『二銭銅貨』をめぐって

 永井龍男『黒い御飯』など読む。『黒い御飯』に、「今でもあの不便な二銭銅貨は、ひと昔とでもいったような懐しい重みを持っているように感じられる」という一節がある。これは大正十二(1923)年の七月、『文藝春秋』に掲載されたものである。
 同年四月には、江戸川乱歩の『二銭銅貨』が『新青年』に掲載されている。乱歩はその「自註自解」で、「当時はまだ、あの大きな二銭銅貨が、僅かながら流通していた。直径三センチ余、厚さ四ミリほどの、どっしりと重い銅貨であった」と書いている。
 また、黒島伝治の『銅貨二銭』(のち『二銭銅貨』と改題)が『文藝戦線』に発表されたのは、大正十五年の一月である。作中で二銭銅貨が登場するのは、「現在」から遡ること「三年」、つまり大正十二年。しかしこれは小説のなかの話であるから、そんな計算にあまり意味はないのかも知れない。二銭銅貨の最後の記年は「明治十七年」なのだそうだが、流通していたのは一体いつ頃までなのか。

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 吉川幸次郎『続 人間詩話』(岩波新書,昭和三十六年刊。「正篇」は昭和三十二年に出ている)をパラパラやっていたら、吉川氏がその「あとがき」で、「そのうち私は『宋元詩概説』、『明清詩概説』を書くつもりである」(p.197)と述べておられるのに気がついた。「中国詩人選集」(岩波書店)に収められることになったこれらの本は、実際には『宋詩概説』『元明詩概説』という書名で刊行されたが(この二冊はつい最近、小川環樹唐詩概説』とともに岩波文庫に入った)、『清詩概説』のみ刊行された形跡が無い。
 ちなみに、『宋詩概説』(岩波書店,昭和三十七年刊)の「跋」には、「おととし、五十七歳の夏、この本を書く決心をした」(p.241)とある。