アッパッパ

 過日の新歓コンパの一次会で、ふとしたことから「アッパッパ」の話が出てきました。
 Oさんが私に、「『アッパッパ』って知ってる?」と訊いてきたので、「はい。女性の夏服ですね」とお答えしました。「もちろんその言葉を使ったことはありませんが」、と付け加えておくのを忘れませんでした。
 それから、「その『アッパッパ』は、たしか乱歩の『白昼夢』*1の冒頭に出てきて、それで覚えたものです」とお話ししたのですが、これが実はとんだ思い違いでした。そこでは、いわゆる「簡単服」*2の義では使われていません。
 「アッパッパ」という言葉自体は出てくるのですが、女児たちの唱え詞として出てきます。

「アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……」
お下を埃でお化粧した女の子達が、道の真ん中に輪を作って歌っていた。アッパッパアアアア……という涙ぐましい旋律が、霞んだ春の空へのんびりと蒸発して行った。
江戸川乱歩『白昼夢』,光文社文庫版『屋根裏の散歩者』所収,p.429)

 当時中学生だった私はこれを読んで、「アッパッパ」とは一体どういう意味なのか、とふと疑問におもい、辞書で調べてから婦人用の夏服であると知り、それだけで満足していたのだろうとおもいます。「アッパッパ」のインパクトがあまりにもつよかったので、頭のなかで、「『アッパッパ』といえば乱歩の『白昼夢』」、という単純な図式が出来上がってしまっていたのでしょう。
 ちなみに「簡単服」としてのアッパッパは、永井荷風『ボク東綺譚』*3八に出てきます。

女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については、友人佐藤慵斎(ようさい)君*4の文集に載っているその論に譲って、ここには言うまい。(岩波文庫,1991改版.p.103)

 『ボク東綺譚』は昭和十一(1936)年に書かれています。また、紀田順一郎さんの『20世紀モノ語り』(創元ライブラリ,2000)には、「昭和はじめ、松坂屋が夏の『アッパッパ』を売りだし、これが女の洋服を全国的に普及させる契機となった」(p.323)とあるのですが、「アッパッパ」という言葉じたいは、大正末年に既に流行していたようです。
 たとえば、現代用語の基礎知識編『20世紀に生まれたことば』(新潮OH! 文庫,2000)は、大正十三(1924)年の流行語としてこれを取上げていますし、米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂,2002)も、同じく大正十三年の流行語とみなしており、「大震災後、軽便な洋装の家庭着『簡単服』『改良服』が主婦層に夏季に流行した」(p.118)と記しています。榊原昭二『昭和語 60年世相史』(朝日文庫,1986)の「昭和元(1926)年」にも出てきますが、それ以前から流行っていたと言いたそうな書きぶりです。

 開放的な言葉のひびきと発想からして発生は大阪方面らしい*5。夏の女性の簡単服、洗いやすく、着て涼しく、外出もOK、のちに清涼服、ホームドレスともいわれた。関東大震災後、怒濤のように流行したワンピース。(中略)アッパッパはデザイナーがだれかもわからない。しかし、洋装化のスプリングボードになってファッション史上最大の事件である。昭和ヒトケタ時代に文学にもアッパッパが登場する。(p.10-11)

 それにしても、「アッパッパ」の語源がわからない。某先生は、「up と関係があるとも言われている」と仰っていましたが、それ以上のことは分らない。
 「語源俗解」であれば、佐藤愛子さんの『愛子の日めくり総まくり』(集英社文庫,1981)に出てきます。

 アッパッパが現われるまで日本の女は夏も冬も着物を着ていた。着物に腰マキである。パンティなんてものははかない。盛夏は浴衣にタスキがけでフウフウいって働いている。そこへアッパッパが現われたのでとびついた。
 しかしアッパッパを着たがパンティは普及していない。下は腰マキである。そこで風が吹くと裾がパッパアして思わず、
「あっ」
 と叫ぶ。そこでアッパッパなる名前が生まれたのだと作り話を娘に聞かせると我が娘、
「それだったらアッパッパよりアッスウスウの方がいいんじゃないのン」(p.129)

 それで、話はまた「唱え詞」としての「アッパッパ」に戻るのですが、この言葉を、「大波小波」などの縄跳びあそびのかけ声として使う地域や、「とっぴんぱらりのぷう」「めでたしめでたし」の代わりに使う地域もあるようです。あるいは、「にらめっこしましょ、あっぷっぷ」の「あっぷっぷ」と何らかの関係があるのかもしれません。
 また「アッパッパ」は、後年の「アッパラパー」「パッパラパー」と同様に、「バカ」とか「アホ」とかの意でつかわれることもあるようです*6

*1:大正十四(1925)年発表。

*2:『婦人家庭百科辞典』(ちくま学芸文庫)には次のようにあります。「一般には簡単な女児服をいふ。簡単な女児服とは、別に袖をつけずに身頃(みごろ)と続けて裁ち、服全体としても簡単なものである。この裁方の服は多く夏用に用ひられるので、裄(ゆき)は短いのが普通である。また近来は殆ど袖の部分のないやうなのも沢山ある」(原文旧字)。なお、この辞典は「アッパッパ」を空見出しにしており、「簡単服」を見るよう指示しています。

*3:「ボク」はサンズイに「墨」。

*4:佐藤春夫のこと。

*5:米川明彦編『日本俗語大辞典』(東京堂出版,2003)も、「関西から言い始めた」と断定しています。

*6:伊勢に「アッパッパ貝」なる方言名があるそうですが、これは「バカ貝」ではなくて「ヒオウギ貝」のことらしい。