『砂の器』の×××

■小谷野先生が、『砂の器』(原作)における殺人手法について、「実にけったい」だと書いておられる。確かにそのとおりなのだが、そのことに言及した本をあまり見たことがない(論文は読んでいないので知らない)。
管見によれば、清張関連書以外ではわずかに岡野宏文豊崎由美『百年の誤読』(ぴあ)くらいしか思い当らない(以下の引用部で、核心部分は伏字にしておく)。

豊崎 清張作品の特徴は、(略)いわゆる“社会派”の代表といわれてますけれども、わたし、この小説(『砂の器』―引用者)を二十数年ぶりに読み返してびっくりしてしまいました。トンデモミステリじゃん!
岡野 え!?
豊崎 だって、殺人の手段が×××なんですよ、×××。
岡野 あー、そうか。そういう意味では、たしかにね。
豊崎 下巻の半ばまではいいんです。(略)そうした緻密な構成と語りが、後半、謎解きのパートに入った途端、端正なたたずまいを崩してしまう。実際にあったことがこじつけめいて羅列されてるだけ。真相は前半のリアリズムと相反するようなトンデモさ加減。がっかりですよ。(pp.224-23)

細谷正充『松本清張を読む』(ベスト新書)も、やや「強引」だとことわった上で「×××」に触れてはいるものの、なぜそのような殺人手法をわざわざ採り入れなければならなかったのか、ということについて、いちおうの説明を行っている。
【4/6追記】村井淳志『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書)に、「(『砂の器』の―引用者)殺人方法はSFじみていて嘘臭いし、人物描写が類型的で押しつけがましい」(p.167)、とあった。

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『点と線』をリアリズムの面(かの有名な「四分間のトリック」)から批判したのは平野謙であるが、その後にも、斎藤道一『名探偵松本清張氏』(東京白川書院)や、畔上道雄『推理小説を科学する』(講談社ブルーバックス)などによる批判があった。斎藤氏は『砂の器』批判も行っているが、それはもっぱら作中の「付焼刃音楽評論や社会評論」批判に傾注していて、「×××」には触れていなかった。

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砂の器』の桑原技官のモデルが柴田武先生であるらしいことは、ここで触れた。