「黒シリーズ」最終作

朝、増村保造『黒の超特急』(1964,大映)を観た。二回目。「黒シリーズ」最終作である。
小説の「黒シリーズ」というと、松本清張を想起してしまうが*1、映画にもそのような一連のシリーズ(二重表現?)が存在する。増村保造『黒の試走車』(1962,大映)に始まるシリーズがそれで、昭和三十から四十年代にかけて全部で十一作品も作られており*2田宮二郎宇津井健が主演している。
『黒の超特急』は、梶山季之の『夢の超特急』を脚色したもので、田宮二郎が不動産屋・桔梗敬一を演じている。彼は株でひと儲けすることばかり企んでいる金銭至上主義者で、山崎晃嗣的というか、ホリエモン的というか、とにかく自信家にして野心家である。強請りたかりまでして金儲けを目論むあたり、鬼気迫るものがある。
対するは、東亜開発社長・中江雄吉(加東大介)。小悪党も小悪党、まさに現代版「亥之吉」(『用心棒』)だ。まず彼は、新幹線公団に勤めていた田丸陽子(藤由紀子*3)を公団専務理事・財津政義(船越英二)の二号とし、財津の弱みを握って岡山の新幹線敷設予定地を聞きだす。そして桔梗を地主たちの仲介人として立て、自動車工場を建てると口車に乗せ(桔梗もこの嘘に騙される)、土地の先買いをする。それを公団に高額で売り、ぼろ儲けをしようという肚だ。金は、憲民党の工藤(石黒達也)を恐喝し、三星銀行の融資を受けることによって用意したものだった(工藤と三星銀行の頭取とは個人的な付き合いがあった)。財津は工藤の婿養子だから、工藤は(中江がいくら小物とはいえ)下手な手出しが出来ないのだ。
ところが、桔梗が田丸に接近して中江の犯罪を嗅ぎつけはじめると、工藤は自分が巻込まれることを恐れて(そのシーンの石黒達也の、内面とは裏腹の磊落な雰囲気がまたふてぶてしい。これが巧い)、中江に田丸陽子を消すよう命ずる。中江は、殺人の罪を犯すことに初めは乗り気でないが、今度は工藤からうまく言い包められて渋々承知する(その加東の演技にも注目)。こうして中江は田丸を殺害するが、桔梗が機転を利かせたことによって殺人の証拠が残される。その証拠をつきつけられて、あの欲深く豪胆な中江がついに膝を屈する展開には胸がすく。刑事にその労をねぎらわれた桔梗が、「ぼくはただ金が欲しかった。それだけです。そのためにあの女も殺してしまった」と言い残して立去るシークェンスは印象に残る。
石黒達也が登場するあたりから、黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』とか、松本清張けものみち』とかいった映画や小説との類似性を考えてしまうのだが、田宮二郎の「最後の良心」が焦点化される点でそれらの作品とは質を異にしていると言えるだろう。
ところで、今日観た『黒の超特急』はサンテレビで放映されたもの(録画)なのだが、毎度のことながら消音があるし*4田宮二郎が暴行されるシーン、田宮が藤に偶然出会うシーンもカットしてあった(特に前者は作品のヤマ場なのに)。サンテレビの「アフタヌーンシアター」は良質の作品ばかりだのに*5、オリジナルで流してくれないのが、つくづく残念なのだ。

*1:もちろん、清張自身がその様なシリーズを意図的に創作していたわけではないのだが、清張の作品には「黒」「黒い」がつく題名のものが多い。そのうち一番有名なのは、フィクションではない(かといってノンフィクションでもない)『日本の黒い霧』であろうが、その他にも『黒い福音』(これも実際に起きた事件に取材している)、『黒い画集』、『黒い風土』(『黄色い風土』の原題)、『黒い樹海』、『黒い空』、『黒地の絵』、『黒革の手帖』、『黒い血の女』、『黒の回廊』などがある。

*2:『黒の試走車』、増村保造『黒の報告書』、村山三男『黒の札束』、瑞穂春海『黒の死球』、弓削太郎『黒の商標』、弓削太郎『黒の駐車場』、富本壮吉『黒の爆走』、村山三男『黒の挑戦者』、井上昭『黒の凶器』、村山三男『黒の切り札』、『黒の超特急』。

*3:「黒シリーズ」のヒロインで、半数以上の作品に出ている。『黒の超特急』公開の翌年、田宮二郎夫人となった。

*4:勝新の『悪名』シリーズが連続放映されたときは、特にひどかった。喧嘩のシーンは消音処理ばかりなので、正直にいって、腹も立ったし面白くなかった。却って作品の質を低下させるだけだと思う。例えば、「当時の時代状況に鑑み…」というテロップを出してオリジナルを放送すればいいのに、と思うのだが、それも出来ないのだろうか。よみうりテレビの「シネマダイスキ」は、「オリジナルノーカット版」を放送してくれるというのに。

*5:博徒一代 血祭り不動』とか『セックス・チェック 第二の性』とかが地上波でやるのですよ! しかも昼日中に。