とんかつと喜劇

『喜劇 とんかつ一代』

朝、川島雄三『喜劇 とんかつ一代』(1963,東京映画)を観た。八住利雄原作。
森繁久彌の五井久作は、青龍軒の料理長・田巻傳次(加東大介)にその腕を見込まれた名コックであったが、十年前に傳次の妹・柿江(淡島千景)と駆落ち同然で店を飛び出して(そして現在、柿江は久作の妻におさまっている)、「とんQ」というとんかつの専門店を営んでいるため、いまでは険悪な仲になっている。久作は傳次の頑固ぶりに我慢ならず、傳次は傳次で「とんQ」を久作の「道楽だ」、と吐き捨てるように言うしまつ。また傳次には息子の伸一(フランキー堺)があって、彼は秀山仙太郎(山茶花究)の娘・とり子(団令子)と乳繰り合う毎日。
じつは久作、伸一に青龍軒を継がせるため、みずから身を引いていたのだった。しかしそのことを知る由もない伸一は、料理人になる積りなどさらさらなく、三年ほど前に家(=店)を飛び出し、有名ホテルのオーナー・衣笠大陸(益田喜頓)の片腕となって働いている。大陸――実はその昔、柿江をめぐって久作と恋の鞘当てがあった――は、自分の二号の娘・初子(横山道代)を伸一の嫁にと考えているのだが、これがとんだじゃじゃ馬で、伸一はどうもその気になれない(そのうち彼女はマリウス=岡田眞澄とデキてしまう)。やがて青龍軒は大陸の経営するホテルの傘下に入り、それが気に食わない傳次はすっぱりとやめてしまう……。いっぽう、伸一の義弟(この設定だけでおもわず笑ってしまうのだが)にあたる遠山復二(三木のり平)は、ウソ発見器、妙ちきりんな按摩器*1などの発明家で、クロレラを利用した怪しげな食品開発に汲々としている*2。妻の琴江(池内淳子)――傳次の後妻おくめ(木暮實千代)の連れ子だった――をも巻き込んで大騒動の毎日だ。そんな彼も、琴江のほうがむしろ乗り気になってクロレラ丼を発明しはじめるころには、すっかり意欲を喪失していて、いやいや食わされるその表情が笑える*3(のちに劇中で、彼の長年の苦労が報われることになる)。
ようするに『貸間あり』のような人間喜劇で、とにかく出て来る人物がみな、どこか「おかしい」。フランスの料理名には詳しくても(発音にもやたらと拘泥する)フランス語はてんで駄目、という加東の存在や、ひどい潔癖症なのに「屠殺名人」(映画のオリジナリティを重んじております。悪しからず)という山茶花究の存在がシニカルで笑える*4。そのおかしな人間たちが、何かに導かれるようにして「とんQ」に集まり、とんちんかんな騒動を繰り広げ、また新たな日常へと帰ってゆく。
それに主題歌(佐藤一郎作詞、松井八郎作曲、森繁久彌フランキー堺唄)の、「とんかつが〜食えなくなったら死んでしまいたい〜♪」「とんかつの油のにじむ接吻をしようよ〜♪」というトボけた歌詞もいいし、また、「おっかあだそうだ(岡田そうだ)」「どうだ(銅だ)」など、言葉を駆使したギャグや勘違いを利用した駄洒落も多く、短い台詞もうっかり聞き逃せない。さらに『幕末太陽傳』と同じく、川島が好んだ落語ネタも随所にちりばめられているような気がする(私は「かぜうどん」しか分らなかったが、他にもありそうだ)。
川島はこの喜劇のシリーズ化を考えていたらしく、『とんかつ一代』の姉妹篇にあたる作品の製作も企図していたようである(実現しないまま世を去った)。もし実現していれば、「駅前」シリーズのような「名『二流』映画」になっていたのではないかと悔やまれるところだ。
それにしても全く、とんかつが食いたくてたまらなくなる映画だった*5。ところが意外にも、主要登場人物がとんかつを食うシーンは殆ど無い*6三木のり平はとんかつにありつこうとして正体を見破られてしまうし、加東大介は味見をする前に森繁久彌にとんかつを投げつけられてしまう。また山茶花究は、とんかつを食おうとしているところでシークェンスが切替わってしまう。やはり、これはあくまで川島の喜劇シリーズの一本なのであって、「とんかつ屋」という舞台設定にはさほど深い意義がないのかもしれない。つまり「とんかつ」は、なんとなく選ばれた道具立てのひとつにすぎないのかもしれない。
ちなみに劇中で最も可笑しかったのは、のり平とフランキー堺の次のようなやり取りである。

フランキー「あっ、しばらく、義兄(にい)さん」
のり平「ああ。…ん、義兄さんは君のほうだろ?」
フランキー「えっ、えっ、ど、どうしてどうしてどうしてよ。だって君の女房は琴ちゃんだろ? じゃあその女親が僕の義理の…と、いやちょっと待った、そのつれあいが、と…。えっ、ちょ、えっ、……これはえらいことになったよ。君、僕のおばあさんっていうことになる」
のり平「おばあさん?」
フランキー「うん、だってそうだよ」
のり平「そんなバカなぁー」
フランキー「いや、ちょっと待った。えっと、うんと、えーっとね、僕の義理の、…と。その孫の、…と。おじい、いや、おじいさんじゃない、いや、おばあさんだよ。これは発見だなぁー!」
のり平「いやあ、おどかすなよ君、僕はやっぱり君の義理の弟だよ」

そう云えば、加東とフランキーの以下のようなやり取りも、また可笑しかった。

加東「このっ、バカ野郎っ! 出ていけっ!!」
フランキー「お父さぁん!」
加東「お父さ…? てめえなんか親でもねえ子でもねえ。なんだ、衣笠大陸なんて薄汚ねえ金儲け野郎の手下になりやがって。なにがサービスだ。おおかたてめえは青龍軒をキャバレーかなんかにして、コックにリンゴの皮むきでもさしてえんだろ!」
フランキー「傳次さん!」
加東「傳次さ…? 親に向かって傳次さんとはなんだ!」
フランキー「だって親でも子でもないって言ったじゃねえかっ」

*1:「エレクトロニクス」仕様らしいが、これを「エログロニクス」だと勘違いする藝者りんご=水谷良重が面白い。

*2:彼が出て来ると、なにやらサイケデリックな(とんでる、とでもいうべきか)音楽が流れはじめる。

*3:『月と接吻』の恐妻家もそうだが、のり平には「情けない男」がよく似合う。

*4:登場人物たちの重要な出会いの場が豚の慰霊祭、青龍軒の傍に動物園、というのもまたシニカルな設定だ。

*5:伊丹十三の『タンポポ』をみているとラーメンが食いたくなってくるのと同様に。

*6:記憶にあるのはフランキー堺の登場シーンくらいである。