近松秋江「黒髪」への誘い

 近松秋江『黑髮 他二篇』(岩波文庫1952*1)は、「黑髮」「狂亂」「霜凍る宵」の三篇を収めている。秋江の作品に初めて触れたのはこの文庫によってであったが――正確にはそれ以前、コラム集『文壇無駄話』(河出文庫1955)を「つまみ読み」したことがある――、内容というよりも、まずはその表記の面白さに惹かれて読んだのであった。
 表記の面白さというのは、たとえば「一寸遁れに逃れて居りたい」(「狂亂」p.50)、「捕まりさうで、さて容易に促まらない」(同p.67)、「慨いても歎いても足りないで」(「霜凍る宵」p.151)、「幾度もいくたびも」(同p.154)、「可愛かはい人どつせ」(同p.165)という、異字同訓等を利用した云わば換字的な表記例、「悒鬱(うつとう)しくつて」「鬱陶しい五月雨」(いずれも「狂亂」p.61)、「眞實(ま)に受けて」(「霜凍る宵」p.116)「母親の言つた詐りごとを眞に受けて」(同p.123)「それが眞實(ほんと)でござりますやろ」(同p.145)、「靜(ぢつ)としてゐれば」(「黑髮」p.11)「靜(そつ)と胸の動悸を」(「霜凍る宵」p.127)「靜(ぢつ)とそこに坐つたまゝ」「凝乎(ぢつ)と兩腕を組んで」(いずれも「霜凍る宵」p.130)、「綺麗さつぱりと思ひ斷(き)つてしまはうか」(「狂亂」p.83)「彼女を潔く思ひ切つて」(同p.85)、「男に落籍(ひか)されたのに」(「狂亂」p.74)「引かしてやらうといひ出した」(「霜凍る宵」p.150)といった漢字の宛てかた等々をさす。
 このうち「靜(ぢつ)と」という用字については、現代言語セミナー『辞書にない「あて字」の辞典』(講談社+α文庫1995*2)の「じっと(静と)」の項に、大塚楠緒子「そら炷」の「仕方なしに静と座った」という用例と共に、まさに秋江の「別れた妻に送る手紙」が挙げてある(こちらは書名のみで、引用文はなし)。
 「別れた妻に送る手紙」は「別れた『る』妻に送る手紙」という作品名になっていることが一般的で*3、文庫だと、近松秋江『黒髪|別れたる妻に送る手紙』(講談社文芸文庫1997)*4などで読める。で、これを見ると、「別れたる…」には、「静(じっ)として」(p.72)という例があり、そのほか「静(そっ)として置きたい」(p.140)もある。
 当該の文庫に収められた「別れたる…」の続篇にあたる「疑惑」にも、「静(じっ)と気を落ち着けて」(p.152)、「静(じっ)とお前達のことや」(p.156)、「静(じっ)と寝ていないか」(p.195)のほかに「静(そうっ)と両手を翳して」という例があり(多すぎるので主な例だけ)、秋江はこの訓を多用していることが知られる。ここでふたたび『辞書にない「あて字」の辞典』を披いてみると、「そっと(静と)」の項には、嵯峨の屋お室「初恋」(引用文はなし)とともに、秋江の「寝ている裾から静と入れてくれた」(「別れた妻に送る手紙」)という用例を挙げている。秋江は「そっと」に「密(そつ)と立つてゐた」(「霜凍る宵」岩波文庫p.120)、「密(そつ)と」(同p.121)などと「密」を宛てていることもあるが、この「密と」について『辞書にない「あて字」の辞典』は、露伴五重塔』や十一谷義三郎『唐人お吉』などでの使用例を挙げており、秋江の用例には触れない。
 そのほか指示詞に具体的な漢字表記を宛てて距離感を把握・視覚化させるということも、秋江がよく用いる手である。たとえば「上京(かみ)から祇園町(こつちや)へ」(「黑髮」p.43)、「西洋(あちら)」(「別れたる…」p.92)、「彼家(あすこ)」(同p.122)、「東京(こちら)」(「疑惑」p.183)、「其店(そこ)」(同p.183)、「四畳半(あちら)」(同p.201)といった類。少し外れるが、「料理屋(そと)じゃ銭(かね)ばかりかゝって詰らない」(「疑惑」p.189)という例もあって、この様なものは枚挙に遑がない。
 またこれは表記面の話ではないけれど、一拍の語を二拍に延ばして発音する(ex.「血ぃ」「目ぇ」)関西方言の特徴が、巧まざるユーモアを醸し出すくだりがあって、なかなか印象的だったので、ついでながら挙げておく。

「そんなによかつたら、こゝをあんたはんのまあにしときまへうか。」
「まあとは。……あゝ間(ま)か、あゝどうぞ居間にして置いてもらひたい。」(「狂亂」p.61)

 なお、敬愛する近松門左衛門を筆名に用いた秋江らしく、たとえば「黑髮」には「(心中)天の網島」が(p.33)、「霜凍る宵」には「冥途の飛脚」が(p.151)唐突に出て来たりして、ことに後者では、態々「毎度近松の作をいふやうであるが」などとことわっているところも可笑しい。
 さて山田稔氏は、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した掌篇集『ああ、そうかね』(京都新聞社1996)の「ある晩年」(初出は1995.7.28付京都新聞夕刊)に、秋江「黒髪」の冒頭部を作品名を伏せながら引用し、「ああ、書き写しているときりがない。ここまでで、あれだなと思い当たる方もいるだろう」(p.189)と述べているから、秋江、というよりも「黒髪」はひところ、かなり読まれたようだ。ちなみに「ある晩年」は、いま『山田 稔 自選集1』(編集工房ノア2019)pp.81-83でも読める。
 また荒川洋治『忘れられる過去』(朝日文庫2011←みすず書房2003、この本は10年以上前にここで紹介した)の表題作「忘れられる過去」も、秋江の「黒髪」について述べたものだ。こちらも、近年出た『文学は実学である』(みすず書房2020)に収められた。荒川氏は書く。

「黒髪」は、待つことから生まれた名作だ。待っててねといわれて、男が待つ場面が多い。待つのは飽きるので散歩くらいしたい。でもほんのしばらくの間なので、あまり遠くへ行ってはまずい。(略)
 待って、待って、待ちくたびれる。そして「根負け」して、自分から出かける。この繰り返しについて、秋江はどう思っているのか。
 同じことを書いているという気持ちは、ないのではなかろうか。そのときそのときに、そう思ったことが、秋江の場合絶対のもので、少し前に同じようなことがあったとしても、また書いたとしても、そうした過去のできごとはすっかり忘れられた。文章のなかの過去を消していくことができた。書いたことが少しも身になっていないのだ。これは一度書いたことをたいせつにする文学にはゆるされないことであり、なかなかできないことでもあり、文学としては新しいことである。(『文学は実学である』pp.129-32)

 「待つこと」は、一見能動的な行為であるかのように思われるが、その実、「待たされること」という受動的な行為である。「黒髪」は「待たされる」側の男のほうにばかり目が向けられ勝ちであるが、逆に「待たせる」側の女に着目して、「じらしのテク」という面からこの作品を読み解いたのが、斎藤美奈子氏である。

 じらしのテクがまたすごい。「私」に対する女のじらし方も、読者に対する作者のじらし方もだ。一年半ぶりに会ったのに、何を聞いても女は「こゝではそのことも云えませんから、私、かえります」「下河原の家へこれからいて待っとくれやす」。指定の料理屋に行けば行ったで「こゝではいえまへん」「あんたはん、私、ちょっと帰ります」。
 じらされた読者はつい語り手に肩入れしてしまう。(略)
 なにゆえ女はこんなにじらすのか。ラストですべてが明らかになる。
斎藤美奈子『吾輩はライ麦畑の青い鳥―名作うしろ読み』中公文庫2019←『名作うしろ読みプレミアム』中央公論新社2016:34-35)

 ここで重要なのは、作中の人物だけでなく、作者によって読者もまたじらされているという、二重のじらし構造になっているとの指摘だろう。なにしろ「黒髪」は、これからようやく物語が動きはじめるかと思わせるところで、突然の終幕を迎えるのであるから。
 斎藤氏も書いていることだが、「黒髪」は実は「それ単独では完結していない」作品である。つまり“連作”(そしてこの連作がまとめられて『黒髪』という書名で出ていたりする)の一部なのだ。「次回乞う御期待!」という文字列でも入りそうな「黒髪」の突然のラストは、まさに秋江一流の「じらしのテク」を体現するものにほかならない。
 とは云えわたしの場合、最初から岩波文庫版の『黑髮 他二篇』で表題作から順を追って読んだので、さまで気にとめることもなかったのだが――というのは、この「他二篇」すなわち「狂亂」「霜凍る宵」は「黑髮」の続篇なのであるから――、たとえば文芸文庫版の『黒髪|別れたる妻に送る手紙』で「黒髪」に触れただけでは、作品が唐突な幕切れを迎えることに戸惑ってしまう読者もあるだろうし、「黒髪」のいったいどこが「名作」なのか、と訝しむ向きもあることだろう。
 もっとも柳沢孝子氏は、文芸文庫に収める「作家案内」で、そのことについてきちんと書いている。すなわち、「残念ながら本書未収録の作品」(p.268)である「狂亂」「霜凍る宵」の梗概を紹介し、「黒髪」を「傑作と見るかどうか、もっと言えば好きか嫌いか(略)最終判断を下すためには、実は本書収録の小説「黒髪」だけではなく、連作三篇すべてを通読する必要があるだろう」(p.269)と述べているのである。
 この“連作”については、梯久美子氏も2014年11月2日付「日本経済新聞」の「近松秋江(4)「情痴」の人―恋に敗れた大正文士の栄光(愛の顚末)」で、

秋江が入れあげ、4年にわたって東京から送金を続けた京都の芸妓(げいこ)・金山太夫。彼女とのいきさつは「黒髪」一編では終わらず、「狂乱」「霜凍る宵」「霜凍る宵続編」と書き継がれている。通読すれば、金山太夫には相愛の男がおり、年季が明けても秋江のところにいく気などさらさらなかったことがわかる。

と書いている。また正宗白鳥も『黑髮 他二篇』の解説で、

「黑髮」からはじまつて、「狂亂」「霜凍る宵」「續霜凍る宵」は、連續して讀むべきもので、…(p.190)

と書いている*5。梯氏の文章とは作品名が若干異なりはするものの、いずれも、「霜凍る宵」には続篇が存在することに言及している。それなら、岩波文庫はなぜその続篇を収めてくれなかったのだろうか――などとおもいはしたものの、ろくに調べもせずにいたところが、その疑問が、最近になってようやく氷解したのであった。
 結論をさきにいうと、「續霜凍る宵」(「霜凍る宵続編」)は、岩波文庫版『黑髮 他二篇』のなかにすでに含まれていたのである。
 謎を解いてくれたのは、佐藤正午『小説家の四季 2007-2015』(岩波現代文庫2022←岩波書店2016)の「2011年春――黒髪」「夏――黒髪2」である。佐藤氏は次のように書く。

そこで(八木書店刊『近松秋江全集 第四巻』の―引用者)巻末をひらき、遠藤英雄による「解題」に目をこらしてみると、(略)事情はこうだ。大正十一年五月に発表された「霜凍る宵」の章立ては一から四まで、七月に発表された「霜凍る宵続篇」(これがほかでは「續霜凍る宵」と表記されている作品だろう)のほうは一から三まで、このふたつを足して七章立てにしたもの、それが実は「霜凍る宵」である。つまり「霜凍る宵」はそもそも「續霜凍る宵」を吸収合併して成り立っている。だからいま「霜凍る宵」とされる作品を読めば、そこにふくまれる続篇まで自動的に読んだことになる。(pp.138-40)

 まったく別の方面の興味から手にとった本が、なが年の疑問を解いてくれるというのも読書の妙味である。ここでは必要箇所を書抜くにとどめたが、佐藤氏は、秋江の「じらしのテク」に見事に嵌った読み手として、「黒髪」の書誌的な問題を探索しているので、たいへん面白い。
 ついでにいうと、佐藤氏の文章を読んでいて、ある箇所に穏やかな親しみを感じた。というのは、秋江の「黒髪」を読み始めたときに、わたしも佐藤氏と同じところで一瞬引っかかった、ということをふと思い出したからである。

 その「黒髪」も青空文庫で公開されている。このさいだからと続けてざっと読み始めたところ、途中で「二階がり」という見慣れぬ言葉が出てきた。(略)その「二階がり」が目に止ったとき、なぜか学生時代から記憶している和歌「思いかね 妹がりゆけば 冬の夜の 川風寒み 千鳥鳴くなり」を連想し、…(p.128)

 当該箇所は、「黒髪」の冒頭近くに出ていて、

それまでゐた餘處の家の二階がりの所帶を疊んで(p.8)

という件である。佐藤氏と同じく、わたしもこの「がり」とはいったい何だろう、と思ってしまったのだった。思ってしまったのだが、小さな引っかかりをおぼえつつ、構わず読み進めていった。
 ちなみに、そういった読書のあり方については、永田希氏が最近うまく表現してくれていたのを偶々目にしたので、次に引用して置こう。

 読書とは、そこに書かれた文字や言葉を読み解きながら進めていくものだと普通は考えられています。しかしこの『アガタ』の冒頭を読むときのように、「「サロン」って何だっけ、家の中のどこかだろう」とあたりを付けて読み飛ばしたり、「「打ちのめされたような優しさ」って何だ? 少し変わった表現だな」と保留したりしながら、疑問や違和感を忘れたり、無意識に思い起こしながら読み進めてもいるのです。違和感や疑問を感じたときに、あまりそれらを大きな問題として捉えないことが大事です。(『再読だけが創造的な読書術である』筑摩書房2023:49)

 まさにそのような小さなもどかしさを「二階がり」という表現にも感じたわけだが、この謎は佐藤氏も書いているように、たちどころに解消される。というのは、「黒髪」ではこの少しあとに、

女はなぜ、あの二階借りの住居を疊んでしまつただらう。(p.9)

という件が出てくるからだ。ここにも、秋江の、工夫というよりも気紛れ?な換字的用法が見られる、といえるのではなかろうか。
 さて秋江の「黒髪」連作だが、書誌的にややこしいのは、「黒髮」「狂亂」「霜凍る宵(霜凍る宵續篇)」だけが「黒髪」連作ではない、ということ。つまり、もうひとつ別の「黒髪」連作があるのだ(こちらはわたしは読んでいない)。これに就いては、たとえば小谷野敦氏が、

 その(秋江が東雲太夫に溺れたり「鎌倉の妾」と密通したりする―引用者)前から京都の娼婦・金山太夫となじんでいたが、これは本名を前田志(じ)うといい、数年の交情ののち、またしても姿を消し、秋江は南山城あたりを探索し、志うが風邪から狂気に陥ったと知る。この金山太夫のことを描いたのが「黒髪」連作である。なお東雲太夫連作の最初も「黒髪」なのでややこしい。(『文豪の女遍歴』幻冬舎新書2017:63)

と書いているし、後の『近松秋江伝』では、次の様にさらに精しく述べている。

秋江といえば「黒髪」の、京都の娼婦お園(前田志う)が知られるが、その前に大阪の娼婦・東雲太夫に耽溺した時期があり、その時のことを書いた同名の「黒髪」があってまぎらわしい。(小谷野敦近松秋江伝―情痴と報国の人』中央公論新社2018:89)

先の(東雲太夫の―引用者)「黒髪」が発表されたのはすぐあと、大正三年の『新潮』だが、この「黒髪」という題は、長唄の曲名を思わせる。(略)だが、あまり作品として成功しなかったので、前田志うの時に再度使ったということになる。先の「黒髪」の続きは、「仇情(あだなさけ)」(『早稲田文学』三月)、「青草」(『ホトトギス』四月)、「春の宵」(『婦人文藝』五月)、「春のゆくえ」(『文章世界』六月)と続くのだが、「別れたる妻」や、のちの「黒髪」のような決定的名作はない。しかも岩波文庫の『別れた妻に送る手紙』には「青草」が入っている。娼婦と春の野辺を散歩していて、娼婦がしゃがんでおしっこをする話だが、よほど秋江について知らないと、これを京都の「黒髪」の娼婦だと思ってしまうだろう。辻原登も「黒髪」で秋江の二つの「黒髪」で混乱させられたさまを描いている。辻原は、後藤明生の講演を聴いて、「黒髪」と言っているのが「後の黒髪」だと思っていたら「先の黒髪」のことだった。後藤自身が「先の黒髪」を「後の黒髪」だと思って『近松秋江全集』で読んだことは『小説は何処から来たか』(白地社)に書いてある。(同pp.97-98)

 実はさきに紹介した佐藤正午氏も、のちに別の「黒髪」連作があることを知り、「2013年冬――喪服」でそのことに触れていた(『小説家の四季2007-2015』pp.192-95)。
 そこで佐藤氏は、次の様に結論している。

 世に近松秋江の「黒髪」といえば、一応はあの有名な短編「黒髪」を指すのだろうが、軽々にそばへ近寄るのは危険である。いったん「黒髪」を読み出せば一応ではすまなくなる。小説中で黒髪の女を恋いこがれる男のように、読者もまた、追いかけても追いかけても正体をつかめないもどかしさを体験し、つまりは近松秋江の術中にはまってしまうのだ。(p.195)

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 上の文章をアップした翌日、素見のつもりで行きつけの新本屋の古書コーナーを覗くと、近松秋江『別れたる妻に送る手紙 他二篇』(岩波文庫1953)が置いてあった。1999年の6刷で、220円。もちろん購った。つい4日ほどまえ同コーナーに寄ったときにはなかったもので、「本に呼ばれた」気がしたものだった。
 しかし小谷野氏は『近松秋江伝』で、岩波文庫版の書名は『別れた妻に送る手紙 他二篇』であることを明記しており(p.5、p.97等)、わたしの入手したのが『別れた「る」妻…』となっているのを不思議に思ったのだが、どうもこの6刷(もしくはその前の5刷あたり?)で、書名が変更されたようである。それが証拠に、目次部分の作品名「別れたる妻に送る手紙」や、奇数ページの左肩に附された作品名「別れたる妻に送る手紙」は、活字の形や状態から見て、後に差し替えられたものであることが一目瞭然なのだ。
 1992年11月に同文庫が重版(増刷)された際に附されたらしい、巻末の中島国彦「本文庫版のテキストについて」でも、ゴチで見出しに示された書名部分が「別れた妻に送る手紙」となっているから、少くとも1992年時点では、まだ書名が『別れた妻…』だったと思われる。
 この中島氏の文章によれば、『別れたる妻…』は初出誌(「早稲田文学」で4回に分けて連載)では伏字が数箇所あったが、創元選書の一冊『黒髪』(1947)で伏字が解消された際に表題が「別れた妻に送る手紙」と改められ、「以後この表題で多くの読者に読まれる形となった。本文庫の本文は、その表記やルビの付け方からみて、この「創元選書」版を底本にしていると思われる」(p.225)。そのため、書名が長らく『別れた妻に送る手紙』となっていたのだろう。(4.19追記)

*1:手許のは1994年の第9刷。

*2:もと1984年冬樹社刊『遊字典』。のち角川文庫1986。講談社+α文庫版は(改題)再文庫化というわけではなく、文献や用例をいくらか追加している。

*3:底本によっては「別れた妻~」の形になっているということ。岩波文庫版の表題もこの形だそうで(未所持)、『辞書にない「あて字」の辞典』の誤記ではない。

*4:手許のは2015年の第7刷。

*5:白鳥は、この解説(1951年11月1日)では「私はこの頃讀返して、以前みじめだと見てゐたところをユーモラスに感ずるやうになつた」(p.192)などと誉めているが、ほぼ同時期(多分1951年頃)に書かれた「舊友追憶」では、「秋江は、はじめのうちは、話は面白いし、打解け易いし、女性にも好かれるのであつたが、次第に、しつこくてうるさい本性を出して來るので、いやがられるのであつた。私は、「黑髮」から「狂亂」「霜凍る宵」を通じて、今度三度目に讀んだのだが、終末の「續霜凍る宵」まで讀みつゞけるとうんざりした。女性に關係して惑溺した心境は、秋江獨得の味はひを持つてゐる譯だが、終末のあたりになると、秋江式しつこさ、うるさゝのマンネリズムが鼻につくのだ。私も老人の心境に次第に陷りだしたので、あくどい作品に心を惹かれなくなつたのか」(『自然主義文學盛衰史』創元文庫1951所収,pp.184-85)と書いていて、微苦笑を誘われる。どちらが本音かというと、おそらく後者なのだろうが。