日記から(6)

帰阪の日。快晴。今日も早く起きる。
また、仕事前の叔母に、上通まで連れていってもらう。開店したばかりの舒文堂に入って、気になっていた本をついに購入。
玄洋社社史編纂會『玄洋社社史』(玄洋社)3000円
ネットで調べてみると、昭和四十一年や平成四年に覆刻版が出ているらしいが、私が購ったのは大正六年のオリジナル版である。社員には、頭山満をはじめ、夢野久作の父杉山茂丸(【追記】杉山が社員というのは誤解でした。済みません)、大隈重信に爆弾を投げつけた来島恒喜など、近代史で暗躍した大物が揃っている。口絵写真も貴重だ。
最後の午食。祖母が作ったゴーヤーと茄子の炒め物、握り飯を食う。持ってきたり買ったりした本のうち、おおかたはダンボールに詰めて送ることにする。
いよいよ母の実家を出る。外は暑い。さようなら、熊本。さようなら、八月。さようなら、T家、K家、Y家、H家、S家の人たち。などと、いくぶん感傷的になってしまうのは、毎年のこと。お世話になった方々に別れを告げ、午後二時十五分発の飛行機に乗る。
「クラシカル・エアー」はすでに九月のラインナップに変わっていて、バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」第一楽章・第二楽章(ヴァイオリンは千住真理子さん)、ラヴェルの「ボレロ」、ビゼーアルルの女第二組曲」の「ファランドール」などが放送されている。
機内では、常盤新平『酒場の時代』(文春文庫)を読む。禁酒法、「ザ・リアル・マッコイ」の話。非常に面白い。また「クラブ21」についての文章に、一九二〇年代のニューヨーク市警はすでに腐敗していた、とあった。法が組織の腐敗を助長させる、あるいは信頼感を失わせるという事実。これは何やら、ヴィクトリア朝のボウ・ストリート・ランナーズを想起させはしまいか。それに深作欣二の『県警対組織暴力』の「県警」は、明らかに日本版ニューヨーク市警である(それが「事実」であることは、『昭和の劇』で笠原和夫が語っていた)。
夕方、家にたどり着く。こちらは涼しく、秋の気配を感じさせる。
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帰省中の日記を更新しました。「日記から」とあるように、脱字、人名などを改めたほかは当日に書いた「日記」のままです。