忘れられる過去

 今朝の読売新聞の「ポケットに1冊」が、荒川洋治さんの『忘れられる過去』(朝日文庫)を紹介している。記事には、「本の年譜、注解から索引、検印から価格まで、その細部の面白さを、これでもか、というほど書く。本は読むだけのものではない。眺め、触り、においを嗅ぎ、時に打ちのめされる、生活の友なのだ」、とある。
 私はこれを単行本では読んだことがなく、文庫化されてはじめて手にとってみたのだが、一篇一篇、おもしろく読んでいる。
 同書におさめられた文章のうち、「会っていた」「道」「本を見る」のみっつは、朝日新聞の連載記事「いつもそばに本が」が初出で、これらはこのほど、『いつもそばに本が』(ワイズ出版)のなかにまとめられたから、そちらでも読める(75人中73人の記事が収録された。今となっては亡くなられた方も少くない)。
 じっくり読んでいるので、色々の固有名詞が記憶にとどまって、自然と関心もひろがる。たとえば、「読書のようす」で言及されるアナトール・フランスの『シルヴェストル・ボナールの罪』(伊吹武彦訳・岩波文庫*1を某大近くのO書店の文庫棚にて数百円で見つけたときは躊躇なく買ったし、同じ文章のなかに出て来るアーノルド・ベネットの『文学趣味―その養成法―』も、先日某大そばのY書店で数百円のを見つけたので買ってきた。ちなみに荒川氏は、「イギリスの批評家アーノルド・ベネットの名著『文学趣味』(一九〇九)によると、収入の五パーセント以上を本代にあてるのが、読書家の条件らしい」(p.35)と書いておられるが、その『文学趣味』(山内義雄訳・岩波文庫)を見てみると、「マーク・パティソン(譯註、一八一三‐八四、英國の神學者、批評家)の定めた掟によれば、愛書家の名を望む者はその收入の五パーセントを書物に費さざるべからず、とある」(p.130)と書いているから、正確には、ベネットが紹介したパティソンの言葉、ということになる。
 また、「社会勉強」では、シュティフターの「晩夏」をひきながら、「西洋型教養」「社会勉強」の定義について考察されている。私にとっては、「晩夏」も「遠い名作」(荒川氏にとっての「遠い名作」は、『失われた時を求めて』だという)のひとつで、そういえば渡辺京二『細部にやどる夢―私と西洋文学』(石風社)にも、「彼(シュティフター―引用者)の大作『晩夏』は名のみ高くしておよそ読まれぬ作品であるらしい。ヘッベル(略)は、この小説を読み通した人には、ポーランドの王冠を進呈すると極言したそうだ」(p.28)、とあった。
 それから、先に言及した「道」には、「地方から東京へ、地方から大阪へなど、踏み固めた道が話題になることが多いが、それだけではない。人は他にも道をもつ。能登から京都、伊那から福山、広島と益田というように。/そんな道がいくつも、いくつもあるのだ。踏み固めた道より、こうした個々の道を、文学は記録する」(p.19)という、印象的な文章がある。私はこれを読んで、「大館から阿仁へ――「菅江真澄遊覧記」」、「岡山から岩国へ――古河古松軒「西遊雑記」」、「日光から新潟へ――イザベラ・バード「日本奥地紀行」」、「越後湯沢から秋山郷へ――鈴木牧之「秋山記行」」などといった章題をもつ、加藤秀俊『紀行を旅する』(中公文庫)を手にとって読んだりしている*2。この『紀行を旅する』の「富山から穴水へ――パーシバル・ローエル「能登」」という章が、ちょうどいま読んでいる、加藤秀俊『メディアの発生―聖と俗をむすぶもの』(中央公論新社)第九章「「節」の研究――説経から演歌まで」冒頭の、「珠洲にはむかし穴水をたずねたときに寄って一泊したことがある」(p.399)云々、という記述とリンクしている。もっとも、『紀行を旅する』で加藤先生は、伏木から氷見へ、そしてその町はずれの泊(とまり)まで行き、ふたたび氷見の阿尾までひき返して荒山峠を越え、鹿島→和倉温泉→穴水というルートをとっておられる。したがって、このときは北の珠洲までは足をのばされていないようだ。
 「富山から穴水へ」には、「わたしはこれまで二、三回、奥能登の村にはいっている」(p.150)とあるから、『メディアの発生』に書かれているのは、たぶん、『紀行を旅する』が著される以前のことであろう。

*1:荒川氏は、この本を「愛書家が、読書への懐疑をつづる深みのある作品」(p.37)と評している。

*2:鈴木牧之といえば『北越雪譜』の著者で、拙ブログでも触れた(?)ことがある。牧之については、高田宏『雪日本 心日本』(中公文庫)の「雪譜学者 鈴木牧之」が手軽に読めて参考となる。同書で高田氏は、「牧之の別著『秋山記行』についても触れる余裕がない」(p.297-98)と書いておられるから、これは加藤著と補いあう関係にある。なお、高田著の「激情歌人 山川登美子」の山川登美子や、「愛書人 佐藤義亮」に登場する平福百穂は、その作品が今月の岩波文庫に入ったから、これらを読むと、ますます読書欲が刺戟される。