『筆順のはなし』

 現在の筆順指導は、1958(昭和三十三)年3月31日発行の『筆順指導の手びき』(以下『手びき』)にもとづいている。その基本は「左から右へ」「上から下へ」の二点、さらに例外則として、「中から左右へ」(ex.小、山、水、業)、「しんにょう、えんにょうはあとで書く」の二点がある。
 しかし『手びき』の基本則は大雑把なものにすぎないから、細かい点を見ていくといろいろな問題点がある。
 たとえば、『手びき』は梅膺祚主編『字彙』(1615年成立)に掲げられた筆順をそのまま採用している場合(「右」「左」)があるし、初等教育における漢字指導の立場から採用された例(「上」)もあるなど、基準が不統一なのである。そもそも『手びき』自体、「ここに取り上げなかった筆順についても、これを誤りとするものではなく、また否定しようとするものでもない」と明言しているわけだから、これを曲解(ないし誤解)した筆順指導がまかり通っているのはやはり問題といえるだろう。
 筆順に対する態度としては、「基本則をわきまえ許容すべき範囲を心得て、書きづらい筆順をむりに強制することがないようにしてほしい」(原田種成『漢字の常識』三省堂p.54)というのが、まず穏当なところであろう。
 とはいえ、そのような立場をとったとしても、たとえば「必」の書き順のひとつ「心+ノ」(「心」を先に書き、最後にタスキをかけるようにする筆順)を歴史性や字体認識から認めない立場と、これを認める立場(原田種成氏、小林一仁氏など)とがある。筆順に対するスタンスはかくも区々なのが現状である。
 最近、松本仁志『筆順のはなし』(中公新書ラクレ)を読んで驚いたのは、「心+ノ」を台湾が標準としている(「常用国字標準字体筆順手冊」)、ということであった(pp.57-58)。また同書は、出征兵士の所持品に「必」字はしばしば「心+ノ」の形で書かれた(pp.68-70)、という事実にも触れている。
 前者のことで驚いたというのは、江守賢治『筆順のすべて』(日本習字普及協会)が、世間では「必」字が「心+ノ」と書かれるにも拘らず「戦前の書き方・習字の手本も、戦後の書き方・書写の教科書も」まったく採用していない(p.8)、と書いていたからである。ただ、たとえば阿辻哲次『漢字を楽しむ』(講談社現代新書)には、〈知人はその書き方を「『必ず』とは『心にタスキを掛けること』」という言い方で学校で教わった〉(p.103)という証言も見え、これは規範と実態とのずれを示すものであろう*1
 また松本前掲は、「上」字の筆順にも触れている。すなわち「上」字には、(1)縦画から始めるものと(2)横画から始めるものとの二種があり、前者については「覚えやすい(止正走足などと同じ筆順になるから)」というメリット(p.6)を認めたうえで、補注で「中心の縦を先に書くと全体を整えやすいという考え方もある」(p.11)と述べているのである。松本氏によれば、(1)(2)は明治から戦後の『書取と筆順』(昭和25年)、『教育漢字の筆順と精解』(昭和29年)に至るまで混乱していたという。
 さて、『手びき』は(1)を採用している。それが決まるまでの裏話(「筆順についての委員会」*2席上でのこと)が、松本著には、『日本語の現場』(読売新聞社1975)を引用するかたちで紹介されている。それによれば、文部省小学校教育課の沖山光・教科調査官は(2)の筆順に何の疑問も持たなかったが、「止」や「足」の「ト」の部分の順序と合わない、と他の委員から異論が出たという(松本pp.201-02)。
 だが、これとは異なる証言もある。小林一仁『バツをつけない漢字指導』(大修館書店)には、1995年11月26日付の読売新聞記事が写真で紹介されている。そこには、委員会で座長を務めた石井庄司の証言が引かれている。当該部を孫引きしておく。

大多数の委員が横の短い棒から書くという意見だったのに縦の棒から書き出す方が採用された、「上」のような字もある。石井博士によれば、こういう事情だった。
「横の短い棒から書くと、升目の大きさに慣れていない子供は升目よりも小さい字になってしまう。縦から書けば、升目いっぱいに書くことが出来る」。日ごろから子供たちの漢字に接している小学校の先生の言葉に、「なるほど」とほとんどの委員が納得したという。(小林p.227)

 これによるならば、松本著が補注で述べていた理由が採択につながったともいえる。
 しかしいずれにせよ、「大多数の委員」が(2)の意見であったことには注意すべきであろう。

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 なお松本著は、『字彙』首巻の「運筆」に言及しつつ持論を展開しているが(pp.79-103)、p.79「梅庸祚」は「梅膺祚」の誤りであろう。また松本著は、『字彙』について「国立国会図書館デジタル化資料の鹿角山房蔵版本を主に使用し、京都忠興堂印本(1671年)で補うことにした」(p.161)という。国会図書館本が「禾」に作る箇所、松本氏は京都忠興堂本を参照して訂しているが(p.88)、手持ちの『字彙』(目録および首巻をまとめた一冊本)は、鹿角山房蔵版であるが異版で、「禾」字が直っており、改行位置も異なる。ほか註文箇所で、国会図書館本の「父」字を「交」字に作る(松本著p.89、たぶん後者が正しい)など小異がある。松本氏も、版によって「内容のズレが大小の振幅で見受けられる」(p.161)と述べているが、国会図書館本は少なからず誤刻を含むようである。

筆順のはなし (中公新書ラクレ)

筆順のはなし (中公新書ラクレ)

*1:松本氏も、「心+ノ」を、民間語源と同じような「いつの間にか広まったこじつけの筆順解釈」(p.164)と見なしている。

*2:旧文部省の委嘱により、各界から十二人が集められた委員会。1956年早春から2年がかりで会議が行われ(八十余回を重ねたという)、『手びき』を作成したという。