「ら抜き言葉」について

 北村薫『読まずにはいられない―北村薫のエッセイ』(新潮社)を読んでいる。まるで福袋のような「お得感」のある本。たとえば、「円紫さんと私シリーズ」*1の第一作(にしてデビュー作)『空飛ぶ馬』単行本のカバーに書かれた「著者の言葉」、かの有名な、「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」にはじまる文章が読める(p.253)のは、文庫版で親しんだわたしにとってはうれしい。その他、『日本探偵小説全集』(創元推理文庫)の内容紹介がまとめて読めるのもうれしい(第十一巻の「解説」も別に収めている)。誠実な註記も好もしい。
 同書の巻頭を飾るのは、鈴木亮一編『高校生の文章表現』(さきたま出版会1982)に収録されたコラム群。そのなかに、「今なら見られます」という文章がある(p.12)。いわゆる「ら抜き言葉」をあつかったもので、北村氏はこれを、「今は、少くとも文章語としては『食べられる、出られる、来られる』などと書いてもらいたいものです」――、と結んでいる。

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 というわけで、年内最後の記事は、「ら抜き言葉」についてまとめたものにしようとおもいます。
 それではまず、「ら抜き言葉」に関する記事をいくつか抜書きしておきます。新しいものから古いものへとさかのぼる形で示します。

 「ら抜き」が広まってきた経緯をたどると、昭和二〇年代にはすでに登場していたという記録がある。一九五一(昭和二六)年、ラジオのクイズ番組「二十の扉」で回答者が「それは見れますか?」と言っているのは気になるという意見が雑誌『言語生活』の投書欄で紹介されている。(略)「ら抜きことば」にはそれなりに合理的な側面があるとも言われる。「れる」「られる」は、可能、受身、尊敬、自発の四つを表す助動詞である。「来られる」は「来ることができる」という可能性のほか「先生が来られる」という尊敬の意味も表す。これに対し「来れる」は「来ることができる」という可能の意味だけをわし、受身や尊敬には使われない。可能の場合は「れる」の方が合理的だというのである。
(加藤昌男『テレビの日本語』岩波新書2012:73-74)

ら抜き表現が「日本語の乱れ」として議論が起こったのは1990年代、私の高校生時代だった。(33歳男性,2010.7.29付「朝日新聞」大阪版)

 「(ら)れる」はお〈受身〉〈尊敬〉〈自発〉〈可能〉の意味を表す助動詞であるが、「(ら)れる」という同一の形式が使われると、たとえば「先生は学会には行かれないそうだ」が〈尊敬〉なのか〈可能〉なのかが不明であるように、実際の言語活動において支障をきたすことがある。しかし、可能動詞を使えば、「先生は学会に行けないそうだ」となり、〈可能〉の意味を明示することができる。動詞が助動詞「(ら)れる」を付加することで〈可能〉を表すことによって生じる不都合を、動詞が可能動詞という〈可能〉専用形態を持つことによって解消できるのである。可能動詞の発生・定着という現象は、そうした不都合をなくす方向での動詞形態の歴史的変化と考えられる。
 こうした可能動詞化の流れが、五段活用動詞だけにではなく、一段活用動詞やカ行変格活用動詞(「来る」)にまで及んできたのが、「ら抜き言葉」の出現であるといえる(サ行変格活用の「する」は、「できる」が〈可能〉を表す語形である)。
(須賀一好「ら抜き言葉北原保雄監修『岩波日本語使い方考え方辞典』岩波書店2003:463)

 それ(「ら抜き言葉」―引用者)が全二十巻の『日本国語大辞典』に取り入れられたときは批判的な意見の方が多かったと思う。用例文をもとに語釈をほどこすという記述辞書の使命として、葛西善蔵川端康成の例文を添えての扱いは当然であったが、そこには本来「来られる」「見られる」であるが云々という注記があった。(略)
 この“ら抜き言葉”は短い言葉から定着しつつあって、「来れる」「見れる」に「着れる」「出れる」が続いて、さらに「食べれる」などの二拍を語幹とするものが予備軍として控えている。しかし、それ以上長くなるとどうだろうか。「考えれる」なんて、ちょっと考えられない。しかし、“ら抜きの(ママ)言葉”のとがめだては逆の現象を生み、「…は使えられない」などという“ら入れ言葉”が登場し、若い女性アナウンサーの声で聞くことがある。(倉島長正『正しい日本語101』PHP文庫1998:192←1996東京新聞出版局)

「ら抜きことば」とは、「見れる」「出れる」「食べれる」「起きれる」のたぐいだが、これらは一度に出てきたのではなく先後の順があり、「見れる」は明治の東京の最高級の家庭にすでにあったのだろう、と思うのである。
高島俊男「見れます出れます食べれます」1996.3.7『お言葉ですが…』文春文庫1999:239←1996)

れる《助動》五段活用動詞での(3)の言い方(「可能」の意味で用いられる表現―引用者)は、現在では普通「読める」のような形で言う。
西尾実岩淵悦太郎水谷静夫編『岩波国語辞典【第四版】』岩波書店1986年第1刷,1991年第7刷)
れる《助動》五段活用での(3)の言い方は現在では普通「読める」などのように可能動詞で表現することが多い。また最近「見れる」「着れる」「来(こ)れる」「食べれる」など、ら抜き言葉(意図的に抜くのでないから適切には「ら抜け言葉」と呼ぶべきか)として話題になる現象は、かなり前から(3)の意に限って、主に語幹が一音節の場合に見られる。
(同前『岩国【第五版】』岩波書店1994年第1刷,1997年第3刷)*2

 可能の意味の「見れる」は昭和の初期にすでに登場していたらしいが,一般に注目されるようになったのは太平洋戦争前後である。(略)
 今では,この「ら抜き」表現はまったく普通のものになっている。「見れる」「食べれる」のほか,「出れる」「着れる」「逃げれる」「生きれる」「起きれる」等々,数だけで言えば,「〜られる」と言う人のほうがむしろ少数派かもしれない。
それだけに,むげに間違いとして退けるには,ある程度の勇気がいるが,現在,NHKは,一段活用やカ変の動詞から出た「見れる」「出れる」「来れる」のような言い方は適当とは言えない,という態度をとっている。
 なぜか。これは「見る」「食べる」といった個々の動詞の問題ではなく,一段活用の動詞の可能形がすべて「〜られる」→「〜れる」になるという組織的変化の問題だと考えられる。しかし,それにしては,変化がまだ十分組織的なものになっていない。つまり,人によっては「ら抜け」表現をまったく用いないばかりか,強い抵抗感さえ抱いている。また,「見れる」「食べれる」と言う人でも,「あきらめれる」「取りまとめれる」と言うとは限らないのが現状である*3
NHK放送文化研究所編『NHK ことばのハンドブック』日本放送出版協会1992第1刷→1999第9刷:357)

 日常の言葉づかいなどの中で、国語の乱れを心配している人が7割以上もいることが、27日付で総理府が発表した「国語に関する世論調査」の結果、明らかになった。一方、「食べられない」を「食べれない」というなどの、いわゆる「ら抜き言葉」が、文法上は誤りとされているにもかかわらず、6割近くの人が「気にならない」としており、若い層ほど自然な語法と感じている。
 調査は今年6月、全国の20歳以上の男女3000人を対象に面接方式で実施した。有効回収率は76.1%だった。
 「日常、世間で使われている言葉づかいなどからみて、今の国語は乱れていると思うか」との問いに、乱れているとの認識を示した人は「非常に」「ある程度」を合わせて74.7%を占めた。全般的に女性の方がその意識が強く、なかでも40代の女性は82.6%と、最も高い数値。逆に最も少ないのは20代男性で59.2%。
 乱れていると思う点では「話し方」72.4%、「敬語の使い方」67.3%、「あいさつの言葉」51.9%(複数回答)などが目立つ。また、「従来は文法上誤った用法とされてきた」(文化庁国語課)ら抜き言葉については、「見られる」「食べられない」「出られる」「起きられない」の4例を挙げて、気になるかどうかを調査した。「気にならない」は57.9%で、「気になる」は40.1%だった。
 「気にならない」人は、20代で74.6%、60歳以上で50.4%。また北海道や北陸地方で70%を超えたのに対し、関東地方では50%を切るなど、地域的な偏りも明らかになった。
 敬語については、今後も「必要と思う」人が93.7%。その理由では「尊敬する気持ちを表せる」68.4%、「けじめをつけることができる」50.1%、「人間関係を円滑にすることができる」45.9%が多い(複数回答)。「必要だとは思わない」とする理由では、「よそよそしい感じがする」が41.0%で最も多く、次いで「複雑でわずらわしい」「形式よりも個性的な表現を優先したい」だった。
 ○文法に変化は自然の流れ
 文部省の国語審議会委員で歌人俵万智さんの話 敬語についての答えに見られるように、言葉に込められる心が大事だという考え方が回答の全体からうかがえ、すてきなことです。
 ら抜き言葉が気にならない人が、これほど多いとは思わなかった。私は活字で見ると気になるが、話し言葉ではその方が発音しやすく、理解できる。文法があって日本語が作られたのではなく、日本語を観察して作ったのが文法であり、変わっていくのは自然の流れです。(1992.9.28付「朝日新聞」)

 上引の二番目の記事にもあるとおり、「ら抜き言葉」は1990年代になると新聞や雑誌などのメディアがこぞって取り上げるようになったとおぼしく、島田荘司ら抜き言葉殺人事件』(カッパ・ノベルス1991→光文社文庫1994)、永井愛『ら抜きの殺意』(而立書房1998→光文社文庫2000,1997発表)というタイトルの本も刊行されている。また小松英雄『日本語はなぜ変化するか―母語としての日本語の歴史』(笠間書院1999)は、「ら抜き言葉」をメインにあつかったものであった。
 ただ、それは、「ら抜き言葉」という名称が定着しはじめた時期にすぎないと考える。

 実は、この言い方は、松下大三郎という、日本語を深く研究した文法学者の『標準日本文法』という本(今から七十年も前の一九二四年出版)にすでに注意されています。
 「起キレル」「受ケレル」「来レル」という言い方は、「平易な説話にのみ用い、厳粛な説話には用いない」とその本にあります。
大正の末、昭和の初めには実際に方言として使われていたようで、小林多喜二の『蟹工船』(一九二九年)に「過労のためだんだん朝起きれなくなった」とあります。
 この言い方は東京ではむしろ山の手にあったようで、下町の深川の育ちの私など耳にしたことはなかったと記憶します。(略)
本来、ラレルという助動詞は、受け身、尊敬、可能、自発という四つの役割を負っています。そこで、見ラレル、起キラレルという表現を、もっぱら尊敬表現のほうに使うことにして(これには戦後、文部省が、尊敬にはレル、ラレルを使うと導いたことも関係があるでしょうが)、可能を分離し、レル形の見レル、起キレルにもっていく。こういう一種の役割分担による表現の明確化の意向が、人々の間に潜在的に働いていると私が感じていることもあるのです。*4
(『大野晋の日本語相談』朝日文芸文庫1995:26-31←1986〜1992「週刊朝日」連載を再構成。のち2002年朝日新聞社(現朝日新聞出版)から復刊)

 一枚のメモに、
でれない 大正15・10・9
小林多喜二日記
とあった。(略)
 要するにこのメモは、多喜二の日記の、大正の記事に、「出れない」という用例があった、ということの記録である。
見れる・見れないという、破格な文法の、いわゆる乱れたことば遣いは、昭和三十年代から、耳につくようになったという記憶があるが、(略)メモによると、
 大会にも来れない 昭25・9・24 三笠宮 朝の訪問
とあって、すでに昭和二十年代に、三笠宮NHKの放送で、これない、と言っておられたのである。
 見れないは、昭和十年か十一年の、川端康成の書いたものにある、というが未確認である。それにしても多喜二の例ははなはだ古い。
(池田彌三郎「日記から―『でれない』」 1975.8.4付「朝日新聞」夕刊東京版)

(「見れる」「出れる」などが誤りと見なされる―引用者)理由は、
(1)可能動詞は、四(五)段活用の動詞の仮定形から派生するものに限って認められ(読む→読める 書く→書ける等)「見る」「出る」のような上一段・下一段活用の動詞には認められない。
(2)可能の意味を表す助動詞「れる」は四段(五段)活用とサ行変格活用の動詞にだけ接続し、その他の活用をする動詞(上一段・下一段・カ行変格)には「られる」が接続する。
とされているからである。(略)ほとんどの国語辞書においても、「見れる」「出れる」などを公認したものはない。(ただ、わずかな例外として、比較的最近に出た一、二の辞書では、「来れる」を独立項目として掲げ、川端康成の「雪国」の用例「よそを受けちゃった後で、来れやしない。」を引用したものがある。これは「来れる」を「来る」に対する可能動詞として正式に認めたことを意味している。)
文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(旧)大蔵省印刷局1995:540,『言葉に関する問答集』第1集;1975.5.1初出)

 ほか、見坊豪紀『ことばのくずかご』(ちくまぶっくす1979)が、有吉佐和子『夕陽カ丘三号館』第222回(1970.11.10付「毎日新聞」)から、

「私は怕くて顔が見れませんでしたよ」
「見られなかったと言ってくれ」
「あら、この頃は見れないって言うんですよ」

という例を拾っているし(p.157)、見坊豪紀・稲垣吉彦・山崎誠『新ことばのくずかご』(筑摩書房1987)は、1956年9月号「オール讀物」から「真正面(まとも)に俺の眼(まなこ)を見れるか」(子母澤寛『さんど笠』)という用例(p.57)や、1984年1月号「日本語学」所載の井上史雄氏の「ら抜き言葉」に言及した文章(p.103)を引いているが、枚挙に遑がないので、このあたりでやめておく。
 ついでながら、さいきん拾った例をひとつだけ。「だからなぁ、俺は今まで生きてこれたんだ」(政=南原宏治田中徳三『赤い手裏剣』1965大映より)。

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 近年は、「ら抜き言葉」は形態論によって解釈することが多い。
 形態論とは、簡単にいってしまえば、語の構成や作り方などを観察/考察するものである。この立場では、語(「語」というのも定義がむつかしいが)よりもさらに小さい単位として、形態素(morpheme)というものの存在を認める。これは意味を有する最小の言語単位であるということができる。
 日本語の形態素解析をする場合、都合がよいのは動詞である。この形態素解析によって、日本語の動詞には子音(語幹)動詞・母音(語幹)動詞の二種を認めることが一般的となっている。
 まず現代日本語の五段動詞、たとえば「読む」「書く」は、以下のように、「yom」「kak」という共通する形態素を取り出せる。いずれも子音で終わるから、これらを子音動詞と定義するのである。

読むyom-u          書くkak-u
読まないyom-a-nai      書かないkak-a-nai
読みますyom-i-masu      書きますkak-i-masu
読めばyom-eba        書けばkak-eba
読めyom-e          書けkak-e
読もうyom-oR         書こうkak-oR
読んだyo-Nd-a        書いたka-It-a(※音便形)

 次に一段動詞について見よう。「起きる(上一段)」「食べる(下一段)」は、以下のように、活用の種類にかかわらず、「oki」「tabe」という共通する形態素を取り出せる。いずれも母音で終わるから、これらを母音動詞と定義するのである。

起きるoki-r-u         食べるtabe-r-u
起きないoki-nai        食べないtabe-nai
起きますoki-masu        食べますtabe-masu
起きればoki-r-eba       食べればtabe-r-eba
起きろoki-r-o         食べろtabe-r-o
起きようoki-y-oR        食べようtabe-y-oR

 以上を綜合すると、それらの動詞形態素に、「ru」「nai」「masu」「eba」などの接尾辞をつけることによって、様々な形式をつくり出していると解釈できる。また、それらの頭が子音の場合、子音動詞に接続する場合は母音が挿入され、接尾辞の頭が母音の場合、母音動詞に接続する場合は子音が挿入されている――、とまとめることができる。つまり、日本語において許容されにくい音の連続(「子音+子音」、「母音+母音」)を、音素、すなわち母音「a」や子音「r」の最低限(つまりひとつ)の挿入によって回避しているのではないか? と想定されるわけである*5
 具体的にいうと、子音動詞(〜C_ )は次のようになっている(以下、カ行変格活用、サ行変格活用はいずれにも属さないため、別途示した)。

(1)〜C_ + a + _C〜(※_C〜は否定の zu naiなど)〈ko se/shi カ変、サ変〉
(2)〜C_ + i + _C〜(※_C〜は否定以外の masu nagara など)〈ki shi〉
(3)〜C_ + _t〜〔音便形処理〕→ここでは詳細を省く。〈ki shi〉
(4)〜C_ + _V〜〔そのまま〕

 また母音動詞(〜V_ )は、次のようになっている。

(1)〜V_ + s + _V〜(※_V〜はase 使役)
(2)〜V_ + y + _V〜(※_V〜はoR)〈ko shi カ変、サ変〉
(3)〜V_ + r + _V〜(※_V〜は上記以外のもの。 are u o eba )〈koi su/shiro〉
(4)〜V_ + _C〜〔そのまま〕

 このような形態論の立場からすると、「ら抜き言葉」は、たしかに機能のスリム化(つまり、可能を意味する場合のみ「ら」を抜く)という見方もできるが、体系の単純化であると見なすこともできるようになる。

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 子音動詞のいわゆる可能動詞形「読める」「書ける」等が成立したのは江戸中〜後期であると考えられるが、もともと(江戸初期まで)可能をあらわしていたのは、「読まれるyom-are-r-u」などといった形式であった。しかし、室町時代ころに生じた「読めた!」など*6との類推もあって、「読めるyom-e-r-u」という形を生んだ。つまり形の上からは、「-ar-抜き」が生じたわけである。このような典型例が、「動かれるugok-are-r-u」「走られるhashir-are-r-u」など他の子音動詞に及んで、江戸末期には「動けるugok-e-r-u」「走れるhashir-e-r-u」となり、明治期にはほぼすべての子音動詞に適用された。
 さらにこれは、例外的にふるまう「来るku-r-u」にも影響を及ぼし、その結果、「来られるko-r-are-r-u」>「来れるko-r-e-r-u」となった。
 そこで、「食べられるtabe-r-are-r-u」などの母音動詞も、向後これに準じて変化を起こすことが豫想されるわけである。というか、現にそうなってきている。これが「ら抜き言葉」である。すなわち、

yom-are-r-u > yom-are-r-u(可能動詞)    →   tabe-r-are-r-u > tabe-r-are-r-u(ら抜き言葉

ということである。しかし、このような変化は急激に生じるのではなく、徐々に進行する。
 これは大雑把には、マジョリティである子音動詞から変化が始まり、それが母音動詞に及ぶと言いうる。そして母音動詞内部は、「i終わり、かつ一音節語幹」(ex.「見るmi-r-u」「着るki-r-u」)→「i終わり、かつ複数音節語幹」(ex.「起きるoki-r-u」)→「e終わり、かつ一音節語幹」(ex.「寝るne-r-u」「出るde-r-u」)→「e終わり、かつ複数音節語幹」(ex.「食べるtabe-r-u」「整えるtotonoe-r-u」「考えるkangae-r-u」)という順序で変化が及んでいくと考えられる。たしかに、「整えれる」「考えれる」という語形、つまり語幹の拍数が多い動詞の「ら抜き」は、現在でも許容されにくい。
 ちなみに動詞形態論のメリットは、一段動詞の語幹消失が解消されるという点にもある(たとえば「着る」「似る」の語幹を認めてしまうと、未然・連用形が「消えて」しまうため、学校文法では苦し紛れに、語幹が○印や、(き)(に)等といった形で示される。前回の記事も併せて参看のこと)。

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 この記事は、屋名池誠先生講義資料(夏季集中講義2007)、金水敏先生講義資料「形態論」(2004.10.6)、早田輝洋先生講演資料(日本言語学会,夏季講座2002)を参照している。もっとも、消化できていない部分や残された誤りについては、全てこれ、筆者の責任に帰する。
 動詞形態論に関する入門的な事柄に関しては、井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書1998)のほか、国広哲弥『新編 日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書2010)pp.226-230,pp.315-320が参考になる(ただし形態解釈の面で、上に述べたものとは少し異なる点もある)。
 なお、今回は現代日本語(共通語)に的を絞ったが、古典語や方言にもこの考えかたを導入することができる。この記事ではその梗概を述べたまでである。

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 最後に、わたしの立場を述べておく。
 わたしは、インフォーマルな場では、「ら抜き言葉」を使う(五段動詞「行く」は可能動詞「行ける」ではなく、古形の「行かれる」を使う)。それは、そういう環境で育ってきたから、ということに尽きる。
 しかし、フォーマルな場では、「ら抜き言葉」を意識的に避けるようにしている。いくら「言葉は変化するものだ」と言ってみたところで、現在も抵抗を感じたり不快感を表明したりする人はたくさんいるわけだし、それが言語変化だと知っていればなおさら、今はその過渡期だと心得て、なるべく避けるべきだとおもうからである。

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

日本語ウォッチング (岩波新書)

日本語ウォッチング (岩波新書)

新編 日本語誤用・慣用小辞典 (講談社現代新書)

新編 日本語誤用・慣用小辞典 (講談社現代新書)

*1:いわゆる「日常の謎」ミステリで、北村氏はこれを「覆面作家」として書かれた。

*2:辞書類で「ら抜き言葉」に言及した比較的早いものには、『三省堂国語辞典』がある。「れる(助動・下一型)〔俗に、上一段・下一段活用の動詞につけて「見れる」「出れる」などと言う〕(金田一京助見坊豪紀ほか編『三省堂国語辞典【第三版】』三省堂1982年第1刷)」。ただし、初版1960年第1刷(1970年第84刷)に、この記述は見られない(第二版は未確認)。

*3:全面改訂版『ことばのハンドブック第2版』(NHK出版2005:142)には、この文章の縮約版がコラム形式で掲載されている。

*4:丸谷才一の日本語相談』(朝日文芸文庫1995)のなかで丸谷氏は、大野氏の態度をやんわりと批判するかたちで「一般論としても、見レルはいけない」(p.26)と結論する。だが興味深いことに、ちょっとした議論のすれ違いも生じている。「ら抜き言葉」は、それくらいデリケートな問題だとも言えるだろう。また丸谷氏は、他の著作でも「ら抜き言葉」にしばしば言及している。

*5:なお、「r」を挿入するのは、その部分が独立した形態素でないことを示すためだという説もある。「ラ行」ではじまるものは、漢語、漢語以外の外来語にしか見られないことも併せて考えるべし。

*6:これらの表現は、「方言の分布や国語史の資料からみて、すでに使われていた『知れる』などの自動詞を出発点にして生じたか、または『読み得る』『読み得た』を短くしたのだろう」(井上史雄『日本語ウォッチング』岩波新書1998:16)。