そりばってん、北原白秋

江戸末期の九州方言を採集した『筑紫方言』を読んでいたら、「そればってん」ということばが出てきた。「さうじやけれども と云事を そればつてん」とある(「さうじやけれども」がすなわち中央語である)。
同書は、この「そればってん」は「てんどろぼうどろ」「ずんきやんずんきやん」などと同じく「唐人(たうじん)の言(こと)のうつりたる」表現と見るべきであり、「この外にも唐言葉のうつりたるとおぼしき言粗(ほゞ)聞ゆ」と解説している。ここでいう「唐人」とは、「中国人」ではなく、「外国人」の意であろう。
それで思い出した。北原白秋の詩に、なぜか「それ〔り〕ばってん」がしばしば出てくるのである。
例えば、『過ぎし日』の「凾」。「銀かな具のつめたさ、SORI-BATTEN.びらうどのしとやかさ」という一節がある。そして自註に、「Sori-batten. 然しながら。方言。阿蘭陀訛?」とある。
北原白秋『柳河版 思ひ出』(御花,1967)には、野田宇太郎による解説「『思ひ出』について」が附いており、野田はこう書いている。

SORI-BATTEN(そりばつてん)と云ふ「然しながら」の意味の言葉は筑紫から肥前方面にひろがる方言で、『思ひ出』にもつとも多く使はれてゐるが、それは先づ「過ぎし日」の「函」(ママ)に出る。白秋は註でそれを「阿蘭陀訛?」としてゐるが、これはむしろ「それだけれども」の變化したもので、つよく云ふときは「か」をつけて「そりばつてんか」と云ふ。同じ筑後生れのわたくしなどは、今でも時折不用意に話すことがある。それを「オランダ訛?」(ママ)とわざわざ註してゐるのは、必ずしも白秋がさうかも知れないと思つたのでなく、「オランダ訛によく似た方言」として強調した一種の呪文的用法とみるべきである。(解説p.25)

日本国語大辞典(第二版)』(小学館)で「ばってん」を引くと、山崎美成『世事百談』二・方言 からの引用がある。いま孫引きしておく。

また筑紫がたにては詞の末にばってんといふ助語をそへていふことあり。〈略〉ばとてといふ詞の国なまりにてばってんとなるなり。

それから、これはおまけ。白秋の「初戀」。いい詩だ。

薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもひでに、
踊るそのひと、そのひとり。

さて、いま注目している中公文庫BIBLIOの「『異』の世界」シリーズ。
今度は、今野圓輔『怪談―民俗学の立場から』を復刊するらしい
今野圓輔の現代教養文庫は、他に『日本怪談集(妖怪篇)』『同(幽霊篇)』や『現代の迷信』があって、これらは持っているのだけれど、『怪談』は未入手である。
この本は、間羊太郎「妖怪学入門」(『ミステリ百科事典』文春文庫所収)の「妖怪本あれこれ」でも紹介されている。間氏はこの今野版『怪談』について、「昭和三十二年初版の、現代教養文庫175で、新刊本屋でいつでも買えるはずだ」(p.740)と書いているのだが、隔世の感がある。
昨日は書き忘れたが、文春文庫版『ミステリ百科事典』については、ここが詳しい。