又五郎と五十鈴の藝談

藝談はおもしろい。中村又五郎山田五十鈴『芝居万華鏡―めぐる舞台のうらおもて』(小池書院道草文庫)をいま読んでいるのだけれど、まあ色々のことを知ることができる。梅村蓉子*1の性格とか、菊田一夫は相当な遅筆だったとか、化粧法をめぐる労苦とか、「それらしく」方言を使うことの必要性とか、吉原廓ばなしとか。藝能用語もあちこちに出てくる。「スリッパ」を「アタリッパ」と言い換える人がいた、という話には笑った。
山田五十鈴はその名前からし*2興味があったのだけれども、もっと興味を抱いてしまった。以前借りて読んだ、升本喜年『紫陽花や山田五十鈴という女優』(草思社)も、もう一度読んでみたくなった。手許に置いておくべきか。
竹中労『芸能人別帳』(ちくま文庫)の「哀別離苦の山田五十鈴」(p.201-11)を再読してみる。「あの」竹中労の描き方が、かぎりなく優しいことにまず驚かされる。

大女優――という呼びかたがぴったりするのは、文字どおり山田五十鈴の芸が、なみの女優よりも、はるかに大きいからなのである。そういう“誇張の美学”は、山田五十鈴という舞台女優が登場するまで、女形だけのものであった。(p.202-03)

芸能界は、うつろいやすい、シンセリティ(誠実)のない場所である。そこでは、人間として女として女優としてすら、まともに生きることがむずかしい。スターというウソでかためた人形になるか、それとも“芸”というたった一つの真実を追い求めるか。山田五十鈴は、まさにひとすじに“芸”に生きた稀有の例である。(p.206)

*1:これは余談だが、井川邦子が、“男装の麗人”梅村淳を梅村蓉子本人だと思い込んでいた、という話を読んだことがある(佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』新潮社)。梅村蓉子は戦時中に夭折している。

*2:「五十」を「イ」と読むのが珍しいので。「五十嵐(いがらし)」もこの類ですね。山田五十鈴は美しい、と初めて私が思ったのはどの映画だったか。成瀬巳喜男『歌行燈』(1943)だったような気もするし、溝口健二『浪華悲歌(エレジー)』(1936)だったような気もする。