上林曉『入社試驗』から

◆動く芥川龍之介をみたことがある。たしか『映像の世紀』だったとおもう。上林曉『入社試驗』(河出新書、1955)を読んで、それが改造社版「現代日本文學全集」の宣伝用フィルムの映像であることを知った。「思ひ出すままに畫面の印象を記せば、徳田秋聲氏は、濃艶な山田順子に侍づかれ、順子は林檎を剥いてゐた。近松秋江氏は土地に興味を持つてゐて、熱海で土地を相してゐる姿であつた。上司小劍氏は、蒐集のレコードに埋もれてゐた。小山内薫氏は、立て籠つてゐた築地小劇場を出て、淺草に公演してゐた。(中略)芥川龍之介氏は、庭前の樹木に攀ぢ登つた。自殺する二三ケ月前のことで、如何にも無氣味な感じで、一番深い印象を與へたやうであつた」云々(pp.39-40)、とある。しかしこのフィルムは、既に「改造社では失われてゐ」た(昭和二十六年時点)のだそうある。一体何処から出て来たのだろうか。
また、上司小剣のレコード蒐集癖は有名だが、レコードよりむしろ蓄音機を大切にしていたという。野村胡堂『胡堂百話』(中公文庫)に、「上司氏は、私と違って、レコードよりも、蓄音機を大事にした。何かの雑誌から随筆をたのまれて、書きも書いたり、思い切って書いた。『うちの子供が、はね回っていて、蓄音機にぶつかって倒れたとします。私は子供のコブを気にする前に、蓄音機の傷を心配するに違いない』」とある。もっとも、「これは上司氏の洒落であり、偽悪的な誇張でもある」という。子供より古書が、もとい、蓄音機が大事と思いたい、である。「しかし、蓄音機を大事にするのも徹底していて、『レコードというものは、蓄音機の性能をテストするための付属品さ』と、放言していた」(pp.197-98「蓄音機友達」)。
◆上林曉『入社試驗』所収の「伏字」という随筆(1954.4発表)に、「(改造社―引用者)社長の山本實彦は彈壓といふ新語を造つて對抗した。(絶讃といふ語も山本の新造語だつた*1)」(p.89)とあるが、「彈壓」は新造語ではなくて、たとえば『日本靈異記』下・十九にも、「我聖朝所彈壓之土」云々というように出て来る。もっともこの「彈壓」は、単に「おしつぶす」という義であろうが。

*1:当該箇所は、『日国』第二版「絶讃」の項に引かれているところ。