女と味噌汁

江南の鐘 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1816)
■駐日オランダ大使にして中国学者である、ロバート・ファン・ヒューリック(中国名:高羅佩、1910-67)の「狄(ディー)判事」*1シリーズ第一作が遂にポケミスで出た。題して『江南の鐘』。原題は“THE CHINESE BELL MURDERS”で、1989年刊(三省堂)の松平いを子訳ではタイトルが『中国梵鐘殺人事件』となっていたから、最初はそれと気づかなかった。
章回小説に倣って各章の表題を対聯形式で掲げることや(なお、材は『棠陰比事』『醒世恒言』等から取っている)、「ノックスの十戒」に反すること(登場人物が全て中国人――しかも唐代の*2)は、米国では驚きをもって迎えられたに違いない。なにしろ「辮髪に阿片」というのが、当時のアメリカ人の中国人に対するイメージだったようだから。ヒューリックが一連の「狄判事」ものを書いたのは、そういう偏見を打破するために、中国古来の公案小説を紹介するという意義を兼ねていたからでもある。
今回のポケミス版の訳者は和爾桃子で、これまでのポケミス版「狄判事」シリーズも確か和爾氏が大体訳している筈だが、今回の訳者あとがき「余鐘殷々」が、また面白い。このたび改題したのは、「日本語に限っていえば梵の字そのものに仏教のイメージが強く、道観の鐘に使用するのはためらわれ」た(p.246)ためらしい。
驚いたのは、本邦初訳が乱歩の肝煎りで『探偵倶楽部』誌上に連載されていた(1955年、沼野〔池田〕越子訳)ということである。もっともこちらは全訳ではなく抄訳だそうだが、それほど早い時期に邦訳がなされていたとは知らなかった。たとえば、鶴ヶ谷真一『〔増補〕書を読んで羊を失う』(平凡社ライブラリー)には、「『中国梵鐘殺人事件』と『迷路の殺人』を英語で書き上げた著者(ヒューリック―引用者)は、日本語訳を刊行しようと、原稿をある日本の出版社に持ち込んだ。編集者は『梵鐘』のほうは仏教徒の扱いが不適当という理由で断ってきたが、『迷路』は出版を承諾した」云々(p.36)とあるので、『梵鐘』の邦訳は『迷路』のそれよりもずっと遅れたのではないか、と勝手におもっていたのである(『迷路』には、魚返善雄による早い時期の邦訳が有る)。
■某日。五所平之助『女と味噌汁』(1968)を観る。原作は平岩弓枝で、TVドラマ(東芝日曜劇場)の映画版だという。五所の映画は豊田四郎の映画と同じくらい好きで、時々観るのだが、この映画も実に愛すべき佳品である。池内淳子の手の動きや足の動き、そして視線の動きを、キャメラはまさに的確としかいいようのないほど絶妙な状況で捉えている。たとえば墓参のシークェンスで、池内が長山藍子に向かって、「人間って勝手よね」と自己辯護的な台詞を述べたそのあと、視線が不意にフッと定まる。そして視線の先にある墓石の横の鶏頭が映し出される。その一連のキャメラの動きが、わざとらしくなく、実に自然なのである。粋な導入部にも感心した。
この映画の池内は相手の男性にまったく恵まれないのだが、似たような境遇の女性として、成瀬巳喜男『あらくれ』(1957)の高峰秀子、『晩菊』(1954)の杉村春子が挙げられようか。彼女たちは強い。半面、弱い部分も備えている。それが人間なのだといってしまえば身も蓋もないが、しかしスクリーンを通してその真理を伝えるのは実にむつかしい。
またこの映画は、斜陽期の花柳界映画としても観ることができる。滅びゆく花柳界、というと、やはり成瀬の『流れる』(1958)をただちに想起するが*3――こちらは『女と味噌汁』よりも遥かに救いようのない作品であるが――、その十年後の『女と味噌汁』に映りこんだ都市風景から聞こえてくるのは、まさに再開発のトカトントン、そして飛行機の音である。セットの弁天池新地の古めかしさ(これがまるで荷風の世界なのである)と、そこを一歩出たところにある現実の都市風景の何という乖離!
伊丹十三タンポポ』(1985)――この作品は大傑作だとは言いがたいが――を観るとラーメンが食いたくなるのと同様、『女と味噌汁』を観たあとは、味噌汁が啜りたくて堪らなくなった。

*1:主人公は実在の狄仁傑(630-700)。

*2:但し、生活等の描写については明代の小説を摸したと、作者はことわっている。因みに挿画も全て作者が描いている。

*3:どんちゃん騒ぎする杉村春子の哀しさは、どじょうすくいを踊る池内のさびしさに似ている。