいを辞書が拾っていないということは、勿論しばしばある。
最近、なんとなく読み返しているメルヴィル著 八木敏雄訳『白鯨(中)』(岩波文庫)に(この訳書は、山村前掲書も取り上げているがそれは偶然である)、こんな文章があった(pp.130-31)。

ところで「ギャム」(GAM―引用者)とは何か? 人差し指がすりへるほど辞書のたぐいを引いてみたところで、そのことばに出くわすことはあるまい。ジョンソン博士の博識もそこまではおよばなかったし、ノア・ウェブスターの箱舟もそれをのせてはいない。にもかかわらず、この意味深長なことばは一万五千人の生粋のヤンキーによって長きにわたり使用されてきた。たしかに、この語は定義され、辞書に収録されてしかるべきである。

文中の「ジョンソン博士の博識」というのはサミュエル・ジョンソンによる英語辞典(1755刊)、「ノア・ウェブスターの箱舟」というのは『ウェブスター大辞典』(初版は1828刊)の比喩である。
「『ウェブスター大辞典』の第二版が出たのは一八四〇年であるが、メルヴィルが所有していたのはこの版であった。「ノア・ウェブスターの箱舟」とはこの大型版の辞書をさす。ちなみに、現在世界最大の英語辞典OEDは捕鯨船の洋上での「交歓」としての“gam”の語を『白鯨』のこの章の事例から採録している」(p.478)という、八木氏による「痒いところに手が届く」訳註が嬉しい。「このコトバが辞書にはない」、という指摘がそのまま辞書の用例になるというのは、おもしろいことである。
ちなみに、『ウェブスター大辞典』については、こんな話が有る。
まず福澤諭吉『新訂 福翁自伝』(岩波文庫,1978)に、「その時(万延元年旧暦の三月、サンフランシスコを出帆する直前―引用者)に私と通弁の中浜万次郎という人と両人が、ウェブストルの字引を一部ずつ買って来た。これが日本にウェブストルという字引の輸入の第一番、それを買ってモウ外には何も残ることなく、首尾よく出帆して来た」(p.118)とある。しかし、この記述は誤りなのだそうだ。
たとえば、高梨健吉『文明開化の英語』(中公文庫,1985)には次のようにある。「ウェブスターが日本にもたらされたのは、『福翁自伝』に、「是れが日本にウェブストルという字引の輸入の第一番」とあるが、これよりさきに、ペリー来航のとき、通訳の森山栄之助はウェブスター大辞典を一冊贈られている。森山はこの辞書を用いて英語の勉強をしたことであろう(『柴田昌吉伝』)」(p.51)。しかも、福澤諭吉のいう「ウェブストルの字引」は「大辞典(アンナブリッジド)ではなくて、簡約版(アブリッジド)であった」(同前)そうな。
◆「辞書にないコトバ」、で思い出したが、私はつい最近、「合ハイ」ということばを知った。吉行淳之介『不作法対談』(角川文庫,1973)に収められた(岡崎武志『読書の腕前』光文社新書p.236 には、この本の対話者一覧が掲げられている)、吉行と福地泡介との「断絶対談」においてである。

福地 それで「合ハイ」なんか提案するのがいるんですよ。
吉行 「合ハイ」というのは初めて聞いたなァ。
福地 初めて? やっぱし古いな。
吉行 古いんじゃなくて、何かなさけないというか……。

この対談の後半部は、「合ハイ」の話題ばかりなのだが、では「合ハイ」とは何か。
米川明彦編『日本俗語大辞典』(東京堂出版,2003)には、「(「合同ハイキング」の略)男女合同でハイキングに行くこと。学生語。今では死語」とある(『日本国語大辞典【第二版】』には、「合同ハイキング」も「合ハイ」もない)。その用例としては、1960.11.16付の『朝日新聞(夕刊)』の記事――「合同ハイキングを略した合ハイという言葉も一般的だ」――や、泉麻人『地下鉄100コラム』58(1999年)――「僕らの頃は、もう一つ『合ハイ』というのがあって、男女混同で高尾山や秋川渓谷へ"合同ハイキング"に行ったりする催しを、そう呼んでいた。(略)いまや『合ハイ』の方はほとんど死語になってしまった感がある」――を引いている。
泉氏の文章と朝日新聞の記事との時間的な隔たりから考えると、「合ハイ」はすくなくとも二十年くらいは命脈を保っていたということになろうか。
◆むこう三箇月以内に、東京へ行けるかもしれない。そのときは、この店(古書肆)に行き、そしてあの店(もちろん古書肆)にも行き、出来ればあの人にも会いたいなあ……、と期待に胸をふくらませる一方だ。もっとも、胸がふくらむばかりで夢に終わる可能性がないでもないのだけれど。

*1:後から気がついたが、依頼者の出身は大阪だったかもしれない(ヴィデオには録画していないので確認出来ず)。すると「当所出張販売店」という文句のままでは、意味をなさないことになる。