一九七九年的

曇りのち晴れ。一時雨もふる。
午まえに大学へ。余裕をもって出たつもりだったが、アクシデントのため会に遅れる。
なぜか体験談を語らされる(冷や汗をかかされながら)。べつに面白いことを言った積りではなかったのに、周囲に笑われる(しかも含み笑いで)。
ある人の発表がきっかけで、馬渕和夫『五十音図の話』(大修館書店)を再読しはじめた。以前TESクラブで入手したものだ(確か半額くらい)。なかなか読み進めることが出来ず、まだ江戸時代の途中。
また、坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』(文春新書)も読み始めた。「晩鮭亭日常」に「坪内さんはこういった《相対的な価値観》に安住することを潔しとしない。しかし、それを特定の宗教に求めたくない氏は、それらと違う《超越的なもの(「カミ」)への信仰》を持ちたいと願う」とあり、また、「東川端参丁目の備忘録」に「これは『ストリートワイズ』『後ろ向きで前に進む』に連なる評論集では」とあるのを興味深く読んだから手に取った一冊なのだが、どうしたわけか、こちらも面白いのになかなか読み進めることが出来ない。
私は、『ストリートワイズ』も『後ろ向きで前に進む』も実は読んだことがなく、坪内氏が「一九七九年」を論じたものとしては、尾辻克彦『肌ざわり』(河出文庫)の「解説」くらいしか読んだことがない。
そのうち印象に残った箇所を以下に引用しておく。

肌ざわり (河出文庫)
しかし「一九七九年的」私小説(いやもっとシンプルに「一九七九年的」小説と呼びたい。なぜなら「一九七九年的」私小説こそまさに「一九七九年的」作品であるのだから)を代表する作品は、何といっても、この尾辻克彦『肌ざわり』である。(略)尾辻克彦は、自称作家という期間を経ることなく、一九七九年にスルッと、本当の作家になった(そのスルッとした感じが、また、一九七九年的である)。(略)
小説、特にいわゆる私小説は、虚実の皮膜を描くものだといわれている。「一九七九年」は、その虚実が、すなわち虚と実を隔てる皮膜が見えなくなっていった時代である。(略)『肌ざわり』に収められた諸作品はその微妙な虚実、虚虚、実実、実虚が、つまり皮膜を境としたこちら側と向う側が、時にシンメトリックに描かれる言葉の「ホログラフィ」―これも『超私小説の冒険』に登場する表現―である。それが私の言う「一九七九年的」小説の意味である。
尾辻克彦は、芥川賞をとった『父が消えた』でもなく、野間文芸新人賞をとった『雪野』でもなく、まずこの『肌ざわり』で記憶されるべき「一九七九年的」作家なのだ。
だから彼がのちに尾辻克彦の名を封印してしまったのは当然なのである。
なぜならそれは一瞬の「一九七九年的」なものだったのだから。(pp.322-28)