「鮭」字をめぐるはなし

 柏木如亭(1763-1819)による「新潟」詩は、如亭の代表作のひとつと看做される七律で、揖斐高訳注『柏木如亭詩集1』(平凡社東洋文庫2017)が採る(pp.143-46)のはもちろんのこと、揖斐高編訳『江戸漢詩選(下)』(岩波文庫2021)にも採録せられているし(pp.93-96)、たとえば富士川英郎『江戸後期の詩人たち』(筑摩叢書1973)も、「いかにも如亭らしい才気の横溢した颯爽たる詩」(p.83)として紹介している。
 この「新潟」詩は、如亭の歿後に遺稿として刊行された食味随筆『詩本草』の「鮭」(原本にかかる標題はないと云う)にも引いてある。揖斐高校注『詩本草』(岩波文庫2006)に基いてその「鮭」全文を示せば、すなわち次の如くである。

[足+及]結(サケ)于越後新潟者最佳。新潟一馬頭地亦称繁華。余詩有云。八千八水帰新潟。七十二橋成六街。海口波平容湊舶。路頭沙軟受游鞋。花顔柳態令人艶。火膾霜螯著酒懐。莫道三年留一笑。此間何恨骨長埋。其至鮮者聶而作軒。赤色如火与吾郷葛貲屋(かつを)各覇于一方。詩中火膾即此也。俗偽作鮭字。康頼医心方作鮏、引唐韻辨之。然作松魚為正。(p.77)

 「八千八水帰新潟」以下「此間何恨骨長埋」までが「新潟」詩であるが、『如亭山人藁初集』所収の「新潟」詩とは若干の異同があって、「七十二橋」は「七十四橋」であるといい、「一笑」は「一咲」に作るようだ(「笑」と「咲」とは本来異体関係にある*1)。ちなみに富士川前掲書は『詩本草』所引の形に拠っている。
 『詩本草』の記述で、文字好きとしてとりわけ興味を惹かれるのは「俗偽作鮭字。康頼医心方作鮏、引唐韻辨之。然作松魚為正」(俗に偽りて鮭の字に作る。康頼が医心方、鮏に作り、唐韻を引きてこれを辨ず。然れども松魚に作るを正と為す―揖斐氏の訓みに拠る)とあるところで、岩波文庫版の注釈(揖斐氏)には次の如くある。

○俗偽作鮭 例えば『倭名類聚抄』の「鮏」の項に、「今按ずるに俗に鮭字を用いるは非なり」、また『和漢三才図会』巻四十八にも「鮏(さけ) 年魚……鮭、俗にこれを用いるは誤りなり。鮭は河豚(フク)なり。和名佐介」。(略)○作鮏 『医心方』巻三十に「鮏〈折青反〉崔禹云、味醎、大温无毒、主心下利、益気力、其子似莓赤光、一名年魚、春生而年中死、故名之、瘳風痺為験〈和名佐介〉」とある。しかし、この部分には『唐韻』は引かれておらず、なお未詳。ちなみに草稿「鮏」字の傍注「ナマクサ」。(略)○作松魚為正 小野蘭山の『本草綱目啓蒙』巻四十に、「鱖魚ヲ従来サケト訓ズルハ非ナリ。サケハ東医宝鑑ノ松魚トスベシ」。(pp.79-80、仮名遣いは原文ママ

 これにつづく項で、如亭は、「松魚に二有り。一は葛貲屋(かつを)を指し、一は[足+及]結(さけ)を指す」(p.82)とも書いている。
 「鮭」字について、諸書を引用してよくまとめているのが、鈴木牧之(1770-1842)『北越雪譜』である。牧之は、その初編巻之下「鮭の字の考(かうがへ)」において、まずは「童蒙(わらはべ)の為に」、漢和字書『新撰字鏡』や節用集類の辞書について簡略な説明を施したうえで、次の如く述べる。

○新撰字鏡魚(うを)の部に 鮭 佐介(さけ) とあり、和名抄には本字は鮏(さけ)俗に鮭の字を用ふるは非也といへり。されば鮭の字を用ひしも古し。同書に崔禹錫(さいうせき)が食経(しょくきょう)を引て「鮏(さけ)其子(そのこ)苺に似て赤く光り、春生れて年の内に死す故にまた年魚(ねんぎょ)と名く」と見えたり。新撰字鏡に鮭の字を出しゝは鮏(せい)と鮭(けい)と字の相似たるを以て伝写の誤りを伝へしもしるべからず。鮭は河豚(ふぐ)の事なるをや。下学集にも鮭(さけ)干鮭(からさけ)と並べ出せり。宗二が文亀本の節用集にも塩引(しほびき)干鮭(からさけ)とならべいだせり。これらも鮏(せい)と鮭(けい)と伝写のあやまりにや。駒谷(こまがい)山人が書言字考には○鱖(さけ)○石桂魚(さけ)○水豚(さけ)○鮭(さけ)と出して、注に和名抄を引て本字は鮏といへり。大典和尚の学語編には鱖の字を出されたり、鱖(き)はあさぢと訓(よむ)也。唐(もろこし)の字書には鱖は大口細鱗とあれば鮏にるゐせるならん。字彙には鮏は鯹(せい)の本字にて魚臭(なまぐさし)といふ字也といへり。按(あんず)るに、鮏(さけ)の鮮鱗(とりたて)はことさらに魚臭(なまぐさ)きものゆゑにやあらん。鮭(けい)は鯸鮐(こうち)の一名ともいへば鮏(さけ)にはいよ/\遠し。とまれかくまれ鮏の字を知りて俗用には鮭の字を用ふべし。件の如く鮭の字も古く用ひたれば、おほかたの和文章にも鮭の字を用ふべし、鮏の字は普くは通じ難し。こゝには姑く鮏に从ふ。(鈴木牧之編撰/京山人百樹刪定/岡田武松校訂『北越雪譜』岩波文庫1978改版*2

 前掲『詩本草』の注釈と重なる部分もあるが、要は、「鮭」は元来「フグ」ないし「鯸鮐」の義であったが、本邦では「鮏」の誤写により「サケ」の義も担うようになったらしいこと、しかしサケに鮭が宛てられたのもかなり古い話であること等に言及している。また唐土にては、鮏は鯹の本字であって、「なまくさい」を本義とするという。なるほど『中華字海』(中華書局1994)を披いてみると、「鮏」について「鯹」と同義とみなし、「魚腥味。」とのみある。
 ここで、加納喜光『魚偏(うおへん)漢字の話』(中公文庫2011←中央公論新社2008)によれば、

 この表記(鮏―引用者)は『本草和名』(九一八年頃、深根輔仁)や『和名抄』、『医心方』(九八四年、丹波康頼)に出ている。その根拠として、中国の幻の本である『崔禹食経』を引用している。しかし中国のほかの文献には、鮏は「なまぐさい」という意味しかなく、魚の名はまったく見当たらない。筆者は、サケを表す鮏は和製漢字であって、「中国にもある本当の漢字ですよ」と権威づけるために、『食経』に仮託したのではないかと、この謎を解く。(pp.1119-20)

という。してみれば、鮏を唐土のサケに比定するのもやや怪しくなってくる。諸橋大漢和は、「鮭」字について「さけ。しやけ。」を「邦」つまり日本独自の義とするのはもちろんのこと、「鮏」字についても「なまぐさ。なまぐさい。」を第一義として、「さけ。鮭。」をやはり「邦」とみなしている。そのほか、小型のたとえば『全訳 漢辞海【第四版】』(三省堂2017)なども、「鮏」=「サケ」を「日本語用法」とみている。
 日本で(と、あえて断定調で書いてしまうが)「鮏の鮮鱗はことさらに魚臭きものゆゑに」これをサケに転用したのかどうかは定かでないとしても、「鮭」をサケの義で用いるのは日本独自のことであるといっても、まず間違いはないだろう。
 なお曲亭馬琴編・藍亭青藍補『増補 俳諧歳時記栞草』(嘉永四年〈1851〉刊)は、その秋之部に「初鱖(はつさけ)」を立項し、

[和漢三才図会]鮏は鯹の本字、魚臭(なまくさき)なり。正字未詳。(略)和名抄曰、鮏和名佐介、俗、鮭字を用ふ、非なり。(堀切実校注『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫2000:41)

とする。ただし、ここまで引用してきたもの(『詩本草』訳注に引かれる「本草綱目啓蒙」等)によれば、「鱖」をサケの義で用いることもまた俗用ということになりそうだ。
 では、カツオ、サケの義を有する熟字として如亭も引いていた「松魚」についてはどうだろうか。
 これついては前掲の加納著が、

 カツオを松魚と書くこともある。貝原益軒によると、これは朝鮮の表記だという。『東医宝鑑』(十七世紀、許浚の著した医薬学書)に「肉は肥えて、色赤くして鮮明なること松節の如し。故に松魚と名づく。東北江海中に生ず」とあるのを根拠としている。だが、棲息場所などから判断すると、松魚はサケである可能性が高い。(p.110)

 江戸時代、朝鮮から通信使が来日した際、本草家の稲生若水(一六五五~一七一五)が彼らに対して、通信使は松魚と答えている。(略)実は松魚はサケであったふしがある。(p.121)

という見方を示している。
 ところで『詩本草』は、河豚について述べた別の項では「鮭」字を出していないが、河豚、江瑶柱(タイラギ貝)、蠣房(カキ)それぞれの異称として、「西施乳」「西施舌」「太真乳」というのを挙げている(岩波文庫版pp.131-37)。このうち、カキの別称「太真乳」については、中国の書物に典拠が見出せないといい、「如亭が、『詩本草』執筆中に新たに思いついて書き加えたものだったのではないだろうか。(略)食欲と色欲との相関性に人一倍敏感だった詩人柏木如亭ならではの戯れだったのではあるまいか」(揖斐高『江戸漢詩の情景―風雅と日常』岩波新書2022:219)という興味ふかい説が有る(新稲法子id:masudanoriko氏から、カキを「太真乳」とすることは、『閩小記』に記述がある旨、ご教示賜りました。コメント欄ご参看。9.3記ス)。

*1:本来は異体の関係にあるが、別字と見なされるようになったものの例としては、「著」「着」、「裏」「裡」などがある。

*2:手許のは1993年4月5日発行の第45刷。