日記から

二月某日
 善行堂から『sumus』第13号とどく。午後、成瀬巳喜男『妻よ薔薇のやうに』(1935)観る。三度目であろうか。千葉早智子と大川平八郎、千葉と英百合子など、ふたりが対峙するシーンのうち、特に遠景のショットには必ずといっていいほど「何か」を隔てていたり、カメラが寄るのではなくあえて「引いた」りと、実験的なところにも注目して観ることができた。また、当初観るつもりではなかったのだが、つづけて英勉ハンサム★スーツ』(2008、録画)を観る。オチはすぐに分かってしまったが、おもっていたよりも面白かった。しかし、キャスティング(石田純一やデーブ・スペクターなど)のおかしさは、現代の鑑賞者には理解できるとしても、五十年後の鑑賞者にはほとんど伝わらないであろう。同じように、私がしばしば配役の妙に唸る五十年前の映画を、当時の鑑賞者も同じように観たはずがないのである。“逆立ちしても”小林信彦に反論できない所以である。

二月某日
 ひどい腹痛にはやられるし、顎関節は痛めるしで、最悪な一日。またぞろ女性恐怖症がぶりかえす(いささか言い訣めくが、私はそのせいで多くの人に誤解を与えてしまった)。柴田錬三郎に相談したら、バカヤロウと一喝されるに違いない。しかし、そう考えると気が楽になる。生協で平川祐弘『日本語は生きのびるか』(河出ブックス)かう。慰労会によばれて行くが、ここのところ、一日二、三時間ほどしか寝ていなかったので、某君の真面目な話について行けず、悪いことをしてしまった。

二月某日
 午後までの用事を済ませた後、某先生と天王寺まで同道。その後Jの某店へ行き、在庫があったので取り置きして頂いていた豊田商事株式会社破産管財人豊田商事事件とは何だったか』(朝日新聞社)をかう。またMに寄り、矢野誠一『大正百話』(文春文庫)など5冊420円をかう。

豊田商事事件とは何だったか―破産管財人調査報告書記録

豊田商事事件とは何だったか―破産管財人調査報告書記録

二月某日
 朝、杉江敏男『幸福はあの星の下に』(1956)観る。セット、オープン・セットが中古智、照明が石井長四郎という「成瀬映画」コンビなので、特に路地の撮り方が巧い(一瞬、成瀬映画かと錯覚してしまいそうになる)。岡田茉莉子の存在感(昨年、素晴らしい自伝を読み終えたばかり)がまたよく、ロマンスグレーの御橋公を見られるというのもうれしい。ただし、演出面は、たとえば久保明が手紙を読み上げるのが二度あって、少々くどいか。ラストの木暮實千代は、『晩菊』の杉村春子を髣髴とさせる。

二月某日
 チケットを頂いていたので、シンフォニーホールへ山本貴志さんの「オール・ショパン・リサイタル」を聴きに行く。某所などで「天才」と称されるだけあって、「英雄ポロネーズ」「アンダーテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」(Op.22)が特に素晴らしい。「雨だれ」には胸が締め付けられそうになった。アンコール曲は、プログラム外の「華麗なる円舞曲」(Op.34 No.1)、第一曲のノクターン第20番(情感たっぷり)。補助席も出るほどであったと、後に聞いた。

三月某日
 いろいろとあって疲れていたが、バイト明けに、フリッツ・ラング『怪人マブゼ博士』"Das Testament des Dr.Mabuse"(1933独)を観ると、元気になった。ナチスが公開禁止にしていたことでも有名。オットー・ヴェルニッケ(ローマン警部)は、なんとなくチャールズ・ロートンが扮した警部をおもわせ、好感がもてる。カール・マイクスナー(ホフマイスター)の「グローリア、グローリア…」は、過剰演出でいささか滑稽なり。印象的なのは、テオドル・ロース(クラム)殺害のシークェンス。クラムが車内で殺された後、カメラがしばらく俯瞰で車を捉えつづけるのだ。この不気味さといったらない。やや悪趣味的なトリッキー映像もあったが、グスタフ・ディーゼル(ケント)とヴェラ・リムセイ(リリー)の恋物語がアクセントとなっており、またカーチェイスもあり、映画としては見どころがたくさんあった。1922ver.や、1960年代のリメイク版も、いつか機会があれば観てみたい。

三月某日
 雨ふる。某君と昼食を御馳走になり、某先生に貴重なプリントを頂く。その帰途、Kで橋本五郎監修『新聞社も知りたい日本語の謎』(ベスト新書)、金谷武洋『日本語は亡びない』(ちくま新書)かう。
 深夜、ビリー・ワイルダーアパートの鍵貸します』"The Apartment"(1960米、録画)観る。これまた三度めだが、シャーリー・マクレーンがいつ見てもいい。不覚にもラストで涙が出た。一体どうしたわけか。ジャック・レモンが不用意に手を動かして液体を零す、というギャグが劇中に三度出てくるのに今さらながら気づいた。

三月某日
 午前中、何や彼やと用事を済ませて、アルバイト前に「第1回 水の都の古本展」へ。「軍資金」を得たので、きのうよりは買える。しかし滞在時間は約二十分。谷川健一監修『別冊太陽 日本の妖怪』(平凡社)1200円、は新品同様だし、安い買い物。今まで見かけた一番安いものでも確か2500円くらいしたはず。ほか、倉岡幸吉『肥後方言集』(国書刊行会)1000円、長田幹彦『私の心霊術』(福書房)800円、杉村春子『樂屋ゆかた』(学風書院)500円。杉村春子のこの処女作を買えたのもうれしい。序文は辰野隆
 主にモズブックスの出品コーナーで買ったが、上林暁足立巻一がかなり出ていた。特に上林は、『文と本と旅と』、『入社試験』、『迷ひ子札』、『朱色の卵』、『白い屋形船』、『草餅』など、あまり見ない本も揃っていた(が、さすがに買えず)。
 中身は見なかったが、タッド若松による鰐淵晴子の(ある意味伝説的な)写真集、『イッピー・ガール・イッピー』とおぼしい本もあった(ワンカットだけ、『週刊 日録20世紀』で見た記憶がある)。
 今度のORC、行けるかどうか。