宮城まり子の歌

一昨日、毛利正樹『黒猫館に消えた男』(1956,新東宝)を観た。唐沢俊一氏が書いているように、正しく「大珍作」なのである。「迷作」といってもいい。コミック・ミステリーなのか、はたまたサスペンス・コメディなのか、よく分からない。いや、そんな区別でさえまったく無意味なのであろう。
宮城まり子*1の「じゃがたらマンボ」(この曲は初めて知った)や「ガード下の靴みがき」が聴けるのはたいへん嬉しく有難いのだが、作品としてはメチャクチャ。つっこみどころが多々あって困ってしまうのだが、マヌケな極悪人・益田キートン*2の役どころは笑える。他に宇津井健丹波哲郎、横山運平、小倉繁などの名優、名バイプレーヤーを揃えておきながら、この迷作ぶりはじつに勿体無い(唐沢氏の文章にあるように、猫の視点から描いたシークェンスは確かにおもしろいとおもったけれど)。
ただ、風俗映画として見れば十分ではないかとおもう。たとえば、宇津井健は「有馬」信一郎役を演じているのであり、これが化け猫ブームを意識していることは明らかである*3
当時における化け猫ブームについては、入江たか子の証言を引いておくだけでもう十分だろう。

昭和廿九年はデパートが捨て身の販売合戦をやり、一般会社はやりくり経営の結果が不渡小切手の乱発、どこもここもデフレで苦しんでいた時である。映画界も夏枯れでアキらめていたところ、大映がこの化け猫(『怪猫岡崎騒動』のこと。但し入江の「化け猫」デビューは前年の『怪談佐賀屋敷』―引用者)でバカ当りしたもので、商売仇の松竹、東宝東映、新東宝さんたちも「全く判らないものだ」とあ然とされたという。昔から「映画は水もの」といわれているが、その昔新興キネマが不況のどん底時代に鈴木澄子さんの怪猫映画をつくったところ、物の見事に大当りで忽ち社運を挽回したというのであるが、「怪猫騒動」は夏枯れの浅草電気館が七日間で、二六,九五〇〇人(ママ)の観客を動員したということだ。(中略)会社(大映―引用者)は二〇〇〇万円の製作費で三〇〇〇万円もうけられたというが、私の出演料は残念ながら上らなかったし、この苦労はかえって仇となったか、その後もらった大役は化け猫三本のあとが、「釣天井の佝僂男」(『投げ唄左門二番手柄 釣天井の佝僂男』のこと―引用者)や「怪猫逢魔が辻」でいつまでも化けものにつきまとわれた。
入江たか子映画女優学風書院1957,pp.222-23)

ところで、宮城まり子のうたう「じゃがたらマンボ」で聞きとりにくいところが一箇所あった。ちょっと気になったので、歌詞を掲げておこう。
宮川哲夫作詞、利根一郎作曲(「ガード下の靴みがき」もこのコンビ)、なのだそうだ。

じゃがたらマンボは よかマンボ
そろって踊たら なおよかばい
キャピタンさんなら あたしげ(?)ばい
恋したからとて どうなろか
涙で出船を送るより マンボで踊るがよかばってん
よかよかよかよか
 よかよかばってん よかばってん

じゃがたらお春は よかおなご
まつげを濡らして 泣いたとばい
もえても咲いても 散る花ばい
夢見たからとて どうなろか
ザボンの葉陰で泣くよりは マンボで踊るがよかばってん
よかよかよかよか
 よかよかばってん よかばってん

太字の部分は、何度聴いても「あたしげ」と聞こえる。長崎弁はしらないが、熊本弁では、「私の家(あたしがいえ)」を「あたしがい」「あたしがえ」と言ったりする。地域によってはそれが(母音を脱落させて)「あたしげ」となることもある。無理やり解釈しようとするとそうなるということだが、はたして、宮川が「あたしげ」という九州に独特な表現を知っていたのかどうかは謎である(知っていたとしても、歌謡曲にそういう表現を用いるだろうか)。

この歌詞について、なにかご存じの方がいらっしゃいましたら、どうかご教示くださいませ。

*1:「さいざんすマンボ」で、トニー谷とデュエットで歌っているのが有名。「ねむの木学園」理事長、あるいは吉行淳之介の生涯のパートナーとしても有名か。

*2:本作での藝名の表記は「喜頓」ではなく「キートン」。

*3:仁木悦子の「猫は知っていた」も意識しているようにおもえたのだが、仁木のデビューは翌年なのですね。