正午なり、二回目

レジュメを作る。読書。
貯金を切り崩し、窓付の納戸に本棚をつくってもらう。あれやこれやと注文をつける。あす完成する予定。
両親が、二階の床が抜けはしまいかと心配し始めた*1ところで、それがきっかけとなって、納戸に本棚を設えてみようかということになったのである。
日本映画専門チャンネルでやっていた、後藤幸一『正午なり』(1978,ATG)を観た。二回目。このまえ原作(丸山健二)を読んだばかり。映画には、原作と違ってあけみ(結城しのぶ)の男(原田芳雄)が出てくる。それをすっかり忘れていた。また映画版の忠夫は、バイクレーサーに憧憬(というか嫉妬心)を抱いている。
最後のほうに、東京行きの切符を買い求めた金田をアオリで撮るカットがあって、南中しそうな太陽も一緒に映り込んでいる。一回めに観たときはそこに注意を向けていなかった。これはラストの伏線にもなっている。映画にはこのような機能もあったのだ。そして、ラストのカットバック(追う金田賢一と追われる若杉愛)は、『暗殺の森』を髣髴とさせる。だが、その「全て」が終わった後のパノラマ撮影はべつに要らないと思う。正午のサイレンが鳴り響いた後に、前後左右からの俯瞰ショット。アオリで金田の顔、南中した太陽を捉える。
ATGの青春映画には、鬱屈した日々や屈折した精神を描いた作品が多い。長谷川和彦青春の殺人者』(1976)しかり、黒木和雄『祭りの準備』(1975)しかり、井筒和幸『ガキ帝国』(1981)しかり。青春映画といえば、何故かきまってATGを観ていたので、「甘酸っぱい青春」を描いた映画が、どこか奇異にみえる。

*1:その真下に寝ているのは私なのだが。