日夏耿之介『唐山感情集』

 柏木如亭 揖斐高校注『訳注聯珠詩格』(岩波文庫,2008)に記された校注者の余説は、『三体詩』が収録した詩については森川許六『和訓三体詩』を、『唐詩選』が収録した詩については服部南郭唐詩選国字解』を引いているので、それだけでも読んで面白い。この余説に、日夏耿之介『唐山感情集』も引用されていたのは(p.163)、ちょっと嬉しかった。
 日夏耿之介といえば、『轉身の頌』『黒衣聖母』など、その詩群は難解をもって知られるが、『唐山感情集』(彌生書房,1959)は、和語中心の素朴な表現で漢詩詞を訳した作品集となっている。「敍」によれば、「江戸小唄、隆達、投節、歌澤のたぐひの古雅なる三絃にあはせて歌ふみぢか唄の詩形を主として攝り用ゐた」、という(p.4)。
 同書は唐代から清、民國時代にまでおよぶ詩詞を渉猟し、ことに閨秀作家の妖艶な作品を多く採るので、かの『玉臺新詠』のようなあでやかさを感じさせもする。ちなみに、日夏が主たる「オリヂナル・テクスト」としているのは、小林健志の註解書『單調の詞』で、さらに鹽谷温『唐詩二百首』を参照して若干の訳詩を加えている。
 有名なところでは、李白の「静夜思」を収めている*1。「牀前看月光/疑是地上霜/擧頭望山月/低頭思故郷」というものだ。この詩は、李白「子夜呉歌」、郭震「子夜春歌」などと同じくいわゆる「新楽府」に類するもので、『唐詩選』にも採られた。日夏訳を引いておこう。

夜の思ひ
牀のまへに月かげけざやかだ、
地に霜が降りたかとも感ぜられる、
頭(かうべ)をあげてみ山の月をみる、
頭をたれてふる里をおもふ。(p.173)

 実は同じ詩について、井伏鱒二も『厄除け詩集』*2で訳をこころみている。『井伏鱒二全詩集』(岩波文庫,2004)から引いてみよう。

ネマノウチカラフト気ガツケバ
霜カトオモフイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイシヨノコトガ気ニカカル(p.55)

 七五調なので、こちらのほうがはるかに原文からは自由だといえる*3
 しかし、それにしても日夏訳は素朴である。これがあの日夏耿之介の作品かとおもわせるほどである。参考までに、鈴木信太郎神西清らとの共訳になる『名詩名譯』(創元選書,1951)*4で、日夏が担当したキーツ「希臘古甌賦」の冒頭を掲げておくと、「なほ汚されぬ幽寂(いうじやく)の花妻(はなづま)すがた、寂默(じやくもく)と悠久(いうきう)との時劫(じがふ)に仕(つか)ふやしなひ兒、森林の史(ふひと)はわが歌にとほく卓れし花やげる譚(ものがたり)かくぞ誌しぬる」(p.55)、と漢語を多用した難解な訳文になっており、これぞまさしく日夏調である。
 これらと比べて、「静夜思」訳のいかに素朴なことか。いや、素朴というのは適切でないのかもしれず、まったく没個性的なのである。
 ここでたとえば、『唐山感情集』の前年に刊行された武部利男訳を見てみると、「ベッドの前にさしこんでくる月の光を、ふと、地におりた霜かとおもった。頭をあげては山の端の月をながめ、頭をたれてはふるさとのことを思った」(『中國詩人選集8 李白岩波書店,1958)となっていて、この直訳調の現代語訳と、文学作品であるべき日夏訳とにはほとんど相違がみられない(「ベッド」はせめて「寝台」とすべきだとおもうが、それはまあいい)。
 では『唐山感情集』には、このように個性のない訳がずらずら並んでいるだけなのかというと、もちろんそういうわけではない。たとえば蔡伸の「閨思」。
 この詞を、まず書き下しとともに挙げると、

天。休使圓蟾照客眠。(天、圓蟾をして客眠を照らさしめな、)
人何在。桂影自嬋娟。(人、何くんか在る、桂影自ら嬋娟たり。)

というものだが、日夏は、これを次のように「訳」している。

さってもうつくし
まんまるな、
あのお月さま、主さんの
旅寢の枕照るまいぞ。
どこにいまかよ。
ヱヽモオモ
 なにしてぢや
月かげばかりかう/\と
さってもうつくし。(p.74)

 人口に膾炙した詩よりも、むしろマイナーな詞のほうこそ、このように「みぢか唄の詩形」を積極的に採りいれて、生き生きとした訳文に仕立てているというのがおもしろい。
 『唐山感情集』は、じっくり読むのに向いた「滋味掬すべき」作品集だが、日夏耿之介の守備範囲のひろさを知る上でも、もっと読まれてしかるべき書物だとおもう。

唐山感情集 (1959年)

唐山感情集 (1959年)

名詩名訳 (1951年) (創元選書〈第216〉)

名詩名訳 (1951年) (創元選書〈第216〉)

訳注聯珠詩格 (岩波文庫)

訳注聯珠詩格 (岩波文庫)

井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)

井伏鱒二全詩集 (岩波文庫)

*1:日夏著では原題が「夜思」となっている。

*2:于武陵「勧酒」訳の「ハナニアラシノタトヘモアルゾ/『サヨナラ』ダケガ人生ダ」でよく知られる。

*3:実は、井伏訳には「種本」がある。潜魚庵・中島魚坊の『唐詩選和訓』というのがそれだ。『和訓』による「静夜思」訳は、池内紀『文学フシギ帖―日本の文学百年を読む』(岩波新書)p.139にも紹介されている。

*4:有名なポー「大鴉」も入っている。