清張好み(1)

「またも清張ブーム。」(05年12月16日)「清張ブーム」(07年3月18日)といったエントリを書いていることからもお分りになるだろうが、私は「清張文学」が好きである(但し「清張史観」に全面的に賛同はしない)。
 「トラベルミステリー」自体、あまり読まないが、それが清張作品であれば読む。旅先でその土地に関連した清張作品を再読することも多い。たとえば「或る『小倉日記』伝」や『情死傍観』を九州で読みかえして、あらたな感慨をおぼえるというようなことも一再ならずあったし、北陸へは殆ど行ったことはないが、金沢あたりに行く機会があれば、『ゼロの焦点*1 を再読三読しようと考えている。
 清張に直接関係しない本が、清張に触れていたりすると、つい反応してしまう。最近でも、奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい』(Nanaブックス)が『西郷札』に触れていたり(p.160)、工藤真由美・八亀裕美『複数の日本語』(講談社選書メチエ)が『新開地の事件』を引用したり(p.20)していたのを憶えている。
 そういえば青木正美『古本屋群雄伝』(ちくま文庫)には、清張と一誠堂書店小梛精以知との交流が描かれていた(pp.466-68)。小梛は、「一古本屋の見た清張先生」という文章を清張全集の月報に書いており、これは別冊太陽の『松本清張』(平凡社)でも読むことができる(p.150)。
 特に、今年は「清張生誕百年」ということもあって、様々な企画が目白押しである。ここ一箇月の間にも、『疑惑』がテレビドラマ化されたり、『対談 昭和史発掘』(文春新書)が出たり、「週刊新潮」1月15日号(「生誕100年 松本清張 あの名作の舞台」)、「オール讀物」1月号(「〔総力特集〕松本清張、生誕百年」対談「清張さんと昭和史」、巻頭グラビア「清張映画のヒロインたち」など)、「中央公論」2月号(橋本治「憧れの巨人」、座談会「生誕100年の作家たちを読み直す」)、「一個人」3月号(郷原宏「生誕100年! 松本清張ミステリーの謎に迫る!」)、「AERA」2月9日号(小北清人松本清張北朝鮮 消えた『金日成伝』」*2)などが特集記事を組んだりしている。
 そこで当ブログでも、不定期ではあるが好きな清張作品を一作ずつ取り上げ、とりわけ好きな一節を引用して、感想めいたことどもを書き残しておくことにしたい。
■『恩誼の紐』(『火神被殺』文春文庫所収)

辰太は、この家の旦那さんに一度だけ会ったことがある。ババやんにつれられて奥の座敷の敷居ぎわになっている廊下に正座させられた。旦那さんは食卓の前で飯を食べていた。そばに奥さんがいて、こっちをむき、旦那さんに何か辰太のことをいった。旦那さんは白っぽい着物をきていたから浴衣ではなかったろうか。そういえば奥さんは団扇で旦那さんに風を送っていたようである。開けた硝子戸の向こうには夕日の当った庭があったかもしれない。頭の禿げた、大きな体格の旦那さんは赭(あか)ら顔をちょいと辰太にむけただけで、すぐ面倒臭そうに視線を逸らせた。あの表情は今でもはっきりと眼前にある。長じてから、違う人に同じような視線を何度もうけてきた。奥さんは、辰太の横に縮んだようにかしこまっているババやんに、もう退(さが)っていいわよ、といった。たしかにそういう意味の言葉を奥さんはいったように思う。ババやんは辰太におじぎをさせ、廊下を中腰になってさがった。もうよい、退りおろう、という台詞の出る芝居を観るたびに、辰太は奥さんと旦那さんが二人で上座にならんでいる光景を想い出す。そうして、タスキがけで着物を縫っている母の背中がその裏に浮んでくる。(pp.224-25)

 清張が私小説を嫌ったことは有名だし、自身の過去についてもあまり多くを語らなかったが、自伝的要素のある小説を書かなかったわけではない。『半生の記』『父系の指』『火の記憶』『骨壺のある風景』などの作品がそれに該当し、『恩誼の紐』にも「わたしの幼年時代の想い出が(略)入っている」(「うしろがき」)という。
 この小説は、冒頭に置かれた「カラマーゾフの兄弟創作ノート」からの引用、そして書き出しからして好きで、書き進むにつれて断片的な記憶が次々に呼び覚まされていく(ように感じられる)点に技巧を感じる。「〜だった」「〜した」のリフレインは、ともすれば悪文の見本になりがちだが、それが全く気にならないのである。
 総じて清張作品は面白いが、作品数が多いだけに、読み進めてゆくとさすがに類似する作品に行き当ることがある。『恩誼の紐』もまたしかりで、プロットとしては『潜在光景』や(前半部が)『天城越え』を想起させるし、訊問調書の引用で終わるのは『渡された場面』に似ている。だから、「どこかで読んだ」気がしないでもない。しかし、『恩誼の紐』が格別に印象深い作品となっているのは、辰太とババやんとの交流が全体を一貫しているからで、それが結末の悲劇性をいっそう際立たせることにもなっている。
 私の知るかぎりでは、『恩誼の紐』を好きな作品に挙げていたのは植草甚一くらいで、この作品について植草は次のように書いている。「……記憶があいまいになっている町のたたずまいが、作者によってそのままの状態で描写されている。ぼくが感心したのはこの点で、なんとなくサイレント映画を見ているような気がしたからであった。(略)なるほどサイレント映画みたいだなあと言ってくれる人がどれだけいるだろうか。すくないほど、ぼくにはこの作品が、よりすきになってくるような気がする」(『文藝春秋臨時増刊 松本清張の世界』1973.11、p.62)。

*1:私が最初に読んだ清張作品である。

*2:この記事はかなり衝撃的だった。「週刊新潮」「週刊文春」はちょっと書きにくいだろう。記事中の金達寿は、たしか清張特集雑誌の鼎談のメンバーでもあった。