『夜ごとの美女』

 小林信彦『にっちもさっちも 人生は五十一から(5)』(文春文庫)を買う。この単行本が出たころ(もう三年も前の出来事なのか)、Kさんから、「獅子文六を再評価しよう」という文章が入っていることを教わったので、文庫化を楽しみにしていたのだ。
 もちろん、獅子文六についての文章から読む。中野翠氏も「解説」で、「獅子文六について、特に二項をさいて語っているのも、うれしい。私も、この才気あふれる作家の忘れられように関しては、かねがね憤懣を抱いていたのだ」(p.301)と述べている。大いに同感である。
 夜、今日の午後にBS2で放映された、ルネ・クレール夜ごとの美女』(1952,仏=伊)の録画を観る。大好きな一本で、少なくとも七回は観た。ジェラール・フィリップといえば「二枚目」、という私の勝手なイメージを払拭してくれた作品でもある。
 さて、この『夜ごとの美女』に関しては、面白いウラ話がある。


本年(1953年―引用者)二月下旬フランス映畫大賞を貰ったルネ・クレールの 'Les Belles de Nuit(レ・ベル・ド・ヌイ)' をエリザベス女王にお目にかけることになり、イギリスで Night's Beauties と直譯したところそんなものはご覽に入れられないと宮内省から抗議が出たのを英語の達人であるルネ・クレールが聞いて驚くこと一方ならず、すぐロンドンに飛んで行きフランス語のまゝにして事なくすんだ。公式には女王の映畫ご覽は年一囘ときまっているのでこの時には王冠もはずしご微行で夫君と臨席された冩眞がある。日本ではフランス映畫の題名をひどく變えてしまうので原語が併記してないと見當のつかないことがよくある。フランスの俗語では「夜の美女」は街の女ともなるがこゝでは物言わぬおしろい花の一種であったのである。女王はフランス語がお上手だからこんないきさつにはクスリと笑われたことであろう。
(瀧澤敬一『シャンパンの微醉』岩波書店,pp.180-81)
 ゴダールの 'Pierrot Le Fou' (いわゆる『気狂いピエロ』)を思い出す。