『不連続殺人事件』の思い出

曇りときどき雨。
終日読書。積読本を処理したり、頂いた抜刷り論文を読んだり。
尾辻克彦の「肌ざわり」は、きょう初めて読みました。
先ほど、晩鮭亭日常を拝読していたら、角川文庫版『不連続殺人事件』と『ドグラ・マグラ』のカバーの話が出てきました。私も、これらの本を購うのに躊躇した*1おぼえがあります。
『不連続殺人事件』の存在を知ったのは、小学生の頃です。評論社の「てのり文庫」シリーズに、たしか『名探偵大集合事典』という本があって、「巨勢(こせ)博士」も登場します。そこに描かれていた丸顔の巨勢博士のイラストはさることながら、「小説はからきし駄目だが推理力は抜群で、相撲の番付など役に立たないことはよく記憶している」とかいう解説に、たいへん親しみを感じたものです。
そして中学生の頃、原田宗典『むむむの日々』(集英社文庫)に収められている、「私の好きな探偵―巨勢博士」(p.105-07)というエッセイを読みました。原田さんは、『不連続殺人事件』についてこう書いています。

確かに「登場人物すべてが怪しい」というパターンは、推理小説の定石だが、この作品の場合は“怪しい”のではなく“イカガワシイ”のだ。物語を結末へと牽引すべき役割を担っているはずの探偵、巨勢博士にしても例外ではない。年齢二十九歳。いい加減な年頃だ。愛嬌のあるクリクリした顔をしていて、ご婦人方に妙にウケがいい。しかも物語の冒頭では「処女とアイビキする約束がある」ので、一日遅れて現場に登場したりする。なんちゅう不真面目な探偵だろうか。しかしこの不真面目さ、イカガワシサに、ぼくら真面目な高校生はロコポロ*2になったのである。(p.106)

その少しあとに、畔上道雄さんの『推理小説を科学する』(講談社ブルーバックス)と出会いました(以前拙ブログに書きました)。畔上さんは、この本で『不連続殺人事件』を称讃していて、その文章はいわゆる「読書欲」をかき立てるには充分すぎるほどのものでした。
中学二年生の夏、近所の小さな本屋で『不連続殺人事件』を買ったのですが、書棚から抜いてレジに行くまでに時間のかかったこと。カバーはATG映画のスチールになっていた(現在はちがう)のですが、これが半裸の女性とメスを持った男性―という構図で、当時中学生だった私にはあまりにも刺激がつよすぎました。
さんざん(三十分くらい)逡巡したのですが、勇気をふりしぼってレジへと向かいました。女性の胸があらわになっている部分を必死に指で隠しながら。
レジの女性店員は、本じたいに興味があるふうではなく、手際よくカバーをかけて代金を受けとり、それで終ったのでした。結局彼女は、一度もカバーに目を落しませんでした。これぞ、まさに「取り越し苦労」*3
大学生になってから、「シネマダイスキ」の特集でATGの『不連続殺人事件』を観ましたが、この映画については、また機会があれば書くことにします。

【追記】
注の部分で、「(巨勢博士は)『不連続殺人事件』のわずか一作のみにしか登場しません」と書いておりましたが、 vanjacketei さんから、『復員殺人事件』や『選挙殺人事件』*4にも登場することをご教示頂きました。
ここにつつしんで訂正いたします。

*1:三冊とも(『ドグラ・マグラ』は二分冊)、同じ店で買いました。

*2:「目からウロコがポロポロ」の略(正しくは、「ウロコのようなもの」とあるべきでしょうが)だそうで、原田さんたちの間で当時はやっていた「最大級の讃辞」なのだとか。

*3:のちに、宮台真司『野獣系でいこう!!』(朝日文庫)を買ったときの方が、よっぽど恥ずかしかった。女性店員はその表紙写真をまじまじと見つめ、それから急いでカバーをかけたのでした。べつに急がなくてもいいのに。

*4:『正午の殺人』という短篇でも活躍しているらしい。