戦いすんで日は暮れて。

秋晴れで気持ちのよい天気。
気がつけば、もう九月なのである。世間は、夏休みの宿題に悩んで(?)自殺をする男子中学生が出たとかで、もうわけのわからないことになっている。昨日と今日は、「戦友」からの有難いメール、皆々様からのあたたかいお言葉の数々を頂戴して、目頭が熱くなった。
昨日はちょっとした打上げ会があって、藤井青銅『略語天国』(小学館)を買って帰り、ひとッ風呂浴びてからそのままバタンキュー。前日は、結局一時間ちょっとしか寝られなかったのだから、無理もないのだった。
女は二度生まれる [DVD]
川島雄三『女は二度生まれる』(1961,大映)鑑賞。大傑作である。前から観ようと思っていた、川島&若尾文子タッグ(ほかに『雁の寺』『しとやかな獣』)の初大映東京監督作品。原作は富田常雄の『小えん日記』。1961(昭和三十六)年は、若尾文子の才能がまさに開花した一年であったといえ、同年にはこれまた傑作の『婚期』『妻は告白する』『女の勲章』などが撮られている。
『女は〜』も、若尾の魅力で満ちあふれた作品だが、何よりもその演出面、細かい所作のひとつひとつが素晴らしい。その所作が、若尾(小えん)のアンドロギュノス的な性格をさりげなく表現するとともに、彼女の男たちに対する恋慕感情のバロメーターにもなっているのだ。それから、若尾が障子(や雨戸)を閉めるという動作は、『鰯雲』の淡島千景をも想起させるエロティシズムを醸し出している。上手いな、と(心の中で)何度も呟いてしまった。
そして「靖國神社」の太鼓の音(実際は、そう滅多に鳴るものではないだろうが)を劇中で利用しているのは、現在となってはタブーであろうけれども*1、川島らしい演出だと思う。しかし、もっぱらその太鼓の音ばかりが強調されてしまいがちだが、この作品は多くの音で溢れているのだ。連れ込み旅館で聞こえる工事の音、アパアトの部屋で聞こえる列車が通過する音、……。そういう近代的な「音」が、この作品内部に澱のように留まった戦争の記憶をまるで払拭でもするかのように聞こえてくる。さらに深読みすれば、若尾の男への逃避は、都会の喧騒と「音」による呪縛からの逃走でもあったかも知れないと、そんな気さえしてくる*2
出演しているのがやはり藝達者ばかりで演技がすばらしく、山茶花究(矢島賢造)やフランキー堺(野崎文夫)、潮万太郎(桜田*3などはまさに適役だし、最後のほうで少しだけしか出演していないのに、だんだんとすごみを増してゆく山岡久乃(筒井圭子)もいい(フランキーの「出戻り」妻は、『猫は知っていた』の仁木多鶴子だったか! 全然気がつかなんだ)。

*1:しかも、靖國神社をロケ地に選んだ映画など、滅多にないのではないか。

*2:山村聰(筒井清正)を「神様のような人だった、だから死んだのね」と評する若尾の言葉は、村田知栄子(「知栄子」は出演時の表記、お勢)の神社における「あんた神様になってんだから私のこと助けてくれる力があるんだろ」という戦死した旦那への呼びかけとダブる。若尾自身の「カミの喪失」が、彼女が「生まれ」かわる直接の原因だったと思えてならない。

*3:『恋の野球拳』のときよりもずっと若く見える!