殿山泰司が語る川島雄三

kokada_jnetさんブラボーさんが鑑賞後の感想を書いておられた川島雄三『特急にっぽん』(1961)、これは獅子文六の『七時間半』が原作ということもあって、ぜひ観たかったのだが、先月の最終放送日(三十一日)に録画し忘れてしまっていた。でも、まあ今月か来月の「再放送枠」でまた放送されることだろう、と踏んでいたのだ。が、なんと再放送は無し。『その人は女教師』なんて三度も再放送されるというのに、このあつかいの違いは一体何なんだ(いえ、『その人は女教師』も佳作だとは思うのですけれど)。
殿山泰司『三文役者の無責任放言録』(ちくま文庫)再読。同書には「小さな《川島雄三伝》」というのが収められていて(pp.83-90)、これは小伝というよりもタイちゃん流(オレ如き若輩者が《タイちゃん》とはオコがましいが*1)の追悼文なので、殿山の川島に対する愛情に満ちあふれている。

三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫)
思えば川島旦那*2とオレのそもそもの出会いは、昭和21年晩秋の大船撮影所であった。オレは中支より復員したばかりであった。オレにとっては見知らぬ撮影所であり、イヤな日常の中で、風景にも、オレの精神にも冷い風が吹いていた。そんな或る日、撮影所前のメシ屋でオレは得体の知れない酒を飲み、川島旦那も得体の知れない酒を飲んで居た。川島旦那はあのギロギロした眼でオレを睨みつけていた。何故睨みつけられたのかオレには判らない。オレの態度が不遜であったのであろうか。オレは人見知りをするからつい態度が不遜になってしまう。キライな習性である。しかしやがて酒のチカラで会話が始まった。川島旦那とオレとの交情の幕が開いたのだ。会話は主に織田作之助太宰治に就てであった。始めて(ママ)の日、旦那とオレは始めて肩を並べて新橋へ出た。酒を飲むためである。記念すべき日であったのだ。涙が出る。(p.85)

ところで殿山は、川島の「オシャレに生命の賭かってる」悲壮な姿にジョージ・ラフトを重ね合わせる。このあたりに、二人のつきあいの長さを感じさせる(しかも表現が絶妙である)。
また、川島が「破滅型」の人生を歩んだ理由については、織田作の影響ということがよく言われていて(川島自身そう語っている)、『三文役者あなあきい伝 PART2』(ちくま文庫)にも吉村公三郎が同様のことを述べていたと書いてあるが、殿山は「それだけではないのではないか」と疑義を呈する。

川島旦那は、その故郷青森県の風土のことを、そこに住む肉親のことを、だれにも語らなかった。その語らなさは異常なほどであった。おれの推測ではあるが、川島旦那は、そんなものから逃げようとしていたのだ。その逃避が、酒で明け暮れる破滅型への、都会的なモダニズムへの、突入になったのではなかろうか。太宰治の短篇に、津軽出身の男が、飲み屋で江戸前の通ぶりを発揮し、「あんた、青森じゃないの」と、少女に言われる、というのがあるが、そんな主人公にはなりたくない、という意識を、川島旦那は日常的に持っていたのではなかろうか。(殿山泰司『三文役者あなあきい伝 PART2』ちくま文庫,p.190)

殿山本には、にがい思い出がある。「この本は面白いですよ」(『バカな役者め!!』だったように記憶している)と、ある女性に薦めたことがあるが(後でシマッタと思った)、やはりその女性から「女性蔑視が全篇に漂っていて」云々と文句を言われてしまったのである。
まあ、どんなことを言われようが、殿山本が面白いことにかわりはない。

*1:と、つい殿山泰司調。

*2:殿山が、川島雄三のことを「川島旦那」と呼ぶ理由については、殿山泰司『三文役者あなあきい伝 PART2』(ちくま文庫)のp.68など参照のこと。