『不連続殺人事件』には参った

 曾根中生『不連続殺人事件』(1977,ATG)を観た。二回目である。
 正直に告白しておくと、以前鑑賞したときには、なぜか疲労感におそわれ、二日間かけてようやく観終えることができたのであった。内容は面白く、キャスティングの見事さにも感心したのだが、とにかく一時間ほど観ただけでひどく疲れたのである。体調のせいもあったのかも知れないが、作品の構成にどうやら主な理由があるらしかった。こんなことは滅多にないので、もどかしい思いを抱きながら鑑賞し終えたのである。
 今回ふたたび鑑賞して、その理由が分った。この映画にはワンシーンワンカットがひじょうに多いのである。それもとくに、居間のシーンや食事のシーン(つまり全員が一堂に会するシーン)に多い。
 たとえば、まず扉を開けて入ってくる内海明(内海賢二*1)が喋りながら椅子に腰掛けるまでをパンフォローし、やがて右にパンして内海はフレームアウト、話し始めた歌川一馬(瑳川哲朗)をとらえる。それから今度は左にパンし、歌川の台詞を受けて発言する海老塚医師(松橋登)をとらえる。そこでカメラがしばらく固定され、土居光一=ピカ一(内田裕也)がフレームインし、海老塚と口論を始め、彼を椅子ごとドアの外に放り出してしまう――という、その一連の動作を延々と映しつづけるのである。これは例として挙げただけで、居間のシークェンスにはこんな具合の撮影が多い。
 その少し後、歌川あやか(夏純子)とピカ一(内田)との取っ組み合い(作品中で重要な意味をもつ)が始まる場面も、かなりの長回しである。ややあって、確か切り返しがあるのだけれど、それ以降(彼らが部屋の外へ出て喧嘩をし始め、やがてあやかが寝室に閉じ籠もるところまで)もワンシーンワンカットになっている。そのあいだじゅう、ずっと緊張しながら画面を見守らなければならない。
 例えば相米慎二長回しは、同一人物を映したままだったり、カメラがほぼ固定されていたりするので、さほど疲労を感じずにすむ。しかし、カメラの捉える人物が一定していないと、疲れた頭には少しこたえるのだ。つまり、被写体の転換を休みなく確認/意識しつつ内容も理解しなければならないわけである。もちろん、これも物語の流れを中断するというわけではないので、ある意味では説明的でよい。倒叙もののサスペンスではなく、被疑者がたくさんいるので、そのほうがむしろ効果的でさえあるかもしれない。
 いま、「倒叙もの」といった。この作品は、原作がそうであるように、「本格もの」に仕上がっているのだが、「倒叙もの」にしようという案もあがったらしい。
争議あり―脚本家・荒井晴彦全映画論集

憧れの田中陽造に初めて会ったのは『不連続殺人事件』の時だった。多摩川べりの旅館の一室に曾根中生大和屋竺田中陽造と伝説の具流八郎の中枢がいて、“曾根ちゃん、これ娯楽でいくのかい、芸術でいくのかい”“勿論、娯楽だよ”“ハムレットどう”“久生十蘭ねえ”“倒叙でいかない、犯人当てやめて”、ぽんぽんと言葉が弾む。隅で緊張していた助監督の僕は圧倒されっ放しで言葉のかわりに冷汗しかでなかった。
荒井晴彦『争議あり―脚本家・荒井晴彦全映画論集』青土社,p.336)

 確かにこの映画、「ATG作品にしては」なかなかの娯楽大作に仕上がっていると思う。当時、いわゆる「清純派女優」だったという夏純子の登場シーンも、ファンに相当な衝撃をあたえたに違いない。
 しかしこの作品は、スタッフ全員が苦労に苦労を重ねてようやく完成にこぎつけたものなのだそうだ。「ATG史上最大の赤字映画」などと陰口をたたいた人もあると聞く。

『不連続殺人事件』の助監督の話がきて、よしという気持になったんだ。ピンクじゃないし、ATGってことでね。監督の曾根中生って人とは清順共闘とか飲み屋で知り合いになっていた。――ところがこれが大変な仕事でね、ズタズタになってしまった。夏の話なんだけど、撮影してるうちに秋になっちゃって、イネが黄色くなってるんだよ。それを監督が、おい荒井、これ、夏の話じゃなかったっけって、遅い自分が原因なのに。で、スプレーで青くしたりしてね。(荒井前掲書,p.16)

*1:どこかで聞いた覚えのある声だなあ…と思っていたら、なんと、ラオウとか則巻千兵衛とかでお馴染みの、声優の「内海賢二」さんなのでした。