最近観た映画

◆三月から五月にかけて観た映画のメモ。
*印を附した作品は、再見あるいは三度以上観たことのあるもの。
穂積利昌『この世の花 第三部開花の巻』(1955)
佐藤肇『散歩する霊柩車』(1964)
ピエール・グランブラ『銀幕のメモワール』(2001、仏)
穂積利昌『續この世の花 第四部おもいでの花』(1955)
佐藤純彌男たちの大和/YAMATO』(2005)
森一生銭形平次』(1951)
穂積利昌『續この世の花 第五部浪花の雨』(1955)
チャールズ・チャップリン『街の灯』(1931、米)
サトウトシキ『愛妻日記』(2006)
毛利正樹『黒猫館に消えた男』(1956)
キム・ジウン『箪笥』(2003、韓)
河崎実『本家 電エース』(2005)
澁谷實『奥様に知らすべからず』(1937)
澁谷實『もず』(1961)
松林宗恵『社長紳士録』(1964)
浜野信彦『泣き笑ひ地獄極楽』(1955)
田中登『夜汽車の女』(1972)
政岡憲三『くもとちゅうりっぷ』(1943)
穂積利昌『續この世の花 第六部月の白樺』(1956)
三隅研次『剣鬼』(1965)
田中登江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(1976)
サム・ウッド『誰が為に鐘は鳴る』(1943,米)
川本喜八郎『火宅』(1979)
川本喜八郎『詩人の生涯』(1976)
川本喜八郎『鬼』(1972)
川本喜八郎『旅』(1973→2006)
川本喜八郎『花折り』(1968)
川本喜八郎犬儒戯画』(1970)
川本喜八郎『セルフポートレート』(1988)
川本喜八郎道成寺』(1976)
(以下メモ)
「ナンダロウアヤシゲな日々」で絶賛されていたように、コミックスリラー『散歩する霊柩車』は傑作。西村航と春川ますみとのかけ合いは勿論だが、フロントマンの大辻伺郎、警備員の小沢昭一、葬儀屋の渥美清など、ひと癖もふた癖もある面々が楽しげに演じている。ラスト、疾走する西村航の見せ方が巧い。
『銀幕のメモワール』は、ユダヤ映画作家グランブラのルーツ発見(あまり好きなことばではないが、いわゆる「自分探し」)の作品なのだろうが、「あれもこれも」というごった煮的要素が結果的に作品の輪郭をぼやけさせてしまった観がある。ジャンヌ・モローの内省シーンはもう少し丁寧に撮ってほしかった。アステア&ロジャースのダンスナンバーの再現がどこか中途半端なのも寂しい。
男たちの大和/YAMATO』は、和製タイタニックか? “新幹線大爆破”の佐藤氏は何処へ?
『奥様に知らすべからず』は澁谷實のデビュー作で、「恐妻」映画。「人違い」映画。
川本三郎『時代劇ここにあり』(文藝春秋)を読んで以来気になっていた『剣鬼』は、たしかに傑作だが、ラストの姿美千子は、九仞の功を一簣に虧くとはいわないまでもくどすぎる。
『屋根裏の散歩者』は、二度目の鑑賞なのだけれども、「灰燼」「廃墟」といったキーワードでラストの「大どんでん返し」を読み解いてゆくことも可能ではないかとおもった。「大正ロマン」幻想が作品を内部から規定しているのだが、それがかえって効果をあげている。実相寺昭雄版『屋根裏の散歩者』は、雰囲気も筋も愉しむべき作品だけれども、こちらはどちらかというと、雰囲気を味わうべき作品か。
『誰が為に鐘は鳴る』はスクリーンで。たしか、真珠湾攻撃でいったん撮影が中止された作品なのですよね。カティナ・パクシヌー(ピラー)が、ドーラ(『天空の城ラピュタ』、タイガーモス号の船長)に見えて仕方がない。
五月は、衛星劇場でかかっていた川本喜八郎(ある世代の人たちにとっては『三国志』でお馴染みの)の特集しか観ていない。『詩人の生涯』は安部公房原作。『火宅』は謡曲「求塚」が原作、『鬼』は『今昔物語』に取材、『道成寺』は能楽で、また「安珍清姫伝説」としてすでにお馴染み。以上三作品は「不条理三部作」と呼ばれているらしく、そのうちでも特に『火宅』が最高傑作と讃えられているようだが、個人的には、試行錯誤のあとがその様式美にうかがえる『鬼』が好き。『旅』は、池辺晋一郎による楽曲つきの新装版で観たのだが、サイケデリック的幻想といんなあ○りっぷ的世界観とが展開されていて、(わたしには)ちょっと難解だった。
一月〜二月に観た映画については、こちら