イエダニ退治のつもりが…。

黒背(?)の大菩薩峠。

本に、ダニらしき小さな虫が沢山ついていたので、燻蒸剤を使って退治することにした。「イエダニ」アレルギーなのである*1。噴射後、ただちに部屋を出た。
しかし、ちょっと調べてみると、その小さな虫はイエダニではなく、どうやらチャタテムシであるらしいことが分った。さほど気にする必要はなかったようである。
アルバイト先から帰ってくると、あわれ、チャタテムシ(と思しき虫たち)は全滅していた。気の毒なことをした。
みのもんたの昼の番組が、「神田古本まつり」の会場を中継放送していたので、食い入るように画面を見ていた。女子高生がちらと映ったとき、コメンテーターの人たちが少し驚いて、「女子高生まで来てるのか」「学校はどうしたのだろう」「昼休みかしら」などと口々に言っていたのがおかしかった。
みのもんたが『五瓣の椿』に興味を示したので、山本周五郎の本ばかり映していた。残念である。もっと別な本を映して欲しかった。
明日からは、知恩寺の古本まつりが始まるが(初日の明日は古本供養が九時半からある)、行けるかどうか。火・水・金曜日は行けないので、出かけるとすれば、木・土・日曜日のいずれかということになる。行きたい。
ところで、28日の日記に「ブ」で収穫があった、と書いたが、その「収穫」とは、中里介山大菩薩峠』(筑摩書房,1976)のことである。全十二巻だが、第六巻だけ抜けていた。一巻百五円だった。前の所有者は、二巻の途中で挫折したらしく、そこに栞が挟まっていた。三巻以降は新品同様である。
今のところ、全部読む積りはさらさらない。
用例採集に役立つことがあればいいな、などと虫がいいことを考えている。

日本の異端文学 (集英社新書)
私が学生時代に友人たちと競うようにして読んだ『大菩薩峠』のテキストは、角川文庫版(一九五五〜六年)の二十七巻本だった。一九七〇年代には、新刊書店にもこの角川文庫はバラの形で置いてあり、最初の一巻から十巻ぐらいまでは、いつでも買える状態だった。古本屋にも、この文庫本の端本は至る所にあり、一冊五十円程度で全巻を揃えることも可能だったのである。もっとも、運悪く、途中の一巻だけが古本屋ではどうしても見つからず、少々高い値段の新刊書店で買わなければならないということもあった。角川文庫版の「解説」の筆者は全巻、笹本寅であり、「国民文学史をかねた中里介山伝」というものだった。巻頭に該当巻の簡単な粗筋、登場人物紹介があり、いくらか時間を置いて、次の巻を読む時には便利だった。完読したこの文庫版本は、友人が早稲田で古本屋を開店する時に、目玉商品がないということなので、二十七冊をまとめて売った。後で後悔してその後、端本でぼつぼつと集めているのだが、まだ二十七冊全部は揃っていない。
筑摩書房から『中里介山全集』が出たのは、一九七〇年から七二年で、全二十巻のうち、十二巻文が『大菩薩峠』だった。私はこの全巻を古本屋でまとめて一万円もしない値段で買った。ある企業の図書館の廃棄本で、蔵書印はあるものの、本自体にはさほどの汚れはなかった。
文庫本は、角川文庫がやがて品切れとなり、富士見書房の時代小説文庫全二十巻に継承されるようになった。ただし、一巻分のボリュームは富士見文庫は活字も大きくなったせいか角川文庫の二冊分ほどあり、装丁も独自のものだった。一九九五年から九六年にかけて、筑摩書房から愛蔵版『大菩薩峠』全十巻と、文庫版全二十巻が出た。(川村湊『日本の異端文学』集英社新書,p.145-47)

川村氏は、私の入手した筑摩書房版(一九七六年刊)に触れていない。
松岡正剛が紹介している筑摩書房版は、同じく一九七六年に刊行されたものらしいが、なぜか函の背色が違う(画像参照。リンク先の下の方にあります)。

*1:まだ幼稚園児の頃、医者に言い渡された。「セイタカアワダチソウ」にも近寄らないほうがよかろう、と言われた。これは虫媒花なので、花粉症の元凶でないことは明らかになったそうだが、皮膚炎の原因になる可能性があると言われているらしい。それから、「なんとかネズミ」も駄目だと言われたのだが、正確な名前を憶えていない。