観た映画(上)

 昨晩のNさんの映画談議に触発されたので(Nさんは拙ブログをご存じではないのですが…)、久しぶりで、観た映画を記録しておきます。
 気に入った度合(まったくの主観によります。しかも、体調や感情に影響されることもあります)を、星の数であらわしています(5点満点。★=1点、☆=0.5点)。「*」印は二回以上鑑賞した作品。
 前回はこちら。今回の「上位作品」は以下のとおり。
5点満点
西村昭五郎『競輪上人行状記』(1964,日活)
豊田四郎夫婦善哉』(1955,東宝
渋谷實『てんやわんや』(1950,松竹大船)
スティーブン・スピルバーグ『激突!』(1971米,“Duel”)
松林宗惠『風流交番日記』(1955,新東宝
4.5点
松山善三『六條ゆきやま紬(むぎ)』(1965,東宝
木下惠介『女』(1949,松竹)
ウィリアム・ワイラーローマの休日』(1953米,“Roman Holiday”)
市川崑『プーサン』(1953,東宝
クエンティン・タランティーノレザボア・ドッグス』(1992米,“Reservoir Dogs”)
千葉泰樹『夜の緋牡丹』(1950,新東宝
久松静児『警察日記』(1955,日活)
4点
野村芳太郎『拝啓天皇陛下様』(1963,松竹)
長谷部安春野良猫ロック セックスハンター』(1970,日活)
ウィリアム・ワイラー『おしゃれ泥棒』(1966米,“How to steal a Million”)
池広一夫『影を斬る』(1963,大映
五社英雄三匹の侍』(1964,松竹)
橋本忍『幻の湖』(1982,橋本プロ)

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西村昭五郎『青春の海』(1967,日活)★★★☆
 原作は石坂洋次郎「ザルと空気銃」。吉永小百合の妹を演ずる和泉雅子が可愛い。吉永の生徒役として小倉一郎が出て来るが、アガワヨシユキという生徒はあの水谷豊であろう。チョイ役だが存在感がある。それにしても、渡哲也・川地民夫和田浩治山内賢の四兄弟(錚々たる面々!)の父親役・笠智衆がまたいい。「海の男」がピタリと嵌っている。感心したのは、高須賀夫至子と渡との会話の場面、停電(暗転)してなおも話をつづけるところ。いま観ても斬新だ。また吉永の奥歯がキリキリと痛みだす展開は、物語にさほど影響しないのではないかとおもいきや、その疼きからの解放が、同時に渡からの解放の暗示になっていたとは。この小道具(?)の使い方にも驚かされた。
 なお冒頭とラスト間際とに「伊豆急行」の駅、車内シークェンスあり。窓外に開発の進む宅地が映りこんでいるのも貴重。「乗りテツ」垂涎の映像であろう。

森田芳光『ピンクカット 太く愛して深く愛して』(1983,にっかつ)★★★
 八年前に観たのはR-15指定版だから、正確にいうと再見ではない。とことん棒読みで栃木訛りの伊藤克信。「エッサッサ」のぎごちない動きにまた笑ってしまった。寺島まゆみが歌う「青紫」「ロックンロール・タイフーン」。役柄とギャップがあるのが良い。
 「“の”の字書いてハッ!」が、耳朶にこびりついて離れない。

西村昭五郎『競輪上人行状記』(1964,日活)★★★★★
 おそるべき大傑作。原作は寺内大吉による。脚本は、大西信行今村昌平。いかにも今村らしいカラーに満ちた作品だ。とにかく、小沢昭一の鬼気迫る演技に注目。単に落魄の身となるのではなく、したたかさを持って「競輪上人」となり果ててゆくくだり。そして圧巻はラストの広長舌。
 春道(小沢)をその道に引きずりこんでゆく葬儀屋の色川=加藤武、競輪ぐるいの渡辺美佐子……。あくの強い役者が揃い、人間の慾、エゴ、ふてぶてしさ、汚らしさなどが有り体に描かれる。そこに、父親の呪縛から結局は逃れることのできない「叛逆児」=小沢の姿が重ねられている。
 オープニング・クレジットで流れる黛敏郎の音楽は、どことなく、ベルリオーズ幻想交響曲』の第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」をおもわせる。

辻吉郎『血煙り荒神山』(1929,日活京都太秦)★★★
 大河内傳次郎が、清水次郎長・吉良の仁吉の二役。安濃徳(寺島貢)に荒神山を奪われる「神戸の長吉」に久米譲。ラストの殺陣では逃げ回ってばかりいる。仁吉の回想シークェンスが挟まれたり、お菊(梅村蓉子)自刃後にカメラが引いて直ぐに位牌のシークェンスに移行したりするなど、職人藝らしい点もいくつか。
 京都・五智山でロケが行われたというラストの大殺陣はさすがに迫力があり、代役であろうが、急斜面を滑り落ちてゆく仁吉たちを生身の人間が演じていることには驚かされる(後で知ったが、十数人の怪我人を出したとのよし。さもありなん)。

クリス・コロンバスホーム・アローン』(1990,米)★★★
 四度め(昔VHSで二度観た)。なるほど、「クリスマスの奇蹟」の系譜に連なる映画なのだな。

フランソワ・トリュフォーピアニストを撃て!』(1960,仏“Tirez sur le pianist”)★★★☆
 ひたすらB級に徹するようでいて、しかし、フィルム・ノワール的な雰囲気をも感じさせる作品。
 ピアニストのエドゥアール・サローヤン/シャルリ・コレールを演ずるはシャンソン歌手のシャルル・アズナヴール(「ガンダム」のシャア・アズナブルの名は彼に由来する)。役名サローヤンは、トリュフォーの愛読したウィリアム・サローヤンに由来(かつて新潮文庫の赤背に入っていたっけ)。シャルリはチャーリー・チャップリンの愛称「シャルロ」に由来するとのよし。劇中、シャルリが娼婦に「映画ではこうするんだ」と、シーツをかけてむき出しの乳房を隠してやるところ、皮肉が効いていていい。そのとき娼婦が口にするのがジョン・ウェインの『アラスカ魂』だ。
 ウェイトレス役のマリー・デュボワのラストの××、後年の『逃がれの街』もこれを意識したのだろうか?

山田洋次男はつらいよ 柴又慕情』(1972,松竹)★★★
 おいちゃんが2代目の松村達雄にかわったこと、それからこの作品以降、「男はつらいよ」が盆と年末とに公開されるようになったこと、この二点で記念碑的な作品ともいえる。
 第1作のギャグ「はい、バター」も取り入れられている。吉永小百合の父を演じた宮口精二が、とにかくいい。

崔洋一マークスの山』(1995,松竹=丸紅ほか)★★★

渡辺邦男『長脇差(ながどす)忠臣蔵』(1962,大映京都)★★★☆
 『サラリーマン忠臣蔵』等に類する、「忠臣蔵」のパロディ作品。幕末のやくざ映画に置換えてある。掛川の次郎吉(宇津井健)が、浜松藩主の本多備前守名和宏)に理不尽な理由で死罪を言い渡される。そこで堀ノ内喜三郎(市川雷蔵)を筆頭に、宇津井の乾分たちが立ち上がり、決死の覚悟で果たし討ち。薩長連合軍の進撃に乗じての決行という趣向がおもしろく、最後は大団円となる。名和も実にあっけなく殺されるので、むしろ、雷蔵と小松伊織(天知茂)との一騎打ちが見ものといえるだろう。二人の対決は、後年の『眠狂四郎無頼剣』をおもわせる。
 おせき(月丘夢路)が尼になるくだり、雷蔵と大前田英五郎(勝新太郎)とが対峙する展開などは、オリジナルの有名なエピソードをなぞっている。

豊田四郎夫婦善哉』(1955,東宝)★★★★★
 大好きな作品。何度か観ていると、集中力を切らせないためのカメラワークの工夫が理解できたりする。たとえば、三好栄子が誰かに話しかける場面。初めは誰に向かって話しかけているのかわからない。しかし、カメラが少し動いて淡島千景がフレームイン。もうひとつ、森繁久彌がやはり誰かに向かって喋りかけているシークェンス。これも最初は誰だか分らないが、カメラが引いて田中春男がフレームインして、「ああ、なるほど」、となる。また今回、アップのカットが主役の森繁、淡島のふたりにほぼ限られていることにもはじめて気づいた。
 脇を固める役者が、これまたいい。浪花千栄子の安定感はもちろん、いかにも神経質そうな山茶花究、それから番頭役の志賀廼家弁慶、チョイ役ながら八卦見の沢村いき雄…。

野村芳太郎『拝啓天皇陛下様』(1963,松竹)★★★★
 いわゆる「映画内映画」で、五所平之助『マダムと女房』(1931)、野村浩将『与太者と海水浴』(1933)、斎藤寅次郎『子宝騒動』(1935)…といった松竹往年の名作が出て来る。
 渥美清長門裕之桂小金治のトリオが素晴らしい。
 また、ラストの余韻がいい。渥美が事故死する場面を写さない。しかし観客はこの後の展開を知っている。でも、それがいい。
 渥美の書く自分の役名「山ダショウスケ」が、藤山寛美に字を教わってから、「山田ショウスケ」となるという演出は、手がこんでいる。兵隊ラッパに合わせてスーパーが出る趣向も面白し。

渋谷實『てんやわんや』(1950,松竹大船)★★★★★
 獅子文六原作、淡島千景主演の、大好きな一本。久々に鑑賞。淡島が「元宝塚スター」の貫禄を見せつける独擅場のダンスあり。そういえば、はるか後年の『花園の迷宮』でも、黒木瞳のダンスシーンが(唐突に)挿入されているのをおもい出した。
 淡島の「色気」は、本作品では未知数だが(冒頭のセパレート水着での「日光浴」のシーンがやたらと有名)、たとえば、『夫婦善哉』でカーテンを閉める場面(部屋の中から撮影)、『鰯雲』で雨戸を閉める場面(外から撮影。『女は二度生まれる』の若尾文子や『乱れ雲』の浜美枝!)などでは、既に大人の色気が醸し出されている。つまり、「健康的なアプレゲール」が、数年で蝶子(『夫婦善哉』)やおまきさん(『大番』)を演ずることになるのだから、「淡島千景」は、やはり、畏るべき女優である。
 そして「救心運動」に身を投ずる三井弘次(与太者トリオのひとり)! 彼の演説場面は、チャップリンの『モダン・タイムス』をおもわせる所があって、可笑しい。そのほか、三島雅夫の下卑た笑い、頼りないけれど最後のモブ・シーンで奮闘するドッグさん=佐野周二など、見所がたくさん。

穂積利昌『続・この世の花 第6部「月の白樺」 第7部「別れの夜道」』(1956,松竹)★★
 あいかわらずのご都合主義だが、つい観てしまう。本作からは、木下惠介監督作品のバイプレーヤーとしてもお馴染みの小林トシ子が登場。

木村荘十二『からゆきさん』(1937,P.C.L映画製作所)★★☆
 音楽監督紙恭輔入江たか子=からゆきさんの、子アントン(滋野ロヂュー)を守ろうとする決死の形相が凄まじい。後の「怪猫女優」を髣髴させる。
 好きな役者・御橋公が出るというので観ていたら、なんと牧師(あるいは神父?)役だった。圧巻は、清川玉枝たちが海上でアントンを追うくだり。意外と迫力があった。

長谷部安春野良猫ロック セックスハンター』(1970,日活)★★★★
 脚本は大和屋竺、藤井鷹史。ゴールデンハーフ版の「黄色いサクランボ」が聴ける。ちなみにスリーキャッツ版は、市川雷蔵主演の『濡れ髪喧嘩旅』で聴ける。
 見所だが、何と言っても、撃ち合いの場面。クライマックスで、数馬(安岡力也)とバロン(藤竜也)とが凄絶をきわめる撃ち合いをする(藤の回想によると、撮影の合間に安岡と腕相撲をして勝った、という)。それから、こちらは一方的に撃たれるばかりなのだが、進(岡崎二朗)をバロン=藤が撃ち殺す場面。ごく短いカットを重ねたクロスカッティングがなかなか洒脱で良い。もちろん主役・梶芽衣子のファッションにも要注目で、約40年前の作品だとはとてもおもえないほど。

柴田常吉『紅葉狩』(1903,製作年1899)---
 これは歴史資料として鑑賞。更科姫=鬼女が九代目市川團十郎(1838-1903)、平維茂が五代目尾上菊五郎(1844-1903)、また、維茂の夢の中に出て来る風の神が尾上丑之助。有名な話(四方田犬彦氏がどこかで書いていた記憶が…)だが、團十郎が扇を落とすハプニングあり。はじめて現物で確認した。

松山善三『六條ゆきやま紬(むぎ)』(1965,東宝)★★★★☆
 岡崎宏三のカメラワーク。冒頭、高峰秀子が北風吹き荒ぶ漁村に帰って来るシーンのせわしないショットの切替え。場面構成が緊密で、息苦しくなるほどだ。高峰と神山繁との会話の場面でも切替えがせわしなく、意想外のアングルが突如出てきて驚かされる。
 演出面でいうと、高峰と毛利菊枝の丁々発止のやりとりが素晴らしいし、ラスト、汽車に乗った高峰とフランキー堺とが向き合い、蒸気で画面が真っ白に煙り、向き合ったままの二人がふたたび現れ、そうして、考えられうる限りの最良の結末を迎えるのがまた素晴らしい。この間せりふ一切なし。
 ムラの閉鎖性(「ムラ」とカナ書きすれば、村の閉鎖性を批判するものとだいたい相場が決まっているのはナゼ?)を過剰な演出で強調しすぎた点がやや惜しまれるが、間違いなく名作だと感じた。粗野な猟師を演じた小林桂樹も意外としっくりきた。
 雪の白さがモノクロームだからこそ映える。美しい作品でもある。

ジェームズ・マンゴールド『ナイト&デイ』(2010米,“Knight and Day”)★★★
 何も考えずに観られる、楽しい作品。トム・クルーズキャメロン・ディアスの両者に“花”を持たせるニクい演出。巻き込まれ型サスペンスは、ヒッチコック以来お馴染みだが、コメディ、アクションの要素も加味される。浅いながらも「伏線」あり。
 主観ショットが、最初はキャメロンなのに、ラストのほうではトムに。
 トムのような「超人」だと、すすめられるまま簡単に“薬”などは口にしそうもないが、それが意識の朦朧とした状態でのことなので、ありえない展開ではあるのに、不自然におもわせない。そんな工夫(?)も。
 字幕スーパー版で観たが、「今日は何日?」の答え“Someday.”が「五日」と訳されているのをおもしろく感じた。前例はあるのか知らん。

スティーブン・スピルバーグ『激突!』(1971米,“Duel”)★★★★★
 二度め。もとはテレビ放送用に製作されたもの。原作はリチャード・マシスン(『縮みゆく人間』などでお馴染み。最近亡くなった)。
 この作品が恐ろしいのは、何よりも、トラックドライバーの「顔」を最後まで映さないことで、これは後の『ジョーズ』の恐ろしさに繋がってゆく(「静と動」のメリハリも『ジョーズ』ばりだ)し、ジャパネスク・ホラーの「小中理論」に通ずる部分もある。
 それにこの作品は、映画という「超越者視点」の優位性を否が応でも認識させてくれる。トラックの運転席からの視点はもちろん、こまめな視点の切替えで、臨場感満点。(途中、電話ボックスにスピルバーグの姿が映るハプニングあり。)

ウィリアム・ワイラー『おしゃれ泥棒』(1966米,“How to steal a Million”)★★★★
 十数年ぶりで再鑑賞。細部は殆ど覚えていなかった。オードリー・ヘップバーンピーター・オトゥールの「盗み」の場面が若干くどいが、おもしろい。ブーメラン、ヒッチコックの本など、小道具の使い方にも感心。オードリーの父親役のヒュー・グリフィスが、巧い。適役である。

堀内真直『青春前期』(1954,松竹)★★★
 クライマックスで、田村正巳と野添ひとみとが八ヶ岳を彷徨する場面、まさしく「山岳映画」と呼ぶに相応しい。「観念的」な田浦が出て来るのは、「戦後民主主義映画」なればこそだが、少々鬱陶しい。生徒に理解のある青戸先生=淡島千景と、高飛車な国信先生=沢村貞子の二項対立は図式的だが、その型に嵌った教師役を、沢村が好演している。また、『六條ゆきやま紬』で冷徹な義母を演じた毛利菊枝が、この作品では人の良い田舎のおばさんを演じていて、それがまた良い。
 ラスト、田村の叔父を演ずる上原謙の「尺八」と(劇中で上原はヴァイオリンをも嗜む、これまた図式的な「教養人」を好演する)、淡島の「琴」とによる「春の海」は、往年の映画ファンにとっては見ものであろう。
 また、海岸でいきなり走り出す田浦と野添とは、その後の(60年代の)日活映画――いまおもいつくものでいうと『赤い蕾と白い花』――を髣髴させ、現に本作は、太田博之と梶芽衣子との共演でリメイクされている(『青春前期 青い果実』)。こちらもいつか観てみたい。

森永健次郎『青春のお通り』(1965,日活)★★★☆
 千里ニュータウンが舞台(中之島、三宮、天王寺、梅田、大坂城、それから新宿や国立あたりのロケもあり)。オープニングの空撮からして引き込まれる。また劇中、超遠望を含むロングショットが挿入され、おもわず息をのんだ。
 吉永小百合の関西弁は、後の『おとうと』のぎごちなさは無く、わりと自然に聞こえる。
 脇を固める浜川智子、松原智恵子芳村真理や藤村有弘、女中カメを演じた原泉が、それぞれに良い。

池田浩郎編集『思い出のアルバム』(1950,松竹大船)★★☆

田中徳三『赤い手裏剣』(1965,大映)★★★☆
 西部劇の要素を加味した時代劇。市川雷蔵=伊吹新之介が、やはり、恰好良い。威勢のいい佛の勘造=山形勲の「ハマり具合」が、またすばらしい。
 見どころは、三つ巴の最終決戦、雷蔵と政=南原宏治との一騎打ち。

原田眞人クライマーズ・ハイ』(2008,「クライマーズ・ハイ」フィルムパートナーズ)★★★
 NHKのドラマ版は見たが、映画は初めて。北関東新聞社内のセットは、ドラマ版のほうがよかった様におもう。手ぶれ感のあるショットを多用、そして、山崎努の有無を言わせぬ迫力!

ジャン=リュック・ゴダール『男性・女性』(仏=瑞典1966,“Masculin,feminine”)★☆
 んー、分らん。ジャン=ピエール・レオーの陶酔する曲がモーツァルトクラリネット協奏曲の第二楽章だったりするところが妙に気になったりして、かんじんの内容がほとんど頭に入ってこなかった。ゴダールは、『気狂いピエロ』以外、そのよさがよく分らないわたしは、「映画好き」だといってしまってはいけないのだろうか?(後輩に、ゴダールを崇めていた男性がいたけれど…)

池広一夫『影を斬る』(1963,大映)★★★★
 全篇、明朗ではあるが、市川雷蔵が自分自身の“影を斬る”あたりから、物語はややシリアスな方向へ。そのスジが『斬る』に似ている。雷蔵と瑳峨三智子と、成田純一郎と坪内ミキ子との対話の場面など、いずれもバストアップで、男性が右側、女性が左側に必ず配され、それがカットバックで交互に映される演出がおもしろい。それから障子にうつる影の使い方など。山中貞雄作品などでも見られたけれど。
 城代家老役(定=瑳峨の父)の稲葉義男は、“バカ殿”の桑マンみたいで可笑しい。藤原釜足も適役で、良かった。ラストはどことなく、わたしの大好きな『夜ごとの美女』をおもわせるな……。

三隅研次眠狂四郎 勝負』(1964,大映)★★★☆
 シリーズ第2作(シリーズ中わたしがもっとも好きなのは「無頼剣」)で、ニヒリズムをたたえた眠のキャラクタを決定づけた作品。勘定奉行加藤嘉が、いい味を出している。今回は、女性のキャラクタ造形にも注目して観た。ミステリアスな采女藤村志保、純情娘つや=高田美和、高慢ちきな高姫=久保菜穂子。それぞれが、所を得て躍動している。

木下惠介『女』(1949,松竹)★★★★☆
 小沢榮太郎(小沢栄)と、水戸光子との逃避行で、「ほぼ」オール・ロケ。「腐れ縁」で小沢に引きずられる水戸が、小沢の細かな仕草から、その「嘘」を見破り、離れてゆくさまが丹念に描かれる。手の細かい動き、歪んだ笑みのショット、そして足の動き。ことにこの作品には足のショットが多く、水戸の足のショットは、エロチシズムさえ漂わせる。また、『カルメン純情す』をおもわせるカメラの傾きも所々に見える。
 圧巻はやはりラスト、熱海の火事のモブ・シーン。この迫力がものすごい。そこへと至る直前、二人の激しいやり取りが展開されるが、小沢の顔のアップ、水戸の口のアップが交互に映し出される。
 木下作品には、感傷的にすぎる作品も少なくないけれど、こういう作品を観ると、ちょっと考えが甘いかとおもってしまう。

渡辺邦男『蛇姫様』(1959,大映)★★★
 蛇姫=瑳峨三智子かとおもってしまったが(失礼!)、さにあらず、佐伯左衛門(河津清三郎)の差し金で殺されるおすが(中村玉緒)が蛇の化身となって現れるのであった。市川雷蔵が劇中で女装を披露、剣名たかい「役者」として登場。声もいつもよりも高いトーン。ただ、「お父さん」を連呼するのはいかがなものか。
 この映画にも、植原一刀斎(黒川弥太郎)や京極寛次郎(田崎潤)など「物分りのよい」大物が出て来るおかげで、ハッピーエンドを呼び込むこととなる(ちなみに隠密の山本役が龍崎一郎フリーアナウンサー高島彩の祖父である)。
 東宝版もあるというが未見(長谷川一夫山田五十鈴原節子、黒川弥太郎などが出演しているらしい)。

川島雄三『眞實一路』(1954,松竹)★★★
 監督助手として、中平康の名がみえる。淡島千景桂木洋子が共演しているのがうれしい。オーソドックスな演出で、川島らしさはあまり感じられないが、おもわず目を瞠ったのは、淡島が須賀不二男(隅田恭輔)のあとを追って死んだ後、彼女の弟役・多々良純と桂木とが遺骨を抱いてどんどん近づいてくるシークェンス。はじめはカメラも寄っていくが、二人がピタリと画面に収まると、今度は引いて、それがなんと、4分間の長きにわたる。

ウィリアム・ワイラーローマの休日』(1953米,“Roman Holiday”)★★★★☆
 高宮利行氏の本で知ったが、原題にはバイロンが用いた、“他人を犠牲にして楽しむ休日”の義もこめられているのだという。また、マッカーシーの“赤狩り”旋風に反撥する意図が隠されているというのも、近年ではよく知られること。

安田公義『眠狂四郎 人肌蜘蛛』(1968,大映)★★★☆
 シリーズ第11作。はじめの方で、薬師寺兵吾=寺田農雷蔵に斬りかかった後の場面転換、中盤で土門家武=川津祐介の毒矢に倒れた雷蔵の前に“誰か”が立ちふさがった(あとで渡辺文雄とわかる)直後の場面転換、ふだんは気にせずにあたりまえのように観ているけれど、ああ、これが映画の「文法」なのだな、とあらためて感じたことだった。
 大殺陣が相変わらず恰好良くて(蜘蛛手=松枝錦治との一騎打ちに始まる最初の大立ち回りが特に!)、中盤の主観ショットには文字どおり「しびれた」。

森一生『昨日消えた男』(1964,大映)★★★
 過去に何度か映画化されているが、本作は市川雷蔵宇津井健のコンビ。
 いわゆる「お忍びもの」で、八代吉宗が雷蔵、そして宇津井が×××…。ダシール・ハメットの原案になるものを日本に置換えたといい、マキノ正博による41年版・56年版は、「遠山の金さん」のプロットに収まっている。
 出演しているとなぜか気になる木村玄も、この作品では藤村志保の兄役を演じていて、『赤い手裏剣』(こちらでは小林千登勢の兄役で、しかもスパイ)の様に、チョイ役ながら、わりと重要な役どころである点も嬉しい。

五社英雄三匹の侍』(1964,松竹)★★★★
 丹波哲郎平幹二朗長門勇(最近亡くなった…)それぞれの個性が出ていてよい。テレビ版は、少ししか見たことがない。農民役の藤原釜足が、『七人の侍』よりも役割の比重が大きい点がうれしい。平が室内で大殺陣を演ずる場面のカメラワーク、障子に映る影を利用した映像美が素晴らしい。

宮崎吾朗コクリコ坂から』(2011,スタジオジブリ)★★☆

木下惠介『わが恋せし乙女』(1946,松竹)★★★
 木下忠司の映画音楽デビュー作。木下作曲、サトウ・ハチロー作詞の「青春牧場」が耳に残る。
 井川邦子の魅力はストレートには伝わって来ないが、それはタイトルにあるとおり、視点が特に原保美に置かれるからで、後半、原のアップの表情の変化で見せようとする演出は巧いとおもった。原が、悲しみに暮れるあまり、次郎(大塚紀男)の頬をつねる場面、ああ、これこれ。男のこの感情。わかります。

萩山輝男『アチャコの子宝仁義』(1956,松竹京都)★★★☆
 アチャコ浪花千栄子とのかけ合いが見事で愉快である。筋としては単純だし短尺だが、三橋美智也の美声が聴けたり、小林十九二の「按摩」役が見られたりと、かなり充実した内容。脇を固める桂小金治や、朝岡雪路らも良い。なお、子役・徳松の設楽幸嗣は、『お早よう』『秋日和』にも出演した役者である。

市川崑『プーサン』(1953,東宝)★★★★☆

松林宗惠『風流交番日記』(1955,新東宝)★★★★★
 感想等は、ここに書いた。

クエンティン・タランティーノレザボア・ドッグス』(1992米,”Reservoir Dogs”)★★★★☆
 「ネタばらし」要注意。全篇、K.ビリーDJの“スーパーサウンド’70s”の放送が効果的に使われている。またのっけから、「トゥルー・ブルー」「ボーダーライン」「パパ・ドント・プリーチ」の歌詞の「超解釈」で笑わされる。「トゥルー・ブルー」が傷つきやすい女の歌、というのはともかく、「ライク・ア・ヴァージン」が巨根の歌、というのがまた可笑しい。
 物語はダイアローグを含みながら複線的に展開。ブラウン(タランティーノ)、ホワイト(ハーヴェイ・カイテル)、ブロンド=ヴィック(マイケル・マドセン)、オレンジ(ティム・ロス)、ピンク(スティーヴ・ブシェーミ)、ブルー(エディ・バンカー)…とコードネームで呼び合う男たちが、ジョー(ローレンス・ティアニー)の指導のもと、ダイヤ問屋を襲う、という話。とだけ書けば、物語としては単純な筋だと云えるのかもしれないけれど、それぞれの個性が出ており(背景は殆ど描かれないが)面白い。たとえば、“このなかにイヌがいる”と言い出し、ダイヤの隠し場所を知っているスティーヴ・ブシェーミ(『アルマゲドン』での演技が印象的だった)が“ピンク”と呼ばれる場面。「せめてパープルにしろ」と云うスティーヴに対し、ローレンスは、「ホモだからな」とやり込める(「パープル」は別にいる、というのもポイントだ)。一方、ローレンスはティムに「宇宙忍者ゴームズ」の怪力男に似ている、とかげで言われたりしている。ティムにとってはこれが出世作だが、腹を撃ち抜かれてまったくcoolでなくなってしまう展開、ブラック・コメディだが笑ってしまう。「女刑事クリスティ」をめぐるやり取りもおかしい。テレビ版でクリスティを演じたのは誰か、という話になって、「パム・グリア」が出て来るが、「それは映画版じゃないか」、とティム。そして、「A.フランシスじゃないか」と続けるのだけれど、「いや、それは“ハニーにおまかせ”だ」と返される(テレビ版はテレサ・グレイヴスとの由)。こんなバカバカしいやり取りをえんえん続けるのだから、そりゃ、失敗するにきまっている。音楽も秀逸。オープニング・クレジットの“Little Green bag”、オレンジが尾行される場面で流れる“Hooked On A Feeling”(最近は、満島ひかりのナ○ュライのCMで使われていた)等々。
 ラスト、めいめいが発砲する場面、繰り返し見たがよく分らぬ。順番としては、(1)ジョー→オレンジ(2)ホワイト→ジョー(3)エディ→ホワイト(4)エディ→ホワイト(5)ホワイト→エディ(?)か。なお、ジョーの息子・エディを演じたのは、クリス・ペン

橋本忍『幻の湖』(1982,橋本プロ)★★★★
 「ネタばらし」要注意。『アナーキー日本映画史』は、実在のお市の方(関根惠子)と、南條玲子との対照が巧く行っていない、という点から話を進めていた記憶があるが、南條が、琵琶湖を東側から見たことがなかった、という設定はそれなりに重要だとおもう。長谷川初範に車で「東側」まで連れていってもらい、「沖島」を裏側から初めて見るのだが、「裏側にはあんなに家と大勢の人が…」と云って、感極まる。十一面観音像に、かたせ梨乃や光田昌弘の顔を重ね合わせて見る場面は、人には知られざる一面がある、とでも言いたげで(長谷川も劇中でその様なことを言う)、事実、隆大介は「幻の…笛を吹く人」であるが「宇宙物理学の研究員」だし、デビ・カムダ(ローザ)は、トルコ嬢(注:劇中での表現に基づいています)でありながら「アメリカの諜報部員」だ。構成は確かに、突如四百年前になるなどアンバランスだけれども、やはり、どうしても記憶に残る映画であることは確か。そしてわたしは、この映画が案外好きである、というのも、今回の再見でよくわかった。

今田智憲『ゲゲゲの鬼太郎―激突! 異次元妖怪の大反乱』(1986,東映アニメーション)★★★☆
 20年ぶりの鑑賞。85年版鬼太郎の劇場版第4作。ネズミ男が恰好良い。カロリーヌちゃんの大泣きの場面は、よくも悪くも80年代らしいデフォルメだな、と。
 妖怪「白うねり」に、「白溶裔」という文字列を当てているのにも注目。
 そしてラストは、「水木しげる」の描いた絵が、そのままEDの「カニ坊主」となる。鮮やかだ。

千葉泰樹『夜の緋牡丹』(1950,新東宝)★★★★☆
 助監督は井上梅次。脚本は八田尚之(オリジナル)。島崎雪子の初主演作である。冒頭から、戦友の遺骨を抱える伊豆肇の傍らで“銀座カンカン娘”にあわせて踊る島崎の姿が愛くるしい。その島崎が、ニコヨン、ならぬニコサンをしながら作家をめざす伊豆を献身的に支えることとなる。
 しかし伊豆は、文才のある月丘夢路に惹かれるようになる(伊豆=小熊隆介の入選作のタイトルは『娼婦』、それがラストの幸福な予感の「伏線」にもなっている。一方、月丘=北見てつ子の入選作のタイトルは『白い鬼』、この「鬼」とは、実は月丘自身のことではなかったか)。しかし月丘は、北澤彪(最初の方、鏡の使い方が秀逸だ)、田崎潤龍崎一郎と次から次へと男性遍歴を重ね、その「インテリぶり」に反して奔放である。それゆえ川本三郎氏の評――「さえざえとした美貌」とは、言いえて妙である。その他、「チョイ役」の伊藤雄之助、伊豆のおじさんを演じた高堂國典など、役者がそろっている。

川島雄三『シミキンのスポーツ王』(1949,松竹)★★★☆
 音楽は木下忠司。清水金一(宇佐義金八大兄、ウサギ金八の二役)、堺駿二(賀目駿六大兄、カメ駿六の二役)、横尾泥海男(月雷彦、森羅万象博士の二役)がメインで、駿六のマネージャー役の殿山泰司藤原釜足などが脇を固める。堺がマッサージをうける場面、シミキン・堺の一騎打ちの競輪で妨害を試みる殿山たちの姿が可笑しい。また金八大兄はとんだ女たらしなのに、ウサギ金八は初心という設定を活かした展開、それからラストのアニメーションなど意外と見どころ多し。ムチャクチャな「大団円」であるが、くだらなすぎて、それがつきぬけているのが楽しい。クマも着ぐるみだと見てわかるし。

津田不二夫『笑ふ地球に朝が來る』(1940,南旺映画)★★★
 主役のゴム=岸井明は、開始18分でようやく出て来る。梅園龍子が月田一郎の妹役として登場。インパクトがあるのは、大牟田銀鈴=高勢実乗のパフォーマンス、そして岸井の女装。質屋のオヤジが金馬なのも、チョイ役ながら良かった。
 ドサ回りの役者が、一人、また一人と抜けていく展開を、汽車のシークェンスで表現しているのがおもしろい。

久松静児『警察日記』(1955,日活)★★★★☆
 森繁久彌の抑えた演技が実にみごとである。森繁は、このあたりを境に、B級の量産体制から演技派へと転向していったのではないか。
 子役の二木てるみの演技でもっている場面もあるかとはおもうが、「グランド・ホテル」形式の作風が好みに合う。「都会の交番」を舞台とした『風流交番日記』とは違って、こちらは「会津磐梯山麓の警察署」が舞台ではあるが、都会ではなく、山村にしたところが素晴らしい。署長の三島雅夫をはじめ、十朱久雄、織田政雄、殿山泰司三國連太郎宍戸錠(これが脇役としてのデビュー作)、みんな良くて、そこに東野英治郎伊藤雄之助杉村春子沢村貞子などの藝達者が絡んでくる。左卜全高品格が顔を出しているのにも注目だ。