「しかめっつらしい」「しかめつらしい」は、「鹿爪(しかつめ)らしい」と「しかめっ面」との混淆表現だとおもわれる。近年の誤用だと考えていたので、田原総一朗『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1971,ATG)*1の石橋蓮司のセリフに出てきて、ちょっと驚いた。
法律なんてものはだな、一見、社会や正義の秩序のもとに処理しようとする人間の努力の体系のようなツラをしてるが、しかし、一切の価値の源泉である生命や人間の尊厳が冒し冒されるときにはよ、いかなるしかめっつらしい壮大な理論が構築したところで(ママ)、結局その脚下に無効の余地を残してるんだよ、と高橋和巳も言っているじゃないかよ。
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武藤康史さんの『文学鶴亀』(国書刊行会)に、新田潤『妻の行方』評がおさめてある(初出は「本の雑誌」1993年5月号)。その文章で武藤氏は、「『性交する』の意で『乗る』が使はれる例に接したのはこれが初めだつた」(p.219)と書き、金子修介『就職戦線異状なし』(1991)を紹介している。この本に対するアマゾンレビューが、RCサクセション「雨あがりの夜空に」の歌詞に「こんな夜にお前に乗れないなんて」とあるではないか、と指摘していたが、しかし、「乗る」が性的なニュアンスを帯びるようになったのは、もっとずっと昔のことなのではないか。
たとえば、小松奎文編著『いろの辞典【改訂版】』(文芸社,2000)「乗せる」の項に、「性交する。男性の『乗る』の女性側の言葉」とあり、『末摘花』の「のせて居てまわつて来なのよくどしさ」が挙げられている(p.651)。
最近出た、井上章一・斎藤光・澁谷知美・三橋順子編『性的なことば』(講談社現代新書)の「イエローキャブ」(井上章一)にも、
「のる」という日本語には、性的なふくみもある。女の上へのってまぐわうという意味で、口にすることがないではない。おいらんにのる……というような用例は、江戸時代からあった。
さて、日本でキャブ、つまりのるための車があらわれたのは、明治以後である。まず、人力車からはじまり、やがては馬車が普及した。バスやタクシーがめだちだしたのは、一九二〇年代からである。当時の文献には、それらがしばしば「乗合自動車」として、紹介されている。あるいは、「乗合」と、ちぢめて言及されることもある。
もともと、「のる」という言葉が、「女にのる」こともさしていたせいだろう。バスやタクシーの「乗合」も、そのころから同じ意味合いでつかわれだす。じじつ、『かくし言葉の字引』(一九二九年)では、「乗合」がこう説明されている。
「一人の女を合意の上で多数の男子が共同して関係することをいふ。乗合自動車などから考へついたものである」(pp.290-91)
とある。手許の樋口榮『隱語構成樣式並に其語集』(警察協會大阪支部,1935)を見ても、「のりあい〔乘合〕」の項に「一人の女を合意の上で多數の男が關係すること」、とあった(p.198)。
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ただ面白いのは、劇中ではこの独特の言い回しが、もっぱら中北千枝子(朝鮮人慰安婦を演じている*2)の発言中にしかあらわれず、しかも、それが周囲の人間には通じない、ということなのである。
中北千枝子「ひどい? 乗り逃げでもされたの?」
雪村いづみ「乗り逃げ?」
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中北千枝子「あ、乗り逃げの新聞記者たよ」
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