進んでわれもまたわが一票を…

フジ系列の『スタメン』を見た。
「なまり大好き・シブヤの女子高生に密着」という特集がちょっと気になったからである。熊本市内と慶誠高等学校(以前は熊本女子高等学校といった)が映った。渋谷の女子高生の発言にあった「とっとっと?」(取っているの?)のアクセントが間違っている、と慶誠の女子高生が言っていたのが、何故だかおかしかった。
水上瀧太郎貝殻追放 抄』(岩波文庫)を読む。まだ全部は読んでいないが、面白い面白い。さすが荷風門下の水上である。メディアや衆愚を敵にまわし、「舌鋒するどく」攻撃している。「はしがき」で水上は宣言する。「厚顔無智(ママ)なる弥次馬が、その数を頼みて貝殻をなげうつは、敢てアゼンスの昔に限らず、到る処に行はるといへども、殊に今日の日本においてその甚しきを思はざるを得ず。その横暴に苦しみつつ、手を束(つか)ねて追放を待つは、潔きには似たれどもわが生身の堪ふるところにあらず、果して多数者と意嚮を同じくするや否やはしらずといへども、如かず進んでわれもまたわが一票を投ぜんには」(p.5)。
「向不見の強味」では、本間久雄を「ひどい誤訳者」「頭脳(あたま)の悪い派の重鎮」と切って捨てる。松井須磨子に対しては、期待を寄せつつもあえて酷評することを厭わない。
「『末枯』の作者」は、久保田万太郎についての文章である。久保田の人格と作品を分けて論ずるところが好もしい。後年の、小泉信三『日本の作家』にも通ずるところがあるように思う。
その他、「『鏡花全集』の記」「芥川竜之介の死」もおもしろく読んだ。皮肉が効いている「兵隊ごっこ」も可笑しかった。三好行雄氏は、「解説」でこう書いている。

「兵隊ごっこ」の書かれた大正八年の時点で、忠義愛国はまだ軍隊の専有物だった。しかし、「「通夜物語」事件」の昭和十一年、「独逸皇帝万歳」の昭和十三年に、日本はすでに危険な軍国主義への傾斜を強めていた。娼婦を芸者に、軍人を政治家に変えた脚本の改訂を〈近頃の世相をまざまざと見せつけたものとして看過出来ない〉といい、〈まことに目出度極み〉の国論の統一ぶりを指摘するのは勇気のいる発言だった。「もののふのみち」もそうだが、滝太郎はこれらの感想で、硬直した反戦論や平和主義をふりかざしているわけではない。『貝殻追放』の首尾を通じて、著者は虚偽を憎む正義感や附和雷同を嫌悪する自立の思想によって、いわばもっとも健全な市民の倫理に拠って敵を撃つ姿勢を変えない。だからこそ、滝太郎の発言はつねに率直かつ誠実の印象を読者に与えつづけるのである。(p.445)