やはり、傑作!

洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]
川島雄三『洲崎パラダイス・赤信号』(1956,日活)を観た。大傑作である。
原作は芝木好子の『洲崎パラダイス』で、そう云えば溝口健二の遺作『赤線地帯』も、芝木好子の『洲崎の女』が原作なのであった。『洲崎〜』は『赤線地帯』と同じく、売春防止法の発効前夜の洲崎が舞台である*1
前田陽一のデビュー作にしてこれまた傑作『にっぽんぱらだいす』(1964,松竹)も、だいたい同じ時期が舞台となっているが、『洲崎〜』は、『赤線地帯』や『にっぽんぱらだいす』とは違って、いわゆる「赤線」そのものを描いた作品ではない。その附近、というか「洲崎パラダイス」の入口にある飲み屋「千草」が舞台となっている。
この飲み屋のママ・轟夕起子(お徳)の生活者としての眼は、好子自身が現場を歩くことによって養ったものであったろう。「千草」の店のドアには、何時でも「女中入り用」の貼紙がはられてあるが、それをアテにして訪ねてくる女性は皆「ワケあり」で、「千草」で働くことを単なる「腰かけ」程度にしか考えていない。それを一番よく理解しているのが、お徳自身である。
さて、原作の梗概とその文学史的な「位置づけ」については、『日本文学全集76 壺井栄・芝木好子集』(集英社)から引いておくことにしよう。

その文学的精進が最初の結実をみるのは『洲崎パラダイス』(昭和二九・一〇・中央公論)であり、この作品の成功によって、ある種の文学的開眼がおこなわれ、自信ができた。それとともに、一連の洲崎ものが誕生したばかりでなく、多様な作品がつづけざまに制作され、芝木好子のカム・バックが完成した。
これより先、(中略)文学的停滞に苦しみ、その打開策をもとめて、街をさまよっているとき、一日、良人とともに、バスに乗って、月島から洲崎に出た。洲崎弁天町は明治になってから埋めたてられ、洲崎遊郭があった。深川木場町に近いのだが、江戸の「辰巳」の遊所の本場とされた深川遊里は、解りやすくいえば、富ケ岡(ママ)八幡宮の前の方が中心になる広い地域である。浅草の馬道に育ち、そこから下町の花柳街を知っている好子は、戦後、まったく様相を変えてしまった深川の花柳街―吉原遊郭にたいして、正真正銘の町人の遊里である洲崎遊郭、その変形としての「特飲街*2に、「愛着がひとしお深い」「滅びてゆく町のさびしさ」を感じ、その詩的回想に傷心を癒そうとしたといえようか。「特飲街」をとりかこむようにして、飲み屋がどこにでもあるものだが、好子はその一軒に馴染ができて、二年あまり通うようになった。そこでさまざまな人を知り、そこに暮す女たちの生態をじっくり観察できた。東京の下町をふるさととする作者は、初心に還って、内心の眼をひらき、認識の深まりとともに自己を育てることができたのである。懐旧の潤いとも、故郷の徳ともいうべきものであろう。(中略)『洲崎パラダイス』は、もとここにいた娼婦あがりの女が、いっしょになったものの、勤務をしくじった男と、無一文になって、ここの小さな飲屋に辿りついたところにはじまる。この飲屋のおかみも、女をつくって逃げた亭主があり、この夫婦者の始末をつけてやる。かような発端から、洲崎の女の生態や仕組をつきとめながら、その女が自分の男を傷つけながらも、男にひきつけられるところを明らかにし、アパートまで見つけて世話しようという男を捨てて、もとの男の許に姿を消す。(瀬沼茂樹「作家と作品」pp.431-32)

「良人とともに、バスに乗って(中略)洲崎に出た」、とあるのに注意したい。これは劇中における新珠三千代(蔦枝)と三橋達也(義治)の行動と重なる。「娼婦あがり」の蔦枝とは境遇こそ違え、「文学的停滞に苦し」んでいた好子は、洲崎に流れ着く男や女の現実の姿を虚心に眺めることが出来たはずである。また、馴染みの飲み屋というのは恐らく「千草」のモデルでもあったろう。
ところでさきに、生活者としてのお徳、という様なことを書いたが、お徳には二人の幼い息子がある。赤線地帯(やその附近)を描いた映画には、子供の出て来ることは滅多にないように思われる。それだけに、「錦ちゃんの映画が観たい」とせがみ、チャンバラごっこに興ずる子供たちの姿は、観る者に安心感を与える。
幼い兄弟の会話が微笑ましい(しかしこれは相当シニカルである)。

「パ・ラ・ダ・イ・ス。兄ちゃん、パラダイスってなあに」
「天国のことさ」
「天国ってなあに」
「天国っていうのは天国さ」

冒頭で勝鬨橋の上から隅田川の流れを眺めていた新珠と三橋は、ラストでは永代橋を渡って、バスに乗って何処かへと去ってゆく。救いようのないラスト、と評されることもままあるが、必ずしもそうは思わない。カメラは三橋の足の動きを暫し捉える。三橋の心境の変化を、その積極的な足の動きが代辯している。三橋は以前の三橋でない。行くアテがないとしても、彼の勤労意欲は失われないだろう。それは例えば『浮雲』の森雅之、『杏っ子』の木村功や『にごりえ』の宮口精二のだらしなさに較べれば、まだしも救いようはあるという気がする。
因みに川島は、「自作を語る」(初出:『キネマ旬報』昭和三十八年四月上旬号)で以下の如く述べている。

花に嵐の映画もあるぞ
29『洲崎パラダイス・赤信号』
自分では好きな作品です。「幕末太陽伝」が僕の代表作ということになっていますが、自分としては本来、こういう作品の方が好きです。ひどく短期間に撮ったものなんですがね。これも、井出俊郎、寺田信義のシナリオを、ほとんど変えました。
ロケに最初にいった時、ヤクザに旧勢力と新勢力があったのに、旧勢力の方にしか話を通してなくて、監督の僕が呼び出され、まわりを白刃でとり囲まれてしまった。警察はそういう時、何もしてくれない。そういう事って、現実にあるんですね。遊侠の徒っていうのは、映画人などを自分の同類だと思っている。徳川家康の非人政策による影響が、いまだに残っているんでしょうか。
いずれにせよこういう作品は、もっとやってもいいと思っています。
川島雄三『花に嵐の映画もあるぞ』河出書房新社2001,p.327)

最後に、助演の芦川いづみについてだけ一言。彼女はSKD時代、川島によって、『東京マダムと大阪夫人』の助演女優として見出された(退団はその二年後)。この『洲崎〜』でも、「だまされ屋」(蕎麦屋)の女中・玉子役として、清新な演技をみせてくれる(余談だが、川島雄三『風船』での役名も「珠子(たまこ)」であった)。

*1:売春防止法の公布は昭和三十一(1956)年、発効は昭和三十三(1958)年。井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』(講談社現代新書)には、「五七年四月一日施行」(p.306,竹村民郎「赤線」)とあるのだけれども、これは、「一部施行」を意味するのであろうか。『週刊 日録20世紀』(講談社)によると、「売春『禁止』法」ではなく「売春『防止』法」だったところに法の抜け道があったらしく、法の発効後にトルコ風呂(現在のソープランド)が急増した。

*2:特飲街」とは、「特殊飲食(店)街」の略称で、「赤線地帯」とほぼ同義である。公娼制度は、戦後まもないころ「ポツダム命令」によって名目上は廃止されたが、政府は営業許可区域を定めたので(風俗営業許可を警察からとることが条件)、特殊飲食店街、赤線の存在は黙認されていた。因みに「青線」は、非合法の営業区域(但し食品衛生法に則り、保健所の許可を得て営業していたという)である。また、布施克彦『昭和33年』(ちくま新書)によれば、「白線(ばいせん)というのもあった。(中略)白線はもぐり売春をするところで、売春防止法施行後はセックス産業の中心となって」いった(p.147)、という。石井輝男の『白線秘密地帯』は、売防法施行後の「白線地帯」を描いた作品だが、「はくせんひみつちたい」とアナウンスされていた気がする。当時、一般に「ばいせん」或いは「ぱいせん」でなく、「はくせん」と呼ばれたことはあったのだろうか。