鈴木俊幸『江戸の本づくし―黄表紙で読む江戸の出版事情』(平凡社新書)をよんでいると、
かたや「唐詩選」は、「五言絶句と意見する」のである。「五言絶句と」は、何の地口というわけでもなさそうであるし、現代語訳は不可能であるが(p.222)
という箇所があった。以前、ここで、「士農工商云う」は「四の五の」の地口ではないかと書いたことがあるが、「五言絶句と」も「四の五の」をしゃれて言ったものではないかという気がする(「ここを先途と」の地口だとご教示頂きました。コメント欄ご参照)。
話はかわるが、『唐詩選』といえば、このあいだ田中道齋『道齋隨筆』(杉本つとむ編『異体字研究資料集成 第四巻』雄山閣所収*1)をよんで少し気になった箇所がある。この下巻に、「唐詩選序跋故事」という文章が編者(金田宏。号白峯、道齋の門人)によってくわえられているのだが、それが何に拠っているか分らないのである。前半は、李攀竜(?)による「序」から引用していることは明らかなのだが、後半の「附言」から引用したとされる部分が分らない。
あるいは古い版本(たとえば「四庫提要」のいう唐汝詢の註文を附した版本とか)には、跋文のようなものが収めてあって、それに由来するものかとも考えられるが、今のところは分らない*2。手持ちの『唐詩選』は岩波文庫版の二種(漆山又四郎訳注、前野直彬訳注)しかなく、これらには対応する箇所がない。
ところで前野直彬(前野も『唐詩選』偽作説の立場をとっている*3)によると、『唐詩選』は『唐詩品彙』の抜萃と考えられるという。上の「附言」には、この『唐詩品彙』や『唐詩正聲』の書名も出てくるようだ。
ちなみに云うと『唐詩選』偽作説は、先に触れた「四庫提要」(『四庫全書總目提要』)が主張し始めたこととされる。その「四庫提要」は、『唐詩選』が採録した詩は攀竜『(古今)詩刪』所載の唐詩から、また註文は唐汝詢の『唐詩解』から採っており、それはすべて「坊賈」が攀竜の名に託けて行った仕業だと断言している(「三十九 集部―總集類存目二【唐詩選七巻】)。
偽作かどうかはともかく、「序」に「後之君子乃茲集以盡唐詩而唐詩盡於此」とあるのはちょっと大袈裟で、そもそも『唐詩選』には初盛唐の詩ばかり採ってあって、杜牧や白居易すら全然載せていない。中晩唐の詩を多く採る『三体詩』所収の詩を合わせても、(百目鬼恭三郎によれば)たかだか『全唐詩』所収作品のうちの約二パーセントに過ぎないという。
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このリヴァイヴァルシリーズ(と言っていいものかどうか)はソフトカバーが基本のようだが(菊池寛といい武田泰淳といい花田清輝といい*4)、『パスキンの女たち』や、この『目的をもたない意志』はハードカバーである。仮題は『灰皿になれないということ』だった筈だが、改変後のタイトル(といっても、何れも山川のエッセイのタイトルである。「目的を〜」はデュラス論)もぐっと来る。
圧巻はやはり、「増村保造氏の個性とエロティシズム」だろう。そのほかアントニオーニを論ずる映画評論はもちろん、「永井龍男氏の『一個』」「『町ッ子』について」「中原弓彦について」などを収めており、獅子文六や小林信彦が好きな私にとっても垂涎のエッセイ集となっている。
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簡素な文机の上に硯と数冊の本、そしてその本の一冊が『唐詩選』だった、という描写を以前どこかで読んだような気がしていたが、おもい出した。小沼丹「小径」だ。亡き伯父のことを述べたくだりに出てくる。
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