こんな私じゃ…

『こんな私じゃなかったに』

風強し。雑用あり、大学には行けず。
夜、川島雄三『こんな私じゃなかったに』(1952,松竹大船)鑑賞。原作は、『緑はるかに』や『恐妻一代』などの映画化作品がある北條誠の小説だ(『平凡』に連載)。また、「脚本」(池田忠雄・柳澤類壽*1との共同脚本)・「監督助手」担当として、野村芳太郎も参加している。なんと『鳩』で監督デビューする直前(数箇月まえ)ではないか。
「こんな私じゃなかったに」は、神楽坂はん子のデビュー曲(西條八十作詞・古賀政男作曲)の題名*2でもあり、劇中ではアフレコで流れている*3。だからこの作品は、いわゆる歌謡映画なのである。はん子が出演した歌謡映画は、他に『ひばり姫初夢道中』『こんな別嬪見たことない』*4『こんな美男子見たことない』を見たことがあるが、いったい何本くらいあるのだろうか。日本映画データベースを見てみるが、『こんな別嬪見たことない』がカウントされていないので、何本あるのか分らない。
『こんな私〜』は、はん子があまり目立っていないが、これが銀幕デビュー作でもあるのだから仕方あるまい。そのかわり、他の脇役陣がいい味を出している。例えば、胡散臭い教授役の日守新一や、もっと胡散臭いチョイ役(「プロフェッサー東條」だったかな)の小林十九二。また、この映画が銀幕デビュー作となり、松竹と専属契約を結んだ桂小金治*5(葬儀屋を演じている。ことごとく「藝」を潰されるのがかえって可笑しい)。それから、前半にしか出て来ないが、宮城千賀子と水原真知子の父親を演じた坂本武もいい(「突貫探し」も楽しめる)。
本作はソツなくまとめられた娯楽作品、という感じで、「川島らしい」演出は見られない気がしたが、いかにも戦後民主主義的な女性解放を謳いあげながらも、水原や「狸御殿」の宮城を藝者(ただし宮城は「元」藝者。水原は、昼間は科学者の卵)に配するというその発想が面白い。だから、大時代な演出、アナクロニズム臭のする台詞がさほど「浮いて」いないように思えるのだ。クライマックスでは、「こんな私が〜」が何の工夫もなくただかかり続けるのだが、それがかえってこの作品のドラマ性を高めているような気さえする。

*1:『柳よ笑わせておくれ』の「柳」がこの人。復員の経験があるだけに、『こんな私じゃなかったに』の山村聰に、自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。

*2:同年には、かの有名な「ゲイシャ・ワルツ」も出ている。

*3:口遊む人も何人かある。

*4:曲名は、ちょっと違って「こんなベッピン見たことない」。

*5:川島雄三が彼のハナシの大ファンだったとか。小金治はこの後も、川島の作品に出演している。