本棚ができた

本棚の一角

昼から大学へ。後輩のプレ発表レジュメを見せてもらう。
家に帰ると、本棚が出来上がっていた。狭い納戸の中だけれど、恐るべきキャパシティ。八分の一くらい埋めてみた。
荒井晴彦『争議あり―脚本家 荒井晴彦 全映画論集』(青土社)をぱらぱらと。これまたすごい本。そうか、『ひとひらの雪』も『もどり川』も『皆月』もこの人の作品だったのか、と。荒井氏がすが秀実と出した大著――『昭和の劇―映画脚本家 笠原和夫』(太田出版)についても書いてある。荒井氏は、福田和也がこの本を『週刊新潮』誌上で褒めちぎっていた*1ことがそうとう嬉しかったらしく、飲みすぎて体調を崩したらしい。
『昭和の劇』の刊行は、笠原の死には間に合ったけれども、それが売れたことを笠原は知らないまま亡くなったそうだ。「笠原さんは売れないよと言ったけれど売れてますよ、評判もいいですよと早く言いたかった。そして、それを聞いた時の笠原さんの顔と何て言うかが楽しみだった。また笠原さんちに行くのが遅くなってしまうと思っていたら、鈴木尚之さんからの電話で笠原さんの死を知らされた。そんなに悪かったとは……。もう一度会いたかった。本が間に合っただけでよしと思うしかないのか。(中略)笠原さん、初版三千の本が二刷になるのって大変なことらしいですよ。チクショウ、乾杯したかったなあ」(『争議あり』青土社,p.597)。
荒井氏が笠原和夫に敬意を払うというのも肯ける。笠原は、死ぬまで「脚本家」であった。

妻の真喜子さん(63=当時)によると「和夫は自分の葬儀の脚本を書いてたんです。イラストつきで」。花は飾るな。遺影は掲げるな。坊さんの読経も断れ、と。「仁義なき戦い」「博奕打ち 総長賭博」といった作風そのままの、甘い叙情を排した葬儀だった。(中略)ところで、最後の「脚本作品」である自分の葬儀の出来栄えはどうだったろう。真喜子さんは、にっこりほほえんだ。「お寺を借りておいて、さすがにお経なしというわけにはねえ……」。脚本通りにはいかないことは当の本人が一番知っている。どこかで苦笑しながら、そのシンプルな作りにはおおむね満足していたに違いない。(『朝日新聞』2003.1.6付)

そういえば、東川端参丁目の備忘録で知ったのだが、『エンタクシー』秋号に笠原和夫の『実録・共産党/日本暗殺秘録』*2が附録としてついているらしい。欲しい。
また、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)を読み始める。

*1:この文章は、たしか『晴れ時々戦争いつも読書とシネマ』(新潮社)に収めてある。

*2:『昭和の天皇』は無理なのだろうか。