死の棘日記

雨が降っているし、忙しいしで、ワゴンセールには行かず。
出る用事もなくなったので、家で論文のつづきを書く。
日経の「半歩遅れの読書術」、今月は竹内洋氏(先月は斎藤美奈子氏だった)。就職のために上京した上級生(女子)との思い出話。加藤和俊『集団就職の時代』(青木書店)を紹介されている。まだ拾い読みしかしていない『丸山眞男の時代』も、いずれ頭から読まなければなるまい。
「活字の海で」は、「『方言指南書』が花盛り―若者の“言葉探し”に乗る―」。「うすたりー(まぬけ=熊本)」とあるが、私の父母からは、「うすとれー」「うすとろかー」という語形で聞いている。
「日記をのぞく」は、今週から、島尾敏雄「死の棘日記」。

(『死の棘日記』に―引用者)詩人で評論家の吉本隆明(81)は亡くなった奥野健男と孤立する一家を温かく見守る友人として登場する。(中略)吉本は振り返る。「写真家となった伸三さんやマヤさんと遊んだのをよく覚えてます。ふざけて『お父さんとお母さんのどっちが怖い?』と聞くと『お母ちゃん』と言っていた」。(中略)「島尾さんは謙虚で懐が深かった。人を思想では色分けしない。だから誰からも愛された」と吉本。
この日記は文学者の熱き友情の記録である。(編集委員 浦田憲治)

『死の棘』の基になった日記は、ミホ夫人が保管していた段ボール箱(数十箱!)のなかから「発見」され、『新潮』に掲載された(昭和二十年六月から九月までは「加計呂麻島敗戦日記」として、また昭和三十年一月から十二月までは「『死の棘』日記」として)。
その後、昭和二十九年九月三十日から十二月三十一日までの「未発表」部分が、『新潮』(2002.4月号)に掲載された。それはいま手許にある。

なお、単行本「『死の棘』日記」は、以上にミホ夫人と長女マヤさんの書き下ろし手記を加えて、本年夏小社より刊行の予定。

とあるのだが、今年の春に出ているから、予定よりも約三年遅れで出たことになる。単行本はまだ買っていないのだけれども(『死の棘』さえ読んでいないのだから)、古い雑誌を引っ張り出して読んでいると、単行本というかたちで読みたくなって来る。いま買っておいて、来春あたりにでも読もうかしらん。
ところで、十一月三日にある「フレムン」なる言葉は、「ホレモン(惚れ者)」に同じだということを、松本修『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』(新潮文庫)で知ったような…。語註(あえて書かない)とは、意味が大きく異なってはいるが。
夜になってから、古い日記が見つかった! もう捨てられてしまったと思っていたのだが。これで、約二年前から今年の二月頃までの購書録、鑑賞記録が分るぞ。
さてと、『爆笑問題のススメ』を録画しなければ……。と思っていたのだが、「退屈男と本と街」経由で、関西の放送は、二週遅れであると知る。ショック。
だが、来週の「週刊ブックレビュー」のゲストが小林信彦さんだという(『東京少年』)。おお。いまテレビをつけてみると、再放送のブックレビューがやっていて、宮本輝さんが出ている。